此度の合戦の舞台となったのは、慶侯の領地から北西にあたる堯領の研州班菱(はんりょう)郡坤県である。
 慶軍が攻めているのは坤県に在する夕燕城(せきえんじょう)、守るのは堯将錬乂(れんがい)で、率いる軍は総勢6万。
 一方進軍している慶軍は元は20万であったのが、南征の途中で勝利をおさめるごとに敵軍を吸収し、その数は30万に膨れ上がっていた。
 数で言えばどちらが有利かははっきりしている。それゆえ、慶軍率いる戯孟は勝ち負けよりも速さにこそ重きを置いた。勝利は前提なのであり、戯孟の計画には「敗北」の字は端から組み込まれていない。それだけの自信が戯孟にはあった。それよりもいかにして局地戦に早く決着をつけるか。それのほうがはるかに重要な問題であった。
 その理由はもちろんただ一つ、大軍の遠征だからだ。
 長距離の遠征と連戦で、兵達も少しずつ疲れてきている。疲労は士気の低下に繋がる。
 そして何より食料。軍は兵数が多ければ多くなるほど有利ではあるが、逆にそれだけ多くの兵糧がかかる。戦が長引けば兵糧の問題は深刻になってくるだろう。古来より腹が減っては戦ができぬと言うように、空腹もまた士気に影響が出る。
 そうなる前に何とか先に進みたいというのが戯孟の思いであった。

 戯孟の目下の目的は、夕燕城を越した先、峰絽関(ほうろかん)にある。峰絽関は険しい山の連なりの間にある関所で、脇には漪水(いすい)という川がある。この河水は東の大陸でも一、二を争う大河・長河(ちょうが)の支流にあたり、峰絽関のある山の南北両面に滝口があり、それぞれ漪北川と漪南川として長河本流へと流れ込む。この地形に恵まれた天然の要塞を、戯孟は狙っていた。

 長河は大陸を東西に貫く長大な川だが、中央流域が大きくㄩ字型を描いて蛇行しており、堯地の西側にある大山脈を起点とし、緩やかに南進がって喬地へ、喬地で東進して胡地へ、胡地で更に直角を描いて北進し、慶地の東端を掠めながら最後は祁地に抜けて海に出る。すなわち慶地に流れるのは本流の東側と、そこへ合流する支流のみで、直接河を上っての行軍はできない。長河の南側から上って攻める行路は喬軍が請け負っていた。

 慶地からおよそ1200里(約500km)北進した先にある山間の峰絽関は、礼州と研州の境、すなわち堯領内にあり、山向こうの賀陽・千心へと抜けることのできる唯一の道だった。
 賀陽は長河の恩恵を深く受けた農作物に富んだ大地であり、貿易港を持つ要所としても知られる。そして千心は、峰絽関同様三方を厳しい山に囲まれた攻めに難く守りに易い自然要塞を成していた。
 山江に囲まれたこの二所を抑えれば、礼州は手に入ったも同然。その後は長河を上って、堯の都城である柳州都・寿陽(じゅよう)に攻め入ることも可能となる。
 この二要衡を抑えるには、まず峰絽関を落とさなければならない。そのため、進軍を続けていた戯孟は、峰絽関にいたる道程の攻略を真っ先に目指した。

 遠征決定にあたり、懸案事項が全くなかったわけではない。特に遠征中の他侯の動きである。特に背後にすることになる祁や胡だ。
 当然ながら戯孟の幕僚達の中には軍議でそう提言する者も少なくなかった。
 だがそれらの慎重派を抑え、進軍を強く奨めたのは、若くして孝廉こうれんに推挙され、長く戯孟の右腕として実績を収めている李洵(りじゅん)であった。官吏は伝統的に他人からの推挙により登用されるが、推挙の名目にも上下があり、孝廉はなかでも孝順かつ清廉な者が選ばれる最高位のお墨付きだった。
 李洵、字を鎮文(ちんぶん)と言う。早くから頭角をあらわし、同時に戯孟より最も信頼を受けていた謀官である。
 彼は並み居る幕僚達を前に、まずこう言った。

「祁や胡に対する恐れは無用です」

 杞憂だと断言され、反対派は色めき立ったが、だが李洵は言った。

「祁侯は優柔不断な男です。兵法を知れども機を見るに鈍であり、非常に疑り深い。麾下には優れた官が多くおりますが、こうした性格ゆえ彼らの進言を聞いても決断を下すまでが長く、人材を使いこなす器がない。祁侯は殿と旧交があるがゆえに殿の智謀を最も恐れており、殿が遠征を行っても罠を恐れて様子見に徹するでしょう。にわかに襲ってくることはありますまい」

 その言葉に押し黙り、それもそうだ、と納得する気配がいくつか出る。皇甫圭の元にいたことがあり、その人となりを知る者はここにも多い。
 一方で、すかさず幕僚のうちから別の声があがる。

「では胡は何とする?」
「胡侯は領内での小競り合いが絶えず特に先には地元豪族との戦いで被害も甚大と聞きます。当面は足元を固めることに注心せざるをえないでしょう。でなければこちらに軍を向けているうちにそれこそ身中の憂いに食われかねない」
「喬はいかがする。少数勢力とはいえ武勇に優れた彼奴らに隙を突かれては、こちらもただでは済まぬ」

 これにも李洵は澱みなく答えた。

「喬侯には同盟の打診を」
「ほう」

 興味深そうに呟いたのは、主の戯孟である。

「なるほど、同盟か」

 そうです、と李洵は振り向き、頷いた。

「して、どのように持ちかけるのだ?」

 主の問いに対し、李洵は片手を掲げ、よく通る声で歌うように述べた。

「占領地の割譲を条件とします。我が方と堯に接する喬はこの五つのうちで最も領地が小さく、人口の少なさと不毛の地の多さゆえに、税収に苦心している。より多くの、それも農耕に適した土地を欲しているはずです。おそらく断りますまい」
「だが山分けしてどうする。その後は?」

 天下統一を目指すというのに、それでは敵に塩を送るようなものではないのか。言葉の裏に、そういった意味合いが含まれている。

「盟約を果たさねば、今度は喬が我が方に攻め入ってくるでしょう。少勢とはいえ喬は智勇とも優れて高い。失礼ながら、遠征で疲労した殿の軍が致命的な打撃を受けるのは必定。ですからここはあえて約束通り占領地を二分します。こちらを」

 李洵は卓上に広げられた東の大陸の全土の地図を指差す。

「喬は我が慶のおよそ3分の2の広さ。当然ながら、仮に堯領の半分が加わったとしても、同分を加える慶領との差は縮まることはありません。喬はせいぜい胡に匹敵するだけ。しかし斯ようになれば、喬の東進を警戒し、胡も黙ってはいないでしょう」
「しかし胡は依然として内乱の平定で手一杯。万一にも喬から攻められる懸念があるならば、ここも盟約を結ぶのでは? やがて内部を固めた胡がこの同盟を用い、喬と協力して我が方に仇なさぬとも限らないように思うが」

 話を聞きながら戯孟は低く唸り、指摘する。
 李洵はこれに頷き返した。

「その可能性は十分にございます。そうなった場合、我らは祁侯と手を結ぶのです」
「皇甫圭の奴が頷くかな」
「応じる公算は高いと存じます。先ほど申し上げたとおり、祁侯は誰よりも殿を恐れておりますが、それは裏を返せば評価しているということ。更に矜持も高い。現胡侯の父は元々は祁侯の配下でした。胡侯のことも、所詮は元配下の息子の若造と侮っています。いかな優柔不断でも、旧友であり実力のある殿に手を貸すほうが利があることはすぐに計算できるでしょう。遠望よりも目先の安全をとるのが祁侯という男です」

 戯孟はにやりと笑った。彼自身も同じことを考えていたのである。
 己の右腕が信頼するに足る男であると改めて確信し、大いに満足した瞬間であった。

「さすがは鎮文だ」

 彼はそう言って立ち上がると、幕僚たちを一通り見回し、演出もかねてここぞとばかりに語気を強めて言い放った。

「儂の心は決まった。北征を開始する」

 そうして李洵を首席参謀として、戯孟は兵20万を率い、出陣したのだった。
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