迅速に決着を。
 だが、そう望む戯孟をあざ笑うかのように戦は一向に進まなかった。
 いつもならばこの程度の兵数であればすぐに潰せる。しかし敵もさすがに五雄の一と言うだけはある。なかなかにどうして、そう簡単には通してくれない。
 戦は五日目を迎え、敵方は数では適わないと踏んだのか篭城を決め込んでいた。当然想定していたことではあったが、それでもやはり一旦篭城をされてしまうと厄介なのである。
 城壁というのは強固で、なかなか攻めるのは難しい。特に堯の石造りはその堅牢さで有名だった。
 敵は時を稼いで援軍を待ちつつ、同時にこちら側を兵糧攻めにする心算なのだろう。常套手段ではある。向こうが潤沢な糧食を保持しているのなら尚更だ。数で劣る自軍の被害を抑えながら敵を追い込む。自身を損なうことなく、時という人の手には及ばない無常の存在が代わりに戦をしてくれるのだから、これほど有効なことはないだろう。

 堯軍は一歩も野戦に打って出る気がなく、進撃すれば上から岩や矢を雨あられのごとく降らしてきた。
 攻城戦はいわば粘りの戦いである。どちらかが根負けすれば、それまでだ。
 戯孟は兵糧長を呼び、あとどの程度食料が残っているか訊いた。
 果たしてあと何日もつか。
 戯孟は脳内で素早く計算する。
 進軍の道すがら確保はしていたのだが、遠征を始めてから大分経つ。途中兵糧隊が襲われたこともあり、初期よりはかなり少なくなっているはずだ。
 兵糧長の話だと、何とかやりくりすればひと月程度なら延ばせるということだった。それでもやはり時間の問題だろう。こうして二の足を踏んでいる間にも、糧食はどんどん少なくなっていく。
 さてどうしたものかと、戯孟は頭をひねった。




 ウーミンは手元の碗を見つめた。背後ではさっさとしろと怒鳴る調理兵の野太い声が響き、辺りには座り込んで無心に食料を貪る兵たちが多く屯している。その中で箸を片手に黙然と考え込む。
 粗末な焼きの碗の中は湯気を立てる粥に申し訳程度のおかずが浮いている。

 ―――また減ったな。

 明らかに分かるという程ではないが、勘のいい者ならすぐに気づくだろう。
 ひと一人が摂取する理想的な穀物の量は、1年を12ヶ月、ひと月を30日として、年に36斛(360斗)―――つまり1日につき1斗(約2L)とされる。 だが、実際に兵士に配給される食糧は1人につき1日穀物7升(約1.4L)が相場だった。
 しかも食糧が不足してくると、当然その配給量を少しずつ節約しなければならなくなる。その手段として、36斛を基準にその2/3、1/2、2/5、1/3というように配給量を少しずつ減らすやり方があったが、実際の兵の数やその時の配給量によってまたそれは変わってくる。
 具体な例を言えば、包囲されて兵糧が欠乏した場合、1日に2升(約0.4L)配給する日を20日、3升(約0.6L)配給する日を30日、4升(約0.8L)配給する日を40日と置き、合わせて90日を耐える法があった。
 だが一般的に老人や生活困窮者への福祉的支給が穀物5升(約1L)であることから鑑みれば、食糧支給は5升が生活の最低限である。
 それを下回る量は、昼夜体力を削っている兵にとっては辛い。
 まあ今のところは飢餓までは至らないが―――

「何だウーミン、進んでねえな」
「食欲がねーなら俺が食ってやるぜ」

 同じ隊伍の仲間が遊び半分に泥汗まみれの顔を覗き込ませてくる。

「結構、結構」

 伸ばされてくる箸を箸で弾いて牽制しながら、ウーミンは笑顔で碗を腕の内に抱き込んだ。

(こりゃ本格的にまずくなってきたかな)

 ウーミンは小首を傾げつつ、粥を啜った。
 戯孟の進軍はここまで実に順調だった。彼は武勇に関して勇猛果敢であると同時に、智謀についても抜きん出ていた。大胆な奇策で敵の目を欺き、あるいは士気を挫いて、自他軍の損害をほとんど出すことなく快勝してみせ、時には自ら最前線に立って―――さすがにこればかりは滅多なことがない限りしなかったが―――兵を鼓舞した。いっそ気持ちの良いほど鮮やかな快進撃だった。
 そして敵軍を下す回数に比例して慶軍の数も増してきた。戯孟は投降者に寛大であり身の安全を保障することで有名なので、呼びかけなどを行うだけで続々と敵兵たちが降りてきたのだ。それがかえって兵糧問題を加速させたともいえる。
 そうなることは戯孟とて先刻承知であったろうが、やめなかったのは、無論慈悲の心ゆえではなく打算のためだ。まずは純粋に兵力増強のため。そして敵が再び結束して襲撃しないよう監視下に置くため。加えて統制を失った敗残兵の無差別な略奪行為による領地の損害を防ぐため。端的に言えば人気集めの面もある。占領地の恭順を期待するなら人心掌握は不可欠であり、そのためには敵兵(みなごろし)とは行かないので、必然的に受け入れざるをえないのだ。
 一度進軍の途中で、軍律を破った輩がいた。戦の興奮のまま、寄った村で金品を強奪し住人に暴行を働いたらしい。彼らはいずれも投降兵たちだった。慶軍は軍律が厳格なことでも知られている。その程度を甘く見ていたのか、あるいはバレぬと思ったのかは定かでないが、進軍する戯孟の前に飛び出した村人の訴えで発覚し、戯孟はその場で当の兵卒らを引っ立てると、なんとその場で裁判を始めた。兵卒らを所管する伍長が呼ばれ、村側、兵側の目撃証言等を勘案して、村側の訴えが真であると判じると軍律に反した兵卒らを腰斬に処したのである。その後、村への賠償を約束するとともに自ら跪き謝罪まで行った。おかげで側近だけでなく村人たちまで慌てふためく始末だったが、おかげで禍根を残すこともなく万事解決した。
 もちろん戯孟は純粋な誠意だけでこれを行ったわけではない。少なくともウーミンは、見せしめと人心掌握の一石二鳥を考えたと見ている。すなわち慶軍にの軍律の厳しさと違反者の末路を兵に知らしめるとともに、敵地の村であっても義を通すことで民の好意を獲得したわけだ。つくづく計算高い男だと思う。

(まあ、そうは言いつつ全てが全て打算というわけでもなさそうだが)

 と心中で零し、おかずを咀嚼する。まあともかく、そうしたおかげで増えた兵を賄うのに糧食が足りなくなってきたのだ。
 まだ目立たない程度だが、そのうち徐々に、一回の食量が少なくなっていくだろう。少しくらいならいい。だが、あまり減りが際立つと、いずれ兵たちの間で不満が出てくる。
 それだけではない。不充分な食糧補給が招くのは、確実なる体力と気力の低下。
 ウーミンは静かに目を伏せる。
 さしもの戯孟も、これには頭を悩ませていることだろう。さりとてあまり悠長に考えている時間もなく焦っているというところか。
 たとえば近くに川などがあれば城を水攻めにするなどの策の取りようもあるだろうが、あいにくそんなに都合よくはいかないのが現実だ。
 ウーミンは何ごとか思案し、顔を上げた。
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