ここでは中国史でよく目にする字(あざな)について説明したいと思います。 中国史好きには今更なお話ですが、後々の説明に関係するため、まずは字(あざな)のおさらいから参ります。 目次の項目を押すと各コーナーに飛べます。
1.名と字 ご存じの通り、中国では多分王朝時代(清)まで、姓名とほかに字が使われていました。国語の教科書で魯迅を読んだり古典などで漢文やった際に、人物紹介に「○○、字は●●」って出てきたと思います。あの字です。読みは「あざな」です。ちなみに日本では行政区画名として「あざ」とも読みます。 姓の役割は今と特に変わりはありませんが、名と字は原則違います。 名は 名=諱を呼んでいいのは両親か主君。兄姉も多分OKなはず。 友人、同僚など同等の人間はもちろん、弟妹や部下といった目下であればもってのほかです。 上司でも両親でもなく名を呼ぶケースというと、敵が罵倒する時くらいと言われます。 そんな具合なので、同僚や友人たちは主に字で呼び合います。しかし、これも親しい仲限定で許されるあだ名みたいなもの。 さほど近しくない相手や部下であれば姓+職名(肩書き)で呼びます。 以上を例を挙げて言うと、たとえば魏の曹操、字孟徳の場合、 ①姓:曹 諱:操 字:孟徳 ②「操」と呼んで許されるのは父母・上司のみ。 なお、「わたくし」という意味で自分で「操」と言うことも。 敵が罵倒を込めて「操」と呼び捨てにする場合もあり。 ③同等で親しい関係(同僚・友人・同世代の親戚など)以上は「孟徳」 ④同等以下(親しくない間柄や部下など)は、たとえば曹操が丞相の場合「曹丞相」、車騎将軍だった場合「曹将軍」「曹車騎将軍」など。 なお、州牧の場合は担当州名が職名としてつくこともあります。 有名なところで言うと、豫州牧だった劉備は「劉豫州」などと呼ばれていました。 ちなみに「曹操孟徳」や「劉備玄徳」「諸葛亮孔明」などという呼び方は厳密には正しくないとされます。 実は史料によっては偶にくっつけて表記されていることもありますが、それはあくまで「曹操(、字)孟徳」と省略されているだけかと思います。とりあえず厳密には正式ではないと覚えておけば間違いないかと。 この表記が一体どういう状態なのかというと、たとえば山田佐知子という人がいたとします。あだ名はサッチン。 極端な話をすれば、このサッチンが字みたいなものになります。 ※かなり極端な話をしてます。当時では字は公の場でも通用するちゃんとした名前です。 つまり「曹操孟徳」は、「山田佐知子サッチン」と言っているようなことになるのです。 なのでフルネームで呼ぶ時は、「曹操」か「曹孟徳」が普通。「曹」は苗字なのでどちらにも使えます。「操孟徳」はアウト。 「山田佐知子」「山田サッチン」とは言いますが(言うか?)、「佐知子サッチン」とは言いませんね? つまり、 「姓+諱」→○ 「姓+字」→○ 「諱+字」→× 「姓+諱+字」→×(書物の表記などの例外あり) です。 2.幼名 ところで字は、成人と同時につけられるものとされます。 このため、成人以前は「幼名」で呼ばれます。 幼名は基本、『阿○』(○ちゃん)という形がポピュラーみたいです。 またここで例に曹操を上げますが、曹操の場合幼名で知られているのは「阿瞞」です。「曹瞞伝」などの「瞞」もここからきてます(阿は「ちゃん」と同義なので省略される)。 瞞は「騙す」とか「欺瞞」などのようにネガティブな意味の漢字です。 こういうのは一般的に「凶名」とされますが、これが別に親が曹操が可愛くなかったわけではなく(可愛くはなさそうだけど)、一種の魔よけで、子どもは死にやすい=悪いモノに魂魄を狙われやすい存在と考えられていたので、そうした悪いモノに目をつけられぬようにあえてネガティブな漢字をつけるという風習が安徽省のあたりにあったらしく、その説が有力です。 ちなみにこの風習は各地で見られ、たとえば日本でもアイヌなどで見られるとのこと。 ちなみに曹操は他に「吉利」という幼名も持ってます。これは本人が自分でつけたとか何とかって話を聞いたような(ウロ。ごめんなさい調べてない) とりあえず、こういったように一般的に成人するまでは主に幼名で呼ばれていたと思われます。 3.字のつける時期 先述のとおり、字は成人になったらつけられるとされます。 『 《禮記.曲禮》上 “男子二十冠而字”“女子十五笄而字” 「男子は二十にして冠して字す」「女子は十五にして笄して字す」 つまり男子は二十で加冠して字をもらい、女子は十五で加笄して字をもらったようです。 加冠や加笄というのは、日本で言う所の烏帽子と髪結いの儀式に相当します。今で言う成人式ですね。成人すると男は髻を結って冠をつけ、女は髪を結って簪を挿しました。 ただし、規定では一応二十歳となっていますが実際どこまで守られていたかは不明です。たとえば孫策は成人前には初陣してたし、お父さんも亡くなったりしてるので、場合によっては二十歳を待たずに一人前と認められた時点でもらっていたケースもあったかも。あくまで推測ですけど。 4.字のつけ方 字の名づけは誰が行うのかはよくわかりません。 普通に考えれば親からだと思うのですが、烏帽子親みたいに他人からもらうこともあったのかもしれません。 また、自分でつける場合もあったようです。劉備や孔明は自分でつけたとかいう話を聞きました。調べてないので都市伝説かもしれません。 字のつけ方も無秩序ではなく、一応のルールというか、数種類のパターンがありました。 ①同義反復 ②反義相対 ③連義推想 ④書物などの一節 ⑤排行 とりあえずポピュラーなところで5種あります。 (項目名を押せば各項目へジャンプできます) ①同義反復----------------------------------------- :名と字の漢字が同じ意味をもつパターン。 【例】 孔子の弟子の宰予は、字を子我。「予」と「我」は同義です。 孔明は諸葛「亮」字「孔明」。「亮」も「明」も共に「明るい」という同義です。 『説文解字』 亮,明也。(段注:“古人名亮者字明。”) 亮、明なり(段注:古人の名、亮なる者、字は明) ここからとって、ついでに頭に「孔(おおいに)」をつけて、「諸葛亮、孔明」となってます。 段玉裁の注によると、古に名前が亮で字が明という人がいたか、あるいは古代人の一般的な名づけパターンだったか的な感じです。 あと忘れてはいけないですが、同じく『説文解字』に、 瑾瑜,美玉也。 瑾瑜、美玉なり とあります。この二文字を使っているのが皆様お馴染み周瑜、字公瑾です。 またこの逆のパターンが周瑜の同僚で諸葛孔明の兄の諸葛瑾、字子瑜です。奇遇! ②反義相対----------------------------------------- :名と字が正反対の意味(対になる)パターン 【例】 晋大夫の趙衰(減少の意)は字子余(多いの意)。 唐の王績(功績の意)の字は無功(功が無いの意)。 呂蒙(暗いの意)の字は子明といった感じです。 しかしいくら反義といっても何故あえてネガティブな名をつけるのかは不明です。 ③連義推想----------------------------------------- :名と字の一字が連想ゲーム 【例】 趙雲は字が子龍。「雲」と「龍」です。『水滸伝』の公孫勝の二つ名「入雲竜」もそうですが、龍は空を飛び、空には雲があるというイメージですね。 関羽は字雲長。「羽」と「雲」です。 張飛は正史では益徳ですが、演義で翼徳になってる理由はこれかもしれません。「飛」と「翼」の方がしっくりくるので。 ④書物の一節などから -------------------------------- :老子などの有名な書物の一節から一字ずつとってつけるパターン。 【例】 劉備の字は玄徳。一説には『老子』が由来とされています。 『老子』 生じて而も有せず、為して而も恃まず、長じて而も宰さず、是を玄徳と謂う。 ちなみに中研院のサイトで「玄徳」で検索したら以下の2つヒットしました。 『尚書』虞書 舜典 曰.重華協于帝.濬哲文明溫恭.允塞.玄德升聞.乃命以位. 『朱子語類』巻六十八/易四/乾上 ・・・九三為『玄德升聞』時・・・ 後者は前者の内容に関する記なのですが、続きを読んでいくと「玄」は「真」であるという一文があります。 (天子になるべき)「真」の「徳」を「備」えているのは自分だ、と暗喩してたのなら面白いですね。 また、曹操もこのパターンになるようです。 『荀子』勧学篇 生くるも是に由り、死するも是に由る。夫れ是を之、徳操と謂う。 ここから名の「操」に合わせて孟「徳」とつけたとするのが有力説です。「孟」については次節で。 ⑤排行--------------------------------------------- 排行とは、ざっくり言えば同氏族内で同世代には共通する一字をつけるといった一定の法則のことです。 パターンは大まかに三つ。 1)順番を表す漢字+兄弟で共通の漢字 最もポピュラーな配列は「伯仲叔季」です。「孟仲叔季」の場合もあります。 日本で言うところの太郎・次郎・三郎・末吉みたいな感じです。 伯:長男 仲:次男 叔:三男 季:末子 有名な例をあげれば、司馬懿の兄弟「司馬八達」がいます。 上から順に並べると 伯達(朗) 仲達(懿) 叔達(孚) 季達(馗) 顕達(恂) 恵達(進) 雅達(通) 幼達(敏) 司馬懿は仲達なので次男ということが分かりますね。 2)順番を表す漢字+兄弟で異なる字 「伯仲叔季」の法則を用いながら、2字目は名との関連性を優先して、兄弟同士違う漢字をつけているパターンです。 有名なのは孫堅の息子でしょうか。 伯符(策) 仲謀(権) 名と字の2字目は同義反復になってます。 【策】竹簡をひとまとめにしたもの(冊書)。文書。天子の命令「政―」。 【符】竹などでつくり、文字を刻んで二つに割り、証拠としてもつもの「割―」、天子の勅命「―命」。 【権】ハカる。計画を立てる。 【謀】はかりごと。 ちなみに個人的には兄弟間で更に連義推想してるんじゃないかと思っているんですけどどうでしょう。 3)兄弟で共通の漢字+異なる漢字 例えば袁紹の息子はみんな字の1字目が「顕」。 曹操の息子も同様にみんな字の1字目が「子」。 このようなパターンです。 一応、中国サイトで調べた排行の説明を挙げます。 《儀禮.士冠禮》:“曰:伯某甫,仲、叔、季,唯其所當。”鄭玄注:“伯仲叔季,長幼之稱。” 漢班固《白虎通.姓名》:“《禮.檀弓》曰:幼名,冠字,五十乃稱伯仲。《論語》曰:五十而知天命。稱號所以有四何? 法四時用事先後長幼兄弟之象也。故以時長幼號曰伯、仲、叔、季也。伯者,長也。伯者子最長,迫近父也。仲者,中也。叔者,少也。季者,少也。適長稱伯,伯禽是也。庶長稱孟,以魯大夫孟氏。” 『儀礼』士冠礼によれば「伯は男子の尊称である。仲・叔・季はそこに因んでこの字を当てているだけ」とあり、鄭玄は「伯仲叔季は長幼の称」であると注しています。 また漢の班固の『白虎通』姓名は、「『礼記』檀弓に「幼名から元服により字となる。五十は伯仲と称す」とあり、『論語』に「五十才にして天命を知る」とある。4つの称号の由来は四季、物事の順番、兄弟の順序にちなむ。時に長幼を表して伯・仲・叔・季の字をあてる。伯とは長のこと。伯は一番上の子供であり、父親に最も迫(接近)するからである。仲は中のこと、叔は年少のこと、季も年少のこと。嫡出の長男は伯と称する。伯禽はこの例である。庶子の長男は孟と称する。魯大夫の孟氏がこの例である」と言っています。 ちなみに四季における「伯(孟)仲叔季」の用例に「孟夏(立夏)、仲夏、季夏」があります。 ここから、「伯」と「孟」はともに長を表す字となっていますが、字においては両者は全く同じものではありません。 それが「適長稱伯」と「庶長稱孟」の部分です。「適」=嫡子、「庶」=庶子、「長」=長男です。 つまり正妻の子供であれば「伯」、妾や側室の子供であれば「孟」という区別があったとされます。 このため、曹操を正妻ではなく妾腹の長男と見なす説もあります。ただしこれは100%のルールではないので、あくまでそういう可能性があるという話に留まります。 (2006年11月2日) 本題:郭嘉氏の字の意味 すみません、実はこれが本題です。 字の1字目ですが、先述の伯仲叔季以外にもお決まりの漢字(子、元、公、文など)があります。 しかし「奉」は何となく少数派な感じです。有名人では少ないだけかもですが。 分かる範囲で、三国時代に字に「奉」がつく人は、郭嘉(奉孝)、呂布(奉先)、荀粲(奉倩)、劉理(奉孝)の4人です。 奇遇なことに劉理(劉備の三男)は同じ字です。もしや意外とよくある字なんでしょうか。 しかし4人だけだと考察しようにもあまり参考になりません。人名辞典を見たんですが、時代を下っても割と少ないのです。 伯仲叔季みたくそれ自体に意味があるのかとあたりをつけて検索かけまくったのですが、それらしい記述は見つかりませんでした。 ちなみに中国の質問板で『伯仲叔季というけれど、じゃあ郭嘉字奉孝と呂布字奉先はどう説明するの?』的な質問がひとつ出てましたが、残念ながら明確な答えは出てませんでした。がっかり。 ただそのうちである1人が答えるには、 呂布の場合: 【布】古代の銭 【奉】《説文解字》によれば「俸」と同意義。 つまり金がらみでは、という説。 対する郭嘉氏については『礼記』だったかそのあたりを持ってきてましたがこじつけっぽい内容だったので割愛。 確かに呂布は金がらみっぽい気がしないでもないです。英雄記によると「本出自寒家」とあるので、貧しい家の出だったようですし、子供にお金な名前をつけることもあるかも。切実。 でもこの場合は「奉」だけじゃなく「先」の意味も見るべきじゃないかとも思うんで(個人的にあざなは2字目のほうがより重要っぽく感じる)安易には判断できません。 案外何も考えずにテキトーオチもあるので、結論ありきで考えないほうが良いかもですね。 呂布はさておき、問題の郭嘉氏がどの法則に当てはまるか考えてみます。 ①同義反復 × ②反義相対 × ③連義推想 △ 候補)「善」つながり ・嘉→《爾雅》「嘉,善なり」 〔成語〕「嘉言善行」 ・孝→《説文解字》「孝,父母に善事する者(こと)。」 嘉=善=善行=親孝行ということ? なお奉と孝の関係で調べると、「孝養」という単語が「父母を奉養する」というのと同義のようです。 もう一つ言えば、奉・孝両方とも「祭祀」の意味もあります。 しかし毎度おなじみ『説文』では、嘉は「美なり」なんですよね。人を形容する場合は「佳人」と同じく「美しく器量よし」。それで「親孝行」。余計に分からなくなってきた。 ④書物の一節 色々見てみましたが、諸子にはそれっぽいのはありませんでした。 →追記1(ジャンプ) ⑤排行 最後の頼みの綱。ここに至るまで今のところ明確な結論が見出せないので排行の可能性を探ってみます。 この時代「奉」がつくのは確認できるだけで4人程度です。しかし4人いるっていうことは100%じゃなくても、兄弟の関係をあらわしている可能性も否定できない。と思いたい。 というのも、荀彧の息子の字がきっかけなのですが。 彼には全部で息子が5人いますが、上から順に並べると↓となります。 長倩(惲) 叔倩(俁) 曼倩(詵) 景倩(顗) 奉倩(粲) 見てお分かりのとおり、字の2字目は共通の「倩」になってます。 典型的な排行です。排行は儒教の規定。さすが敬虔な儒家であったとウワサの荀彧氏。きっちり教えに則ったのでしょうか。 当時として排行がどの程度の儒教ルールだったのかは不明ですが……とりあえず注目は1字目。 「長、叔、曼、景、奉」と来てます。 長は長男です。伯、孟以外で長男を表す字に入ります(長子の意なので分かりやすい) 仲が飛んでいますが叔でも長幼の流れは同じ(もしや仲のつく子供が夭折してた?) 三男以降はよく分からないのですが、有名ではなくともこれもまた順序を表しているとか? ナルホド、五男か……(妄想中) 妄想中につきしばらく余談をお楽しみください。 もう一人の奉孝こと劉理の話です。 劉備の三番目の息子です。あまり知られてませんが。 一番目は劉禅(公嗣)、二人目は劉永(公寿)です。 不思議なことに、兄二人は字に「公」がついているのに、三番目の劉理だけ「奉」です。意味深です。 このため異母兄弟説を主張する人もいます。 長男・劉禅は劉備が荊州に身を寄せている時に甘夫人との間にできた子どもというのは、多分確実。 次男・劉永は穆皇后説がありますが、字の関係から甘夫人説も。 そして三男・劉理ですが母親が全く不明です。穆皇后の養子になったという点から考えれば、少なくとも表向きは穆皇后の子ではないということです。 個人的には兄二人が甘夫人の子で、劉理が異母説がしっくりくるかな。 さてこの三人、字の2字目はわりと分かりやすいです。 劉「禅」、公「嗣」 受禅(位を譲り受ける)と後嗣(跡継ぎ)ってところですかね。 劉「永」、公「寿」。 まんま永寿。長生きしてください。 って思ったら、Wikiに『彼の没年は不明だが、かなり長生きし、天寿を全うとしたと思われる。』とありました。 長生きしたんだね。名前の効果でしょうか。 劉「理」、奉「孝」。 「孝を以て天下を 『孝經』序:「昔者明王以孝理天下也。」 しかしこの方、なんと29歳でお亡くなりに。「奉孝」とつけると早く死ぬジンクスでもあるのか? 結論:郭嘉氏の字の由来 結論参ります。 ①「とりあえず孝行しろ」系 ②知らぬ排行パターンで何番目か。 ③何かの経典に載ってた。 ④ゴメン、実は何も考えてない。 ⑤実は誰にも分からない深い意味が。 のどれかと! つまり分からなかったメンゴ かくなる上はお好きなパターンで妄想してください。 (2006年11月3日) 追記1:書物系で調べて見ました。 大漢和辞典を片っ端から見てみたところ色々出てきたのですが「どれ」と確定できません。 とりあえず最もありえそうかな?と思ったのはコレ↓ 『説苑』建本「孝行成于内,而嘉號布于外」 孝行を内に成し、而して嘉号を外に布く うまく訳せないんですが、要は家ではよく親孝行をし、外では(よい行いで)名声を広めるとか、親孝行すれば名声が高くなるよとか、そんな感じ。 【嘉号】立派な名前。善い名前。 【説苑】劉向(前漢)撰。君道・臣術・建本・立節・貴徳・復恩の20巻に渡る儒教書。散佚していたのを曾鞏(宋代)が復元した。 これ以外でピンとくるものはありませんでした。残念。 ちなみに、後漢に劉嘉という人がいて、この人の字が孝孫だったりします。 なので、当時の価値観でいえば「嘉」と「孝」は繋がりがあったのかもしれません。 熟語でも「嘉」と「孝」で共通しているものは結構ありますし(孝徳・嘉徳 孝善・嘉善 孝享・嘉享 孝子・嘉子etc) ところで「奉」を調べていると「奉先」がちらつくんでこの際一緒に調べました。 「奉先」はそれだけで「先を奉ずる」、つまり祖先を大切に敬いたてまつるという意味になります。 『書経』太甲中に「奉先思孝」という一文があり、「先を奉ずるには孝を思い…」、つまり「祖先に仕えるにあたっては孝であることを心がけ…」(新釈漢文大系)という意味になります。 (2006年11月9日) 追記2 おまけの字篇 ①荀彧とその兄弟・息子 ②陳羣。 まず①、荀彧ですが、祖父、父、本人と親子三代揃ってスーパースターです。 祖父は「神君」とあだ名され、父は荀氏八龍と冠される才人、荀彧もまた非常に尊敬された名士でした。 おまけに敬虔な儒家一家(決めつけ)ですから、字も結構法則性があって分かり易いです。 てなわけで荀氏祖父から。 ◎神君 【荀淑(季和)】荀彧の祖父。 季が付いている所をみると、四男か末っ子。 ◎荀氏八龍 【荀倹(伯慈)】荀淑の長男、荀彧の伯父。 朗陵の長になったが、早逝したそうです。 伯だから長男。 【荀緄(仲慈)】荀淑の次男、荀彧の父。 66歳で没。 仲だから次男。 【荀靖(叔慈)】荀淑の三男、荀彧の三叔父。 礼を弁えた人で、玄行先生と呼ばれたそうです。また、荀爽とならんで「慈明外朗、叔慈内潤」と評された人。50歳で没。 叔で三男。 【荀燾(慈光)】荀淑の四男、荀彧の四叔父。 孝廉に挙げられ、60歳で没。 「燾」が「あまねく覆い照らす」《説文》なので、光と同義か連義。 【荀汪(孟慈)】荀淑の五男、荀彧の五叔父。 昆陽令を経歴し、60歳で没。 「孟」というところを見ると、もしかして庶出の長男? 【荀爽(慈明)】荀淑の六男、荀彧の六叔父。 董卓に召され、95日で三公になったそうです。63歳で没。 「爽、明なり」《説文》とあるので、同義反復。 【荀粛(敬慈)】荀淑の七男、荀彧の七叔父。 舞陽令を経歴し、50歳で没。 「粛、敬也」《廣韻》。『説文』にも似た記述がありますので、ここでもやはり同義反復。 【荀旉(幼慈)】荀淑の八男、荀彧の八叔父。 司空掾を経歴し、70歳で没。 幼なので末っ子。 以上見ての通り、『慈』共通の排行です。 1~3、末っ子には長幼の順を現す一字を、それ以外の間の子供には、名との同義反復で一字をつけているのが分かります。 ◎荀倹の子供 【荀衍(休若)】正史によれば第三子。 「衍」は水などが溢れ、流れ行くさま。広まりゆく様。「休」は止まる様。反義相対か。 また「衍」には美しいという意味もあり、「休」は「美善なり」《集韻》とあるので、もしかすると同義反復。 【荀諶(友若)】正史によれば第四子。『荀氏家伝』では荀彧の兄、三国志では弟、三国志演義では従弟とされている。 「諶」は「信なり,誠なり」《爾雅》。「友」には「友諒(まことをともとす)」という二字熟語があり、信実で裏表なく、少しの偽りのない人を友とするという意味。 おそらくここでは語句からそれぞれ一字取ったもの。 【荀彧(文若)】正史によれば第五子。言わずもがな我らが張子房。 「彧、文なり」《廣雅》とあるので、同義反復。ちなみにこのほかにも、名が彧で字が文若って人が後世に二人います。荀彧さんにあやかったとかだったら面白いですが、単によくある組み合わせとかだと切ない。 また正史によれば荀彧には、上にあと二人(長男次男)兄がいるっぽいんですが、なぜか名前が残ってません。 ただ、二人の字にも「若」がついていた可能性は高いはず。 この人たちは「若」を共有した同義・連義・反義の排行のようですね。これくらい分かり易いと苦労はないんですが。 ◎荀彧の子供 【荀惲(長倩)】第一子。長=長男。 【荀俁(叔倩)】第二子。叔=次男(?) 【荀詵(曼倩)】第三子。「詵」は数が多い様、「曼」は長く続く、広がりゆく様(曼延など)。 【荀顗(景倩)】第四子。「顗」は静か、安静。「景」は光、景色。 【荀粲(奉倩)】第五子。「粲」は白い米から転じて輝く様。「奉」はまんま祭祀や奉るの意。 「倩」は男子の字につける美称のようです。と載ってました。 ここで言えることは、この兄弟は名と字の間に関連性が見えないということです。 とりあえず「倩」共通で、長幼の順を現す漢字を一字貰っているようなそうでもないような。 共通の一字なんですが、折角なんで「慈」と「若」も調べてみました。 ●「慈」は「愛なり」《説文》。主には父母に対する慈しみ、すなわち孝敬奉養を言うみたいです。 ●「若」は「敬順なり」《傳》、「順なり」《爾雅.釋名》とあり、英語だと“be obedient to”。意味を調べると、「従順な、素直な、言うことを聞く」。 以上二つをみると、どちらも「孝」すなわち儒家的な親子関係を表わしているような……そんな感じ。 そういう意味では「奉」もそれ系かも。 儒家的というか礼というか、そこあたりの意味合いで選んでいたのかもしれません。 ②陳羣の字 陳羣は字長文。結論を言うと全然分かりませんでした。メンゴ。 【羣】群。ものが多い様。大量な様。 【長文】文徳に長じている、みたいな(ウロ覚え…) 問題は「羣」なんですよね。何故またこんなポジティブでもネガティブでもない漢字つけたんだろう。 超解釈すると、「群書」で「長文」。まんま書の群れに長い文。 でもこの「長」は「長男」の意かもしれない。 とすると重要なのは「文」のほうになるのですが、字義が多すぎて特定しにくく決め手がないです。 (2006年11月11日) ※更に追記:視点を変えて考えてみました。 羣: 『説文』では「羣」=「輩」とありますが、康煕字典でもっと詳しく見ると大体以下になります。 【説文】輩也。【玉篇】朋也。【廣韻】隊也。【易・繋辭】物以羣分。【疏】羣黨,共在一處。【禮・檀弓】吾離羣而索居。【註】羣謂同門,友也。 又【詩・小雅】或羣或友。【傳】獸三爲羣。【禮・曲禮】大夫不掩羣。【疏】羣謂禽獸共聚也。 又【詩・秦風】〔人+戔〕駟孔羣。【鄭箋】孔羣,言和調也。 又〔糸是〕羣,山名。【後漢・五行志】出呉門,望〔糸是〕羣。 又羣羣。【李嘉祐詩】荻花寒漫漫,鴎鳥暮羣羣。【楊方・合歡詩】不見佳人來,但見飛鳥還。飛鳥亦何樂,夕宿自作羣。 この中で目をつけたのが『玉篇』の「朋なり」。 『玉篇』自体は成立の時代が三国から大分下ってしまうのですが、他にも『書経』の『伝』(馬融が記したやつかな?)にも「朋、羣なり」とあるので、三国時代にも「羣=朋」はあったでしょう。 今度はこの「朋」を引いてみます。 朋: 漢典サイトには「朋」の『説文解字』項がないので、『康煕字典』の方に載ってたのを見ます。 ○按《説文》古鳳字,古文鳳。象形。鳳飛,羣鳥从以萬數,故以爲朋黨字。 つまり古では「朋=鳳」。鳳の飛ぶ時は、たくさん群れだって飛ぶことから「朋」の字をあてたということなのですね。 次に「鳳」を調べてみることとします。 鳳: 『説文』では「鳳」は普通に「神鳥なり」という説明しかありませんので、『康煕字典』の方を見てみました。 全部引っ張ると長いので、目に付いたところだけ抜粋します。 【山海經】丹穴山,鳥状如鶴,五采而文,名曰鳳。 注目は「五采而文」のところです。鶴のような形状で、「五采にして文」な鳥のことを「鳳」と言ったとあります。 「五采にして文」の意味が不明なので、中央研究院のサイトで『山海経』から「五采而文」を検索。 又東五百里,曰丹穴之山,其上多金玉.丹水出焉,而南流注于渤海.有鳥焉,其状如鷄,五采而文,名曰鳳皇,首文曰德,翼文曰義,背文曰禮, 膺文曰仁,腹文曰信.是鳥也,飲食自然,自歌自舞,見則天下安寧. 「五采にして文する」。「五采」は五色(青・赤・白・黒・黄)のこと。「文」はここでは「文様を描く」または「彩る」とでも訳すのでしょうか。ともかく鳳の身体には五色の「文」があり、「首・翼・背・膺・腹」がそれぞれ「徳・義・礼・仁・信」を表している、と。 この「徳・義・礼・仁・信」は里見八犬伝でも有名な「仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌」のうちの五常の徳によく似てますね。八徳も五徳も儒家くさい考えですから、鳳の「五文」もきっとそこらへんが関わっているのかも。 結論: 「羣」=「朋」=「鳳」&儒家的五色の「文」 長くなりましたが、つまり「鳳」が接点なんじゃないか、という結論でした。いかがでしたでしょうか。ここまで考えてから思いましたが、陳羣のお父さんとかおじいちゃんとかこんな複雑なこと考えて名前つけたんでしょうか。怪しいな。我ながら凄いこじつけくさい。まあ妄想のタネにでもなれば。 (2008年6月24日) |