「呂布と王允が結託して董太師(董卓)を謀殺したって?」
「じゃあ・・・李儒がしたことじゃないのか?」

「結局どっちが正しいんだ?」
「どっちだっていいさ、戦にさえなんなけりゃな」
「その通りだ! 軍人様方に慈悲の心さえあればな・・・」

皇宮

「くそ! あの四人め・・・身の程知らずの無礼者どもめが! あやつら己を一体何様だと思うておるのだ!」
「ご安心を! 馬騰と韓遂がすでに兵を率い、城外百里のところにて待機しております」



献帝「出兵したか」



   「呂布が言うには、西涼の心はいまだ穏やかならず、一段の時間を要すると。だが内外で呼応し一つとなれば、あの四人を打ち倒す日も・・・そう遠くないとな」

「しっ 彼らがまたやって来ました」

献帝「教師諸君、勉強を続けるぞ。墨を磨れ!」

バン!

「あ、これは李傕大人!」

李傕「弛まず勉学に励む。これこそまさに賢君の基本たるべき姿勢ですぞ!」



献帝「卿らには、朕が今勉強しているようには見えぬか?」

郭汜「勉強に身を入れられるのは好い事です。しかし、書経とは別の良からぬことを皇上にお教えしている不埒な輩がいることが心配ですな」

「馬宇、种邵、出て来い!」

「な、何をする!? 放せ!!」
「連れて行け!」

献帝「ああ、なんと侍中と大夫は勉強を教えてはいけなかったのか・・・」



李傕(われ)等も本来ならば皇上のお勉強をお邪魔するようなことはしたくないのです。しかし国事とは実に繁雑なものでしてな。臣らも、自らの力でもってなさねばならぬことが多いのです」

   「こちらの奏章に皇上の玉璽を賜りたいのですが」

   「聞こえられましたかな?」



 李傕たちは長安に入京した後、兵を放って城を占拠し、ことごとく殺戮の限りをつくし、城内には死体がいたるところに転がった。
 四人は実権を握ると、我が物顔で専横し、更には腹心の者を派遣して皇帝の行動を監視させた。



四奇「董卓がいなくなったかと思えば、すぐにまた別の野心が顔を出す。まさに一難去ってまた一難だな。しかもあいつ等考えもせずに行動を起こすもんだからたまったもんじゃない。あんたの言う通り、あの四人はホントに全く・・・」

賈詡「一旦志が遂げられて、もはや董卓の政道など忘れ去ってしまっているのさ」

   「ただでさえここのところの急進で長安内は落ち着いていないというのに、その状態でみだりに武力を使うなどとは、全くもって人力と財力の無駄だな」

四奇「老三、奴らが馬騰を討ちに出兵したことを言っているのか」
賈詡「もともと董卓は、外を制するよりも先ずは内を固めるべしという理をよく弁えていた。だがあの四人はそういう点論外だ」



賈詡「どうせ己らが天下に君臨したという威信を、各地の諸侯たちに急いで顕示したいといったところだろう」

四奇「思うに矛先は外ばかりじゃなく、あんたにも向けられているんじゃないか?」

賈詡「その通りだ。奴らは俺をはじめとする策士に何度も利用されているからな、その恨みの心はさぞかし大きかろう」

   「この場をうまく大勝利に収められれば、それをもって俺の威信を打撃することも可能だからな」

四奇「ということは・・・あんたも既に排除されるべき対象の内に含められているってことか?」

賈詡「名声がありすぎるというのも良いとはいえない。心得ておくべきは、現在の戦いは戦場ではなく官場(官界)にあるということだ」



賈詡「権門闘争とは、戦場の上と同じで、敵の死穴(弱点。急所)を探すものだ。どんなに俺が隠そうといえども、やつらはしつこく暴き出そうとしてくるだろうな」

四奇「ははは、“人を用いて之を疑い、人を疑いて之を殺す”、か。成る程ね、道理であんたがさっさとずらかろうとしたわけだ・・・ゴホ!」


※“用人疑之、疑人殺之”・・・《金史.煕宗記》の“疑人勿使、使人勿疑(人を疑いては使うなかれ、人を使うは疑うなかれ)”を皮肉って言っている。つまり、本来ならば自分が疑いを感じている者は用いてはならず、同時に、用いた以上はその者を疑ってはならない、というところを、人を用いながらその者を疑い、そして結局は殺してしまう、とその愚かさを嗤っている。


賈詡「ただ・・・まだ殿の遺恨は晴らせてはいない。俺もしばらくは此処を離れることが出来ない」

四奇「呂布か」

   「だが兵権のない状態で、どうやって仇を討ち恨みを雪ぐつもりだ? 見込みはあまりないんじゃないか?」



賈詡「老四、どうやらお前の智慧は、お前の残骸(ぬけがら)に追随してとっくに霧散しているようだな」

四奇(くそったれ、俺の闘争心を引きずり出そうとでも思っているのか?)



長平観

「破られた! 守りきれません!」
「急いで伝令を! 敵はすでに陣形を錐行(密集型の基本陣形)に転じたぞ!」

「よい知らせです!」

「韓遂軍の死穴を探し当てました。このまま更に軍を進めさえすれば・・・」



  「馬騰軍といえども必ずや大敗させられます!」

「待つことはないな。勝機は我が手に握った」

王方「左方の守りはすでに俺が潰したぞ。どうだ、李蒙兄?」
李蒙「王方兄の用兵はまったく呂布に劣りませんな。小生、深く感服いたします」



王方ならば何をまだ待つことがある? 全軍!

   「逆賊を誅殺せよ!」

「韓大人! 敵軍はすでにこちらの死穴を破り、攻め込んで来ております!」

韓遂「どんなにこちらが隠そうとしても、奴らはしつこく暴き出そうとしてくる。馬騰兄、奴らはついに執念を遂げ死穴を探し当てましたぞ」



馬騰「敵の死穴を探すのは、宮廷内での権力闘争と似たようなものだ」
韓遂「その通りですね、全く興ざめなことです」

馬騰「政をつかさどるのは麺を食すようなものだ。(つま)はなく、汁(つゆ)がいくら美味しくても味気ない。何の楽しみもないな」

韓遂「ならば、馬騰兄はもっと歯応えが欲しいと?」
馬騰「そうだ。獰猛にならずしてどうやって勝ちを得る?」



「伝令! 敵はすでに陣中深くにまで侵入してきました!」

韓遂「王方、李蒙、さすがは董卓麾下の名将よ」



王方「李蒙、見えたか?」
李蒙「光明だ!」

 勝利の光明(きざし)だ!

馬騰「料理長、牛肉を二斤くれ」



馬超「了解」



  そもそも野獣にとって、
  殺生は生きるための行為、残忍は生き抜くための叡智。

  食すこと、これすなわち本能!



  親父殿、天下を食い尽くしてしまわれよ!



  二斤じゃ足りねぇ

  牛二頭で、ようやく食べ応えもあろうってものだ!

馬騰「主将は死んだ。韓遂兄・・・」



   「敵の死穴を暴いたぞ」

 五月中、
 馬騰は李傕の先鋒大軍を大破し、
 兵は長安城下に臨んだ。



 ただ・・・・忠臣馬騰はにわかにある事を思い出す。



「戦うのか戦わぬのか! 投降するのかせぬのか! 李傕!この腰抜けの逆賊が!」



馬超「親父殿。まだ食えるか?」



李傕「食うがいい! 食って腹を突き破られてしまえ!」

   「くそったれが、貴様のその食い意地の張った卑しい根性を見てやろうじゃないか! いいだろう、開戦だ! お前に合わせてやる!」

   「出陣するものはおらんか!? 勝った者には三級昇格だぞ!」

   (ちっ、全員三級降格だ!)



   「くそ、くそ!」

   「賈詡を探して来い! 賈詡を探し出して来い! 早く!」

「李大人、ご覧下さい!」



「あ、あれはまさか・・・」

李傕(奴は死ぬ気か・・・?)

馬騰「儂はまだ食えるぞ」



「賈詡! この逆賊め! 逆賊! 逆賊!」
馬騰「いくらでもこの腹に収めきれる」

賈詡「己が腹をもって天下の野心を呑み込む――馬大人、あなたの喩えは全く人をぞっとさせる」



馬超「野郎、言っておくが、もし投降したいのなら口の利き方には気をつけな」

賈詡「私は別に負けたわけではないというのに、何故投降などする必要がある?」

馬超「呆れたぜ。こんな自惚れた刺客は未だかつて見たことがない」

賈詡「馬騰大人」



   「その碗の中の麺は美味しいですか?」

馬騰「何?」



涼州

「間違いない、これはまさしく主公の真筆()
「呂布の造反・・・言うことは的は得ている!」
「諸将、皆この指令書をどう見る?」

「くそ!」



「これで二十個目だ、これは絶対に離間の計に違いない!」

呂布「来るごとに一書の内容は真実味を増していっているというのに、お前たちもなかなか諦めぬな」(?)

「温侯(呂布)、ご安心くだされ! 再び主公を騙った指令書が来ようとも、我らは決して信じませぬ!」
  「李傕らの野心はすでに露になりました、我等も出兵しましょう!」

呂布「いや、もう少し待ったほうが良い」



   「いま涼州内は穏やかではない。まずは内を安定させ、それから外に対すべきだ」
   「聞くところによれば、今年の収穫はまずまずのものだったそうだな」

「温侯のご意思は、このまま馬騰軍に兵糧を補給し続け、出兵の事はもう少しして後に、ということですかな」

呂布「その通りだ。いまこちらが軍事物資不足のまま出兵しても、李傕らは十分に備えをして戦に望んでくる」
   「これは遠征だ、よく考えたほうがいい。少しでも不用意に動けば、その他の諸侯たちにつけこまれる隙を与えることになりかねないぞ」

「その意味は・・・」

呂布「言わずとも分かるだろう?」



「これでもはや司馬家がどんな指令書を送ってきたとしても恐れるものはない」
「あの馬鹿な者たちは、本当の元凶が誰なのかすら判別することもできぬでしょうな! ハハハ」

呂布「ところで、もう一方の愚か者の方はどうなっている?」

張遼「李傕の身辺に忍ばせた者の話では、今や馬騰軍との間では膠着状態で、李傕たちは忙しさにてんてこまいのようです。我らにかかずらっている暇はないでしょうな」

呂布「膠着か・・・ということは、賈詡はすでに権勢を失ったようだ」

張遼「ええ、彼の言うところの『暗黒兵法』も、もはや使う術はありますまい」



呂布「もしも使ってくるとすれば、奴はどのように出ると思うか?」

張遼「天下に牛輔のような愚か者がそうそう多くいるとお思いですか?」

呂布「ただ、あいにく俺はその愚か者をもう一人知っている」

張遼「鴫と蛤が争い、漁人が利を得る――――漁夫の利ですな」



馬超「どうだ、お味は。気に入ったか?」

馬騰「お前のような麺の味の分からぬ者には、この碗ひとつすらもったいない」
「料理長、主公にもう一杯差し上げろ」

賈詡「説客たる者は、必ずそれなりの十分な理由があってこそあえて来る」

   「馬騰大人、貴方も一度来ると決めた以上、もちろん退く策もとっくに用意してあるのでしょう?」



 口伏(ガッ)

馬超「誰が退くだって!? 俺たちの方はまさに日が昇るがごとく、勢いは破竹のごとく、長安を落とすのも最早時間の問題だ!」
  「野郎、お前は思い知るべきだ。俺さまの実力は呂布より上だぜ!」

賈詡「ああそうだな、呂布もきっとお前が本当に己の上にいてくれることを願っていることだろう」
馬超「どういう意味だ!?」

「馬騰の麺は・・・・」



呂布「きっとすぐに食い終わることだろう」

張遼「ええ、兵糧さえ絶てば、あの愚か者の軍は総崩れになる」

   「実力で天下を奪うには、必ず先に十分な元手を確保しなければならない」



賈詡「勝ちに貪となり帰ることを知らなければ、大きなものを失うことになるぞ。呂布の目的は長安ではない。お前たちの根拠地だ」

馬超「これが呂布の陰謀だと!? で、でたらめなことを言うな!」

賈詡「でたらめではない。呂布は、涼州はまだ穏やかではないゆえ、先に兵糧を送り、後に大軍をよこすと言わなかったか?」



「殿。料理長が、麺粉がまだ届いておらぬので、別のもので宜しいですかと訊いておりますが?」

馬騰「呼(ふっ。息を吐き出す音)」

馬超「てめぇの口車なんかには乗せられんぞ! 俺さまはあの牛脯(牛の干し肉=牛輔)野郎とは違う!」

馬騰「お前はまだ牛肉(てふだ)を持っているか?」

賈詡「俺の策はまだ終わってはいない」



呂布「待て、張遼・・・」

   「我が方の兵馬はみな涼州に入ったか?」

張遼「ええ。すべて、物資も運び込みました。それでは・・・動かれるのですが?」

呂布「俺は董卓の指令書を思い出していた」

張遼「指令書? 今はもう役立たずになったのでしょう?」

呂布「くそ、なんで思い至らなかったんだ」



   「指令書は、その実ずっと王允の手の上にあったというのに!」



   「賈詡の野郎・・・奴はすでに王允の死後、指令書を捜し当てていたのだ。言わずもがな・・・奴の目的はただ一つ」

張遼「殿、まさか・・・!」

呂布(すなわち、董卓を謀殺した我らやその残党が一斉に会して動くのを誘い、これを一挙に滅殺すること!)
   (しかし俺と対抗するためには・・・)

   (指令書のほかにも、俺の目を反らす必要があった・・・もう一人の『牛輔』から!)



『荊軻秦を刺し、公子首を献ず』、暗黒兵法・・・・

董越「賈詡が言うには、呂布の刺客がもうすぐ此処に来るそうだ」

   「呂布を他の地へ逃さぬようにするためには、奴ら一党がこの地に一斉集結するようにしむけ、掌中にとらえておかなければならない」

  「諸将、我董越はこれより牛輔に従って主公の元へ行く」



  「お前たちの力ならば、呂布どもを根こそぎ壊滅へと導いてやれるな?」

   再びまたお会いしましょうぞ! 英雄!


呂布(賈詡――――!

   (天晴れなり!

※『甘拝風下』:甘んじて風下に拝す。心服して負けを認める。



賈詡「今ならばまだ間に合う」

   「素直に俺の善意を受け取るか。それとも・・・一敗地に塗れるがいいか」

馬騰「孟起、お前はこういう場合どうすべきか知っているか?」



馬超「野郎、俺ははじめて見たときからてめぇが気に食わねぇ」



馬騰「馬鹿者が、お前の頭は空洞か? それが恩人に対する態度か」

   「鶏を殺すのにいずくんぞ牛刀を用いん(小さなことをするのに大がかりな手段を用いる必要はない)。我らがわざわざ手を下さずとも、どうせ別の者がやるだろう」

馬超「何?」

馬騰「そいつの言っていることは正しい。中原の麺がいかに美味しかろうとも、西涼の際立った郷味には敵わん」



賈詡「ではこの賈某、あなた方の『「馬」到功成』を祈りましょう!」

※『馬到功成』:=馬到成功。着手すればたちどころに成功するたとえ。
 ここでは馬氏にかけて、「馬到功成」として、「馬氏の功成すに到る」ことを祈る、と賈詡は言っている。

馬騰「孟起、すぐに涼州へ戻るぞ。兵たちに準備をさせろ。あと、城の北側にいる韓遂にも伝えろ」
   「撤退時にあの計略を忘れるな」

馬超「奴は殺さないんだな? 分った」



正午、馬騰軍は波を引く様に長安から引き揚げた。

賈詡「開門」

   「敵は既に退いた。これを追撃するか、或いは俺を城内へ入れさせるか。どちらか返答を願いたい」

李傕「たった今、涼州からの急書が届いた。呂布を誅殺する行動がすでに展開されたとな。何故俺は何も知らない?」

賈詡「大人の周辺に呂布の耳目(間者)がある可能性があったゆえ、私の勝手な独断で行いました・・・」



   (馬騰の言っていたことは正しい。彼が手を動かさずとも、別の者がそれをやる)



李傕「お前のような心底の知れぬ者を留めておけば、我らは更に混乱するだけだ」

賈詡(そうだ、俺を留めておけば、お前は地位を失う)
 
   (主公! 私はすでに長安を守りぬくことに力を尽くしました。あいにく、貴方の配下の者は却ってそれを感謝してはおらぬようですが、どうかそればかりは賈詡を責めないで下さい)

   (この矢こそが、貴方の答えなのでしょう?)



   (今俺に出来ることは)

   (俺の計略を完成させること!)

   (しかし・・・この時俺を更に歓喜させたものは・・・)



賈詡「老四、来てくれたか!」
四奇「まぁね!」

午後、賈詡は長安を離れた。

彼のこの行動については、多くの噂が囁かれた。
ある者は彼の母親が死去したため郷に帰ったのだと言い、またある者は信任が得られなかったゆえ去ったのだと言った。



涼州
董卓仇討ちのために立ち上がった涼州の諸将は、まさに呂布残党を包囲し殲滅せんとしていた。



「報告! 呂布の部曲は全滅!」

「報告! 呂布第三軍は既に全滅しました! 第四軍ももう間もなく終わります!」

「第五軍も全滅しました!」



「主帥も終わった・・・」

主公、仇を討ちましたぞ!



「報告! 主公の仇を獲ったぞ!」

  「良い知らせだ! 城内の陳岫将軍がすでに呂布の首級を挙げた!」

「呂布? お前目は確かか?」

  「奴の死体はそこにある!」

 あ?

涼州城南 



「どうだ?」
「城内で内乱があったようだ」

「主公から進攻の合図はあったか?」
「まだだ」

「どうやら主公は敵と遭遇してしまったようだ」

「やるな、なかなかの腕前だ!」
 「その堂々たる風貌、貴殿は呂布麾下第一席の将とお見受けする」



 「張遼兄のその落ちぶれた様子だと、さては待ち伏せに遭ったな?」

張遼「お前も急襲に加わる気ならば、俺も簡単には此処を通らせないぞ」



「ここは交渉といかぬか? お主も実のところ、俺とこのまま戦い続けたくはないだろう?」

張遼「何?」

「私は城内に進みたい、お主は城外へ出たい、互いに干渉せず、ということだ。皆のもの!」

張遼「将軍がこのような礼を持って譲ってくれると言う以上、その厚情は辞退しがたいな」

「道を開け! 彼らを通すんだ!」

張遼「そういえば、まだ将軍の名を聞いていなかったな」



「お主と同類のものさ」



張遼「馬騰の副将、龐徳?」
   「成程、どうりで腕が立ったわけです。馬騰はとっくに我らの陰謀を見抜いていたようですな」

   「今や・・・主軍と軍資金はすべて失ってしまったのでしょう?」
「そうだ、資金がなくなっては・・・袁術のやつは恐らく俺たちを置いてはくれまい」

張遼「思いますに・・・賈詡は、我らを殺した後、己もその後方を占領されようとは、夢にも思わなかったのではないですか?」

「いや、俺が思うに、それすらも賈詡の想定のうちなのだろう。涼州内がすでに一定の勢力を成したことにお前も気づかんか?」
「言い換えれば、馬騰と李傕の勢力はもはや互角、どちらか一方が強大になることはもうない」



「賈詡はもう長安から離れただろうな」

「一人の人間が一切を失うということは、逆にどんな枷鎖にも縛られなくなるということであり、それはすなわち思考の筋道を自由明快に変えることができるということだ」

呂布「俺は遂に知ったぞ。賈詡の目的を」



   (俺は暗黒の背後の光明を見た。暗黒大義!

二日目の朝、馬騰軍属・龐徳が南門に攻め入り、翌日馬超の騎兵が駆けつけ、董卓の根拠地であった涼州は陥落された。

だが馬騰は、長安から撤退する時にある一計を残していった。



聞くところによれば、韓遂が撤退する時、樊稠が彼と同郷であることに情けをかけ、故に彼に一条の生路を渡して、これを追撃しなかった。

李傕等はこれを信じ、晩宴の時に、示し合わせ、謀って樊稠を殺した。
ある者は、李傕が樊稠の勢力を併呑せんがための口実だとも言う。
賈詡をなくして、残った三人は互いに疑心暗鬼に憑かれ、自滅の路を歩み始めていた。



人を殺すのは、愉快なことではない。

国を救うのは、もっと愉快ではない。

情視察?」
「何だっていいさ、土匪(土地の悪者)でさえなければな」



老人「気になさんで下さい。このあたりの田舎にはもう何もないのです」

「どこが田舎だって? 此処は昔からずっと大きな都城であった所だろう」

老人「思い返せば、遥か昔・・・・」

   「街には人が溢れ、行きかう人も絶えず」
   「黄巾の乱さえなければ・・・ここも洛陽に劣らぬ、それは美しい街だった」

   「否! 今の洛陽もまた、おそらく此処とそう変らぬ有様であろう」



老人「災難にあった地には、美味いものなど何もありませぬ。どうぞ、お気になさらず」

「糧官、このご老体にいくらか米を差し上げよ!」

老人「それには及びませぬ」

   「これ以上多くの米を溜めておいても、どうせすべて土匪の兵糧にされてしまうだけですのでな」

   「何もないほうが、むしろ安心します」



「大人が食べなくとも、子どもには要るだろう?」

老人「私もこの年ですのでな、本来ならば子ども孫に囲まれている筈だったのですが・・・」

   「子どもたちは戦に連れて行かれて、皆死にました」

   「家の女子どもたちも、みな病死か餓死です!」

   「残ったのはこの老いぼれのみ。これ以上生きのびて一体何をするのか!」



「家が家として成り立たず、国が国として成り立たない。これは一体どんな世界なのか?」

「こ、これは草と樹の根じゃないか?」
「主公、お身体に障ります! お召し上がりになりませぬよう!」

「古の人に曰く、苦の中の苦に耐えらば、人の上の人と為れる(苦しみを耐え抜かなければ、人の上に立つ立派な人間にはなれないという諺)。満腹になれさえすれば、樹の根であろうと山の珍味であろうと、何の違いがある?」

「言うとおりだ。天下の大乱・・・戦で死ぬのと、戦でなく死ぬのに、また何の違いがある?」

「ご老体、ひとつ窺いたい」



老人「天下にまだ救いがあるか、お知りになりたいのですかな?」

「天下はこの穴傷だらけのボロ家と同じだ。支柱は不安定で、たとえ表向きは元のままでも、ただの外見ばかりで中身はさっぱり・・・」

 ガラッ

「あ、危ない!」



夏侯惇「阿瞞、気をつけろ」

曹操「君子は危うき牆(塀)の下に立たず(君子は危うきに近寄らず)。しかし・・・今や天下はいたるところに危牆が満ちている」



老人「この家屋こそが私の天下です。諸侯の天下にあるのは、手放せぬ欲望だけ」
   「欲望とは白蟻のようなもの、天下の支柱を侵食する」

   「いったん柱が壊れれば、再びどんなに修理したところで、それはもはや危険な一間でしかありませぬ」
「大丈夫か!?」

曹操「再び家を建てるには、もう一度新しい支柱を立て直すしかない。ただ・・・危うい家屋にも関わらず、何もせず安穏と楽を貪る者たちがいれば、これを強制的に遷移させるのは難かしい・・・」

老人「自ら仁者を称する者たちは、人のために家を修理し日を遮るが、あたら見通しを悪くする・・・」

   「それはかえって屋内の人間を害し、ついには倒壊した家屋の亡魂と成す・・・恐れながら、この老いぼれに申し上げさせて下され」



   「天下には今、強硬な追い立て屋に欠けております! 決して見通しを悪くする仁者ではなく!」

曹操「もし今儂が官界におれば、お前の首はとっくに地に落ちているぞ」

老人「明日もなく、ただ生き残ることに何の希望がありましょうや! どうか蟻のごときらに、一筋の光明を与えて下され!」



   「天下にはもはやこれ以上希望はありませぬ! 兵を擁し自らの身の安全を保するのでは、ただ春秋戦国百年戦争の地獄の再来となるだけです!」

「お、お前なんと・・・」

曹操「老先生の寓意はありがたく頂戴するが、しかし秦始皇の天下統一とは、どうしてそんなに早くできようか」

「ただ六国百姓の期待をもって」

夏侯惇「馬鹿言え! もし我らの阿瞞と秦始皇を比するというのなら、未来は暴政の下、国の滅亡という難があるのみ。同じ轍を踏むことになる!」

曹操「秦始皇の滅亡は、ただ天下の一統にのみ固執し、結局変化を知らなかったが故だ。ただ・・・儂はかつて、ある批評を聞いたことがある」



「先生はかつて大人に言われた。すなわち治世の能臣、乱世の奸雄と」

「の、能臣、奸雄・・・!?」

曹操「ということは、水鏡老先生は早くからすでに、曹操にこの事を予見していたということか?」



「先生はただ運命を批評しただけにすぎない。他意はない。一切のことは、すべて学生が個人的に推敲して打ち出したことだ」

曹操「儂は乱すことができ、治めることができると? ならば・・・」

「天下を得る者に、諸手を血に染めぬ者はいない」

「仁義の師であってもまた、敵に対すれば残虐となり、勝ちを得る。戦とは本来残忍暴虐なもの。兵を擁する者の成功と失敗は、往々にして幾千万の無辜の兵士の犠牲の上にある」

「人殺しは人殺し。殺すのにどうして綺麗も公正もある? 暴君も仁君も、皆人殺しだ。区別などない」



「違いがないというのにその上何を恐れる? 上っ面を誤魔化す気か?」

「貴様、どういう意味だ!」

「既に天下を改革する心があるのならば、何故世間の目を気にかける必要がある!?」

「いわゆる仁者という者は、ただいたずらに腐りきった王朝にへつらうのみ。時代の流れが読めぬのか、それとも根本では己の栄華を捨てられぬのか!」
「もし仁者ならば、どうして天下の大乱を目にしながら、自ら進取して安んじようと思わない? それどころか現実から目を背け、かえって乱の上に更なる乱を招いているだけではないのか!?」



夏侯惇「言わせておけば勝手なことを!」

     「大義名分なく出兵すれば、ただ衆人の非難を浴びるのみ! 人心の支持を得られずして、どこに勝利を得る理がある! 全く分からぬ! 何ゆえこんな世迷言を言う見識浅い者が水鏡門下なのか!」

「ならば、将軍のご見解では・・・何故天下はいまだかくのごとき有様なのだと?」

夏侯惇「何だと!?」
曹操「夏侯老弟」

   「彼の言いたいことはつまり、天下がなおもこのような有様なのは、腐敗の途は最早止められないと知りながらも、人々の目がなお漢という亡霊に取り付かれているがゆえ、ということなのだ。人とは永く慣れ親しんで来たものや伝統に縋りたがるからな」


   「漢室復興。これは所詮ただの絵空事に過ぎない」
 
   「たとえ事が成せたとしても、その先を見通せぬ愚者どもが居ては、漢室に明日はない」(?)

   「所謂改革とは、徹底において行うもの。邪魔するものはすべて排除しなければならぬ!」

夏侯惇「阿瞞・・・お前・・・!」



曹操「敵はすでに黄巾賊ではなく、董卓でもなく、諸侯そのものと、そして儂自身の道徳という枷鎖だ!」

夏侯惇「阿瞞!」

曹操「お前に訊こう。そうとはいえ、およそ出兵するためには必ず大義名分がいる。敵において不義となし、我が方の士気を激励するための・・・」

「はじめ董卓は入京して宦官を殺すのに、大将軍何進の仇討報復の旗の本においてこれを行った」

曹操「ならば、今日儂が出兵するにはどんな大義名分を以ってすべきか!」

「百徳は孝を以って先と為す」

※論語:『孝は徳の本なり』。孝は最初に発生する徳であり、信は最後に発生せる徳である。孝によって一家成立し、忠によって国家成立し、信によって人類社会成立するのである。すなわち、孝はすべての道徳(百徳)の根本である、ということ。



「聞くところによれば、大人の父上は先ごろ鄄城に向かわれる途中で病により逝去されたとか」

「もしこれが『ある者』によって財を目当てに殺されたのだとしたら・・・」



夏侯惇「下劣なる低俗の徒め! 阿瞞! 陶謙は聖人君子だ! このようなやり方で彼と敵対すべきではないぞ!」

    「兗州を得るのに、彼を殺す必要など決してない!」

「陶謙を除かずして、兗州は定まらない」



夏侯惇(魔物か!)

「すでに出兵すると決意した以上、殺生の何を恐れる!?」

曹操四奇郭嘉! 煉獄まで供をせい!



「先に乱、後に治」



暗黒大義・・・奉孝殺戮!

 西暦193年夏、曹操は徐州に進攻し、泗水において大虐殺を行った。



徐州・郯県

「戦だ! 曹操が来るぞ!」

「なんでも陶謙大人が曹操の父親を殺して、その莫大な家財を奪ったとかいう話だ!」
「陶謙大人が・・・!? まさか! 彼は実に清廉な御仁だと言うじゃないか!」
「分からないさ、人は見かけにはよらぬと言うだろう。乱世の者は自分の身の安全を求めるものだし、当然先に手を打ったが勝つに決まっている!」

「曹操は、陶謙の領地の城は城内すべて皆殺しにしろと令を下したらしい!」
  「曹操の大軍は十の城に続いている、俺たちは現在すでに包囲されてしまったぞ!」



(かみ)、材を求むれば、臣、木を(そこな)ふ。上、(うお)を求むれば、臣、谷を()(《淮南子》君主が材木を欲すれば臣下は山中の樹を切り倒し、君主が魚を欲すれば、臣下は谷中の水を干し上げる。下の者は上に立つ者に迎合しようとして、その命令を大げさに遂行するということ)」

「恐らくこれは・・・一城を屠して十城を降す暗黒兵法。すなわち一つの城を見せしめにして殺戮を行うことで、他の十の城を脅え上がらせ、抵抗する意思を砕き、投降を促す計略だ」

「では貴方はこれがあの、道理に背いた恐るべき兵法だと?」

「正と邪は紙一重だ。ある者は今この時の恐慌混乱を見、またある者は残忍な行為が過ぎ去った後の安逸を見る」

「戦争がまさに此処へ至ろうとしているというのに、貴方はそれでもここに残るつもりなのか?」
「より現実的に考えれば、戦によって徐州の商売界にまで禍が及ぶ恐れがあるからな」

「百余りの馴染みの商家たちのことを言っているの?」



燎原火「剣に眼はない(剣には見境いや分別などはつかない)。奪われるのは、数千の人々の生命だ」



その日、二種の価値観が衝突した・・・



〔次回予告〕

 曹操が劉備と見え・・・郭嘉が趙雲と相見える。

  灼熱の八月
  火を以って火を返す






ヒーヒー! やった・・・10巻終了!
そしてとうとう四奇さん登場! ヨッシャー。
しかし・・・最後のセリフ「奉孝殺戮」
ほんとどうしようか迷ったけど、結局そのまま原作どおりで行きました・・・

ていうかね・・・なんか自分の技に自分の名前付けちゃった系な恥ずかしさが・・あるんだけどね!
みんな笑わないで! 笑っちゃダメ! 笑っちゃ・・・プッ。

いやー、他にも色々日本人の感覚に合うよう代わりの言葉考えたんですけど、これ多分「奉孝」(自分)の行う殺戮という意味と、徐州遠征が父親の敵討ち=孝ということで、「孝を奉った」殺戮というのをかけているんだと思ったので、あえてそのままにしました。ハズカシイけど。笑わないで。

にしてもかっくんの『馬』といい、陳先生は言葉遊びが大変お上手です。
06.07.10