城の内部には街が広がっている。農民や下層庶民は多くが城外に住むが、城内にも住む人はおり、家や店などの建物が立ち並んでいる。普段は出店や人々の往来でにぎわうであろう石の敷き詰められた通りも、この時刻では人っ子一人いない。夜間の外出は通常厳しく制限されており、届出なくしてウロついていれば、捕吏に厳しく罰せられる。
 どこからか犬の遠吠えが薄蒼い夜道に響き渡った。
 ウーミンは街に降りると、一度足を止めて左右を見回し、適当な方に見当をつけて走った。計画を実行に移す前にまずやらなければならぬことがある。縦横無尽に走る通りを進んでは、目的のものを目指して東西北南をひたすら駆けずり回る。
 さほど珍しくはないからすぐに見つかるはずだと踏んでいたが、思惑外れて中々見出せない。あまり流行ってないのだろうか。
 何度か往復を繰り返し、ようやく目当ての建物を探し当て立ち止まった。にやりと口角を上げる。瞳がいたずらを企む子供のように光った。
 鎖錠の上に掌を当て、ふと息を深く吸うと、気合とともに鋭く吐いた。小さな響きと共に銅製の錠が割れ落ちる。そのまま扉を押し開けた。躊躇いなく潜った入口の上には、『布』と描かれた看板が月光を仄かに反射していた。
 勝手に燭台を借りて火を点し、肆内であらかた必要なものをそろえると、ついでに大きめの布袋を頂戴してそれらを包み、コソ泥よろしく肩に背負う。木造の肆から出て顔を上げて遠くを仰ぐ。闇夜にそこだけ墨で塗りつぶしたように浮き上がる建造物を認めた。
 将軍錬乂と、その配下の文武の官がいる居城である。
 瞳を細める。少し遠くへ来過ぎてしまったようだ。

(ぎりぎり・・・・・・かな)

 肩から落ちかけた嚢を背負い直し胸の内で呟くと、ウーミンは勢いをつけて地を蹴り、屋根へと跳躍した。体重を感じさせずに軽やかに飛び乗り、城の方角へと駆けた。屋根伝いに家々を飛び移る。道のりを無視できる分、通りを走っていたときよりも何倍も早い勢いで進んでいく。一度だけ老朽化した瓦を踏み抜いたらしく、足を滑らしそうになったが、何とか踏みとどまり、ついでに砕けてしまった瓦をそっと元の位置に戻して、颯爽と去って行った。




 ウーミンが赴いたのは、城門から西寄りにある下級兵の官舎である。夕燕城の城内に詳しくはないが、官舎は大人数を収容するだけに特定しやすい。予め城壁の上から当たりをつけていた場所へ行けば、果たして味気ない土色の版築の棟か並んでいた。
 入口には一棟につき一人、見張りが立っている。いや見張りと言うよりは、何か緊急事態が起こった時に兵卒たちをたたき起こす役なのかもしれない。
 ウーミンは気配を消して、その見張り兵に近付いた。忍び足で背後に迫ると、そっと両腕を伸ばす。

―――!?」

 突然口をふさがれた兵は驚きに呻き声をあげかけるが、ウーミンは間髪いれず兵の後ろ首筋を右手指三本で掴み、延髄のある点穴を強く圧した。
 瞬間、兵は目を見開き、そしてゆっくりと閉じた。身体全体が弛緩し、崩れ落ちる。死んではいない。失神しただけである。明日まで意識が戻ることはないだろう。

(っとと)

 倒れそうになる兵を慌ててウーミンは後ろから支えた。

(お、重・・・・・・)

 痩躯のウーミンを遥かに上回った図体と重量に、危うく一緒に倒れ込みそうになりながらもなんとか足を踏ん張って堪える。そのまま建物の影へと引きずって行き、抱えていた兵を置くと、おもむろに着ていた鎧を剥ぎ取って素早く己の身に付けていく。仕上げに銅盔(かぶと)を目深く被った。
 準備が完了し、よし、と満足げに頷く。元の持ち主との体格が合わないせいか、全体的に所々スカスカした気分だが、今更そんな事は気にしていられない。身包み剥がされて横たわる哀れな兵をちらりと一瞥すると、悪いねと舌を出してその場から立ち去った。




 棟はすべて二階建てで、渡り廊下をはさみ左右に室が並んでいる。兵卒達は通常、何人かにまとまって一室で寝起きしている。
 ウーミンは手始めにまず、一番手前の室に入った。十数人の兵士達が寝ている。宿舎というだけあって、こちらには簡易ながらも縦に二段、しっかり寝台が用意されていた。基本戦場参加の多いウーミンは、陣幕の中の情景を思い描き、あまりの違いに目を半眼にしなんともいえない笑いを浮かべる。
 兵達はウーミンが入ってきたことにも気づかず、眠りを貪っていた。どこかからか「お前ー・・・・・・」という寝言も聞こえてくる。女房の夢でも見ているのだろうか。今まさにこの時に戦をしている割には緊張感のない室だった。
 気を取り直し、ウーミンは声を抑えて呼びかけた。

「おい、起きろ」

 何度か呼びかけを繰り返すと、男達が身動いだ。先程の危機感の薄い寝言からして、もしや叩き起こさねば覚醒せぬかと杞憂したが、そこはさすがに訓練された兵。すぐに目を覚ましてくれる。
 ウーミンは起き出した兵卒達に、唇に人差し指を当てて静かにするよう示した。彼らは突然の侵入者に一瞬警戒を示すものの、ウーミンの纏っている鎧を一瞥するや、すっかり仲間だと信じ込んで態度を和らげる。室は暗くおまけに顔は銅盔に隠れていてよく見えないため、見慣れぬ顔だな誰ぞ名を名乗れなどと言われる心配もない。
 ウーミンは緊迫感を演出するため努めて厳かな声色をつくり低く告げた。

「上からの伝令だ。危急かつ極秘の内容ゆえ、余計なことを言わず、速やかに指示に従うように」

 隊か宿舎ごとに伝令役が決まっている可能性がある。それに備え、あらかじめ臨時であることを言っておいて、不信感を抑える。緊急という箇所を特に強調することで、逆にそちらの方に兵の意識を集中させる効果も狙っていた。
 案の定、緊急と聞いて男たちの顔色が変わる。

「一度しか言わぬからよく聞け。今宵、内より謀反が起きる」

 兵卒たちの間にどよめきが走った。ウーミンはすかさず人差し指を唇に当てしっ、と制して、

「静かにしろ。極秘だと言っただろう」

 騒めきがぴたりと止まる。声は抑えられているが、そこから滲み出る切迫した気配に、彼らはことの深刻さを認識したようだ。顔を引き締め、無言で“伝令”に耳を傾けている。
 その変化を目深にかぶった盔の下から眺め、ウーミンはここぞとばかりに声に力を込めた。

「内通者が出た。慶と内応して叛乱を起こし投降するつもりらしい。しかし奴らはこちらに計画が漏れていることにまだ気づいていない。だから主公達はその夜襲を逆に利用して罠にはめようと考えている」
「回りくどい事を。そんまンましょっぴいちまえばいい」
「直前に入手した情報ゆえに猶予が無いのだろう。それに、表立って内通者の摘発を行えば、幾人かは警戒して尻尾を隠し、捕り零すかもしれない。一滴残らず搾り出すにはいっそ行動を起こさせてからの方がいいそうだ」

 詭弁である。錬乂とて内紛などして兵を疲労させるような真似は望まないだろうし、ただでさえ兵力では劣勢なのだ。なるべく自軍の兵は減らしたくないはず。無為に反乱を起こさせるより、事前に摘発した方がまだ無駄な力を使わずにすむと言うものである。
 しかし兵の多数は、満足な教養を受けていない平民達である。こうもっともらしく言われれば、なんとなくそのような気になってしまうのだ。
 一同の眼差しを感じながらウーミンは続ける。

「だが何しろこの暗闇だ。同じ兵装では敵味方の判別ができぬし、同士討ちになってもまずい。だから『これ』を」

 そうして袋の中から取り出す。出てきたのは、黄色い布だった。

「どこでもいい、鎧の分かりやすい部分につけるんだ。この色だったら夜闇でも目立つ」

 男達が納得したように息を吐いた。成る程、と言う小声が聞こえる。
 手応えを掴み、ウーミンは心中でほくそ笑む。先ほどの布屋で盗んできたのはこの手ぬぐいほどの大きさの黄巾だった。
 ウーミンは反物を小剣で人数分に切り分けて配りながら、注意を発した。

「すぐに外に出られる用意をして、合図があるまで待機していろ。敵方に感づかれてはまずいから、絶対に物音を立てるな」

 男達は神妙な面持ちで頷いた。布が行き渡るのを見届け、ウーミンは次の室に行くべく踵を返す。
 が、部屋から出かけてふと止まり、振り向いて念を押すように言った。

「いいか、黄巾のない者が敵だ。くれぐれも気をつけろ」

 そうして次の室へ行き、また同じ事を行う。これを繰り返して、棟全体に情報を行き渡らせた。一棟終えると外へ出て、今度は堂々と走って次の棟に向かい、また同じ説明をする。
 ただし一つ2一つの棟で同じことを繰り返していれば、あっという間に夜が明けてしまう。時はそんなに待ってくれない。
 そのため次からは入り口の見張りに緊急だと言って偽令を伝え、黄巾を手渡してその棟内の兵卒への説明を任せた。こちらの方が、兵卒達も見知った仲間の口から聞くこととなるから、却って疑心を減らし信用を高められる。正しく内容が伝わらない恐れもあるが、そこは訓練された兵士。忠実な情報の伝達を期待しよう。
 そうして大体棟の半数に黄巾を配り回る。
 一室にはおよそ20人が収容されており、それが一階と二階それぞれに25室あるので、一棟につき千人ほどいる計算になる。城内の尭軍は総勢6万であるから、その半数だと少なくとも30棟は回ったことになる。さすがに骨が折れた。だがウーミンは休むことなくことなくまた次の棟へと走る。夜はそんなに長くはない。時間が勝負だった。
 31つ目の棟からは、黄色い布を配らず、全く別のことを口にした。

「裏切り者による反乱が起こる」

 ここまでは同じである。しかし

「奴等は闇に乗じる際、同志を討たないように、目印として黄色い布をつけているそうだ」
「黄色い布?」

 棟の見張りは不思議そうに聞き返す。それに頷き返し、

「そうだ。だから黄巾を身に着けている甲兵が裏切り者だ。間違えるなよ」

 そしてもうひとつ付け加える。

「上層部の作戦では、挟み撃ちで一網打尽にするために兵卒のうち半分は東側に隠れることになっている。敵に感づかれぬよう移動中は絶対に音を立てるな。半数はすでに西側に待機済みだ。火の手が上がったらすぐになだれ込め」

 西側云々は嘘である。前の30棟の兵達には宿舎内で待機している。彼らには挟撃すること、そして兵の半数は東側に移動することだけは伝えてあるから、たとえ他の兵が外を移動するのを目にしたとしても騒ぐことはあるまい。
 たまに少しばかり頭が働き、疑念を呈する慎重な見張り兵もいた。曰く、それほど詳しく情報が流れてくるなどおかしいのではないか、と。敵側の策略ではないか。むしろお前の言うことを信用していいのか、というのである。
 ウーミンは焦りを見せずにこう答えた。

「俺は伝令にすぎないから判断できないね。だが裏切りはどこにでも落ちているもんだ。仲間の情報を売って手前の保身を図るなんざよくある話だ。あんただって少しくらい考えたことはあるんじゃないのか?」

 人間、どうしたって我が身は可愛いものだ。戦において敵方が有利だと感じると、密かに書簡を送り投降時の身の保障を懇願するなどということも決して珍しいことではない。図星だったか見張りの男は黙り込んだ。

「余計なことを考えるのは勝手だが、命令無視は厳罰だぞ。それによって要らぬ被害を被ったのだったら死罪は免れまい。まあその前に敵に間違えられて殺されるかもしれないがな。それでもいいというのなら好きにしろ」
 落ち着きはらして至極冷淡に言い切る。こういう時には堂々とハッタリをかますに限る。案の定これで大体の者が怯んだ。そそくさと動き、言われたとおりに動く。
 それを見て、ウーミンは胸中でこっそり安堵の溜息をついた。口八丁舌先三寸に自信はあるとはいえ、なかなか気を揉むものである。
 こうして約六万の全兵士に偽の伝令が流れる頃―――ウーミンは篝火によってできる影の間を上手く渡りながら、北門の近くまで来ていた。
 物陰に入り城門を覗き見る。そこに人の姿はない。門兵にもあらかじめ例の伝令を流してある。たしか『巾ナシ』の方だったか。まあそれはこの際どちらでもいい。とりあえず本当ならいるべきはずの門番が今はいないことが作戦の成功を示している。
 ウーミンは瞼を閉じると、地面に両手をつき耳を当てた。
 聴覚を研ぎ澄ますと、微かな響きが地を伝って聞こえてきた。東へ移動する兵士の足音だろう。
 しばらくその体勢のまま、振動が止むのを待つ。彼らが移動を終えてからでないと次手に移れない。
 無常に流れていく時間を気にしながら、辛抱強く待つ。
 そして。

(止んだ)

 バッと身を起こした。彼らが伝令通りに動いているならば、今この時に城門の東側に待機している筈。
 ウーミンは素早く立ち上がると、迷わず篝火の所へゆく。篝火を焚いている横に置いてある陶器の甕。その淵を両手で掴む。中に入っているのは動物からとれる膏脂だ。篝火の火が絶えぬように、薪と合わせて常に用意されているものだった。
 さすがというべきか、費用対効果の悪い膏脂がこれでもかと入っている。戦がどれだけ金をかけて行うものか知れるというもの。だが今は皺寄せの増税を厭う気持ちよりも、ありがたいという心地の方が強い。
 甕の中身を宙へと振りまいた。白っぽい膏脂が雪のごとく飛び散って地面に霜を降らせる。破片が自分にかからないように、後ろへと身を退いた。
 次に篝火の足へと手を伸ばす。
 ゆっくりと息を吸い、吐く。
 支柱が傾き、倒れる。
 篝火がぱちぱちと弾けて小さな火の粉を飛ばしながら、霜の上に落ちた。
 にわかに炎が立ち上った。熱気が顔を打ち、闇を押しのけるようにして辺りが一瞬で明るくなる。同時にウーミン自身の身体も、夜闇に浮かび上がらせられた。
 真っ赤な炎はすぐに広がってゆく。その勢いはまるで生き物のようだ。ウーミンは急いでその場から離れ、煙を吸わぬよう注意して大きく息を吸うと、大声で叫んだ。

「裏切りだ!! 叛乱だぞ!!」

 何度も繰り返し声を上げながら、次々と油甕と篝火を蹴り倒し引き倒してゆく。その度に火炎は勢いを増し、立ち並ぶ建物を呑み込んでいった。
 ごうごうと音を立て、恐ろしいまでの速さで町を侵食していく。
 巻き上がる黒煙を吸わぬよう、ウーミンは腕で口元を覆った。
 左右から騒音が近付いてくる。
 突然起こった炎に、宿舎内にいた兵士達と東側に控えていた兵卒達が、反乱と勘違いして動きだしたのだ。
 兵卒達は反乱だと言う声に反応し我先にと北門を目指して突撃していった。
 そうして、黄色い布を身につけている兵士と、つけていない兵士が出会う。

「裏切り者!!」

 互いに相手を指して非難し、得物を振り回してぶつかり合った。槍や矛や剣が入り乱れ、怒号と悲鳴が絶え間なく上がる。激しく燃え上がる火に人々は混乱し、味方同士で血を流し合い、戦う。
 炎は止まることを知らず地を這い、やがて建物を舐め、黒い煙がもうもうと立ち上る。驚いた民衆が家から飛び出して逃げ惑い、喧喧囂囂たる凄惨な光景が夕燕城を包み込んだ。
 突如起こった出来事に、城壁の上にいた歩哨たちも目を剥く。反乱だと言う叫びに慌てて来て見やれば、下では火事騒動が起こっている上に、何故か戦いが繰り広げられているではないか。何がなんだかわからずも、彼らも内紛と思い込み慌てふためく。
 城にいた錬乂をはじめとする武将文官たちは、程なく騒ぎを聞きつけて表に出た。遠くの惨状を目にし驚愕と動揺に戦く。彼らは分けのわからないまま、なす術もなくただ立ち尽くした。誰も、よもやこれがたった一人の男による仕掛けだとは夢にも思わない。完全にその策謀にはまったことも。
 一方その名の通り火付け役のウーミンは、騒ぎに乗じて城壁を登り、行きに来た道を逆に辿ってまんまと外へと逃げ遂せていた。
 城壁の上は歩哨全員が争いに向かったらしく、誰一人いなかったから逃げ出すのは至極容易であった。
 こうしてウーミンは、互いに味方同士で戦う尭軍の乱闘を背に、自陣へ引き返したのであった。
 一度だけ振り向いた空は、星の灯をも消す勢いで、赤々と燃え上がっていた。
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