そして、今はまさにその争覇の真っ只中にある。

「あらよっ……と」

 ウーミンは再び襲ってきた敵兵の槍の一突きをぎりぎりでかわす。そして続けざま背後からの剣撃をかがんで避けた。
 亜麻色に近い瞳を持った、痩身の若い男だった。やはり色素の薄い髪は髷に結い上げて巾に包んでおり、身を包む戎服は麻衣で、他の兵卒と変わるところのないごく普通の出で立ちだ。極めて美形というわけではないが程よく整っており、どちらかというと人好きする顔立ちである。
 それ以外は特別に目立った外見特徴のないありふれた青年だった。
 ただウーミンが戦場において他の兵と違うところ―――違和感があるのは、その腰に佩いた長剣。
 兵卒なら誰もが腰に下げているそれは、しかし鞘に収まったままだ。かといってその両掌に他の得物を持っているわけでもない。
 彼は剣を佩きながらも、全くそれを使用する様子がなかった。何なら、戦いの幕が上がってからまだ一度も抜刀していない。むしろ柄にすら触れていない。敵の攻撃にもただ身一つで避けるだけである。
 別に剣が鈍らなわけでも技量面で扱えないわけでもない。もとより使う気が更々ないのだ。
 反撃するわけでもなく人を食ったようにちょこまかと逃げ回る男に、得物を振り回す兵達はいい加減疲れと苛立ちが頂点に達したらしい。互いに目配せしあうと、一斉同時攻撃に出た。
 左右から挟み撃ちにされ、思わずウーミンは仰天の表情を浮かべて硬直する。
 その眼前へと、二つの刃が振り下ろされる。

 「うわぁ」

 ウーミンは情けない叫び声を上げて、なんとか逃げようと身体を捻った。左右両側からの挟撃なので、避けるには前か後ろへ行くしかない。
 そのどちらへともなく踏み出し、

 「どわっ」

 ふいに足を滑らせて思いっきり素っ転んだ。後ろに引っくり返る形で、無様に尻餅をつく。絶体絶命の危機。だが、状況は少し違った。
 あと少しで体真っ二つというところ、その絶妙な時機で発生した予想外の出来事に、不意をつかれ一瞬標的を見失った敵兵たちは、力一杯振った刃が空振りするまま思い切り体勢を崩した。なんとか転ばぬようにたたらを踏むものの、大きくよろめく足元は止められない。
 好機、とばかりにウーミンはその隙にあたふたと逃げ出す。
 二人の兵は獲物の逃亡に気づくと、何とか体勢を立て直し追いかけようとした。が、一瞬後にはウーミンの背は数多の兵士たちの間に吸い込まれ、結局見失ってしまったのだった。

 一方、上手く逃げきったウーミンはちらりと肩越しに後ろを見やった。
 あのしつこい二人の姿が見えないことを確認し、あからさまに安堵した。無事に危機から逃げ果せたことに肩の力を抜く。
 だが目前の敵を撒いたからといって安全になったというわけではない。当然ながら敵は次々に襲ってくる。
 一息つく間もなく、またも別の敵兵が飛びかかってきた。気合充分に槍先を突いてくる。
 ウーミンはそれをふらふらとかわし、「危ない危ない」などとぼやいて汗をぬぐう。
 鈍臭そうで、ただ必死に逃げ回っているようにも見えるが、やる気がないようでどこか楽しんでいる風情でもある。
 そういう調子でいくつか敵を受け流していると、ちらりと視界の隅に味方の兵の姿が入ってきた。
 剣を振りかざして懸命に奮闘している。なかなかの粘り強さであるが、応じる敵も負けてはいない。見たところ実力伯仲といったところか。一進一退してなかなか決着がつかないようだった。
 だがウーミンが気に留めたのは、競り合いをしているその後ろから、剣を構えて忍び寄る別の敵兵の姿だった。当の慶兵は目の前の敵に夢中で気づかない。
 どうやら挟み撃ちにして背後を獲ろうという魂胆らしい。
 ウーミンの瞳が一瞬だけ僅かに細められる。
 仲間の方を目端に捉えつづけながら、ウーミンは自分の目の前の槍兵に悟られぬよう、かけられる攻撃を避けつつ流しつつそれとなく移動していく。
 押されているかのように見せかけて、密かに、しかし素早くそこへ近づいた。そして奮戦するその味方兵との距離が狭まった所で、

 「うわぁ!!」
 「ぬおお!?」

 派手に蹴躓き、その拍子に脇から自分と同じ形の(よろい)をぐわしと掴んで、そのまま一緒に横へ縺れ込んだ。
 がしゃっと甲が重い音を立て、味方同士地面にもみくちゃになる。
 敵味方双方の顔に驚愕が駆け抜ける。
 間にいたはずの標的が消え、背後から襲い掛かろうとした兵の剣は正面にいた仲間を貫き、その兵自身もまた同じく向かいから刃に貫かれていた。
 信じられぬ出来事に向き合ったまま目を剥いた敵兵二人は、やがて血を吐いてゆっくりと倒れた。
 ウーミン達は地面上から呆然とそれを観察していた。最初に我に返ったのは、味方の男の方だった。

 「何すんだよお前!!」
 「いやあ、悪い悪い」
 「悪いじゃないだろ! 敵が偶然相打ちしたから助かったものの、ドジやって死ぬのは手前一人だけにしろ!!」

 我に返り、がばっと飛び起きて赫然と怒る仲間に、ウーミンはへらへらとすまなそうに笑った。片手で頭の後ろを掻いて謝る。
 あまりに情けない様子のウーミンに男は憤りを通り越して呆れの表情を向けた。だがすぐさま自分のいる状況を思い出すと、いまだ怒り収まらぬ顔のまま、こうしてはおれぬと立ち上がり、再び雄叫びを上げて果敢に敵兵に斬りかかっていった。すでにウーミンのことなど頭から消えたように、全く見向きもしない。
 ウーミンは座り込んだままその勇猛な後ろ姿を見送り、それからふと己の足元に目を向ける。
 彼が先程まで対峙していた彼の兵は、今目の前で蹲り、股間を押さえて小刻みに震えていた。男なら誰しも大体想像のつくその体勢は、思わず涙を誘う。
 先ほど転んだ拍子に、蹴り上げる形となったウーミンの足が『偶然』にも男の急所を直撃したらしい。
 さすがに少し同情の顔を向けた。

 「お気の毒さま」

 茫洋とした曖昧な笑みでそう呟くと、男が回復する前に、三十六計逃げるにしかずとばかりにその場から離れた。
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