日が落ち、退却を命じる鼓が鳴った。
 戦場では日が暮れれば表向きの戦いは一時停止するというのが暗黙の了解となっている。誰が決めたわけでもないが昔からそうされてきた。視界が悪ければ戦えぬし、無理に戦って同士討ちになっても困るので、当たり前といえば当たり前だ。ただし夜襲の類は別段禁じられていない。
 自陣に戻ってきた兵達は夕餉の支度を始める。戦場なのだから当然自炊である。それぞれ自分の碗を持って簡易式の粗末な配給場に並び、決まった分だけの穀物と塩を貰う。基本的には米だが、時によって粟や麦であることもある。
 各幕の外では火を焚き、股木や枝を組み立てたものに巨大な鍋をつるして、その両際で兵士が大きなお玉を掻き回しながら食事を作っていた。味の良し悪しなどは元より誰も期待していないし、この際考えていられない。とりあえず腹に溜められるだけ溜める。空腹さえしのげればそれでいい。
 そうして食事を終えた兵達は、号令に従って点呼を行い次々に天幕の中へと戻っていく。
 ウーミンも自分の幕に向かいかけ、ふと立ち止まり陣営の中心にある幕に目をやった。
 まわりの幕より一回りほど大きいそれは、主戯孟の使う主幕である。現在入口の幕は降ろされているが、おそらく今あの中では参謀達との話し合いが行われていることだろう。

(もしこのまま膠着状態が続けば、いずれ光都から兵糧を運んでもらうことになるだろうな)

 光都は、元は光陵と言う名の慶の都城である。現在帝を当地で擁護しているため、実質的な韓の都となっている。
 食糧を輸送するのは輜重隊と呼ばれる輸送部隊だが、この輜重というものはなかなか扱いが厄介だった。
 兵糧を運ぶのはただでさえ相当の作業だが、こと大軍での遠征ともなれば輸送は更に困難を極める。  遠征軍は敵地に侵入するため、自領の兵站基地から戦線へのルート、いわゆる兵站線の確保が死活問題になる。これは命綱にも等しい。例えるなら体内の血管だ。そこを断たれれば、末端の前線は壊死する。
 ところがこの基地から遠征地までの経路を堅持するのが簡単ではない。何せ他領であれば地理に不案内であり、敵兵の襲撃に遭って断絶しやすく、また食糧を奪われる可能性も高いのだ。
 そして何より、輜重隊の維持と運用には莫大な費用がかかる。というよりもおよそ戦というものは須らく金のかかるもので、国力低下の要因になるとさえ言われる。であるからこそ常であれば戦事は忌まれるのだが、中でも輜重隊は、まず遠征軍の食糧に加え、輸送部隊自体の食糧、搬送に携わる牛馬の食糧、そして兵站線を堅持する兵への食糧を運ぶことになる。それだけの量の食物を用意するとなると、経済的に負担が大きくなるのも当然のことだった。

 このため、遠征の場合は食料は現地調達するのが兵法の基本とされた。
 だが不運にも近年夕燕城の属する研州は冷害や水害、蝗害で農耕は不作不況続きだった。戯孟が堯の攻略を決行したのも、実はそうした敵の貧窮現状によるところが少なくない。
 しかし逆に言えば、今まで占拠して来た村里からの食糧供給は期待できない、ということになる。
 そう、ある意味でこれは諸刃の剣だった。不況に苦しむ研州はいざ知らず、遠征する側にとっても不利なのである。そうと知りながら、戯孟は敢えて挙兵した。
 多勢に無勢で飛矢のごとく進軍し、こちらの食糧が底をつく前に疲弊困憊しきった研州を駆逐一気にしてしまおうという魂胆なのである
 その作戦の根本には、研州から山を越した先にある礼州では隣接しているにも拘らずの豊作振りで、研州は嚆牙(こうが)郡を介してここから不作の援助を受けていたという事実がある。
 班菱郡に接する嚆牙郡は礼州に最も近いこともあり、大分蓄えも貯まって、他の研州郡に比べ逸早く状態が向上してきているらしい。つまりは班菱郡さえ陥してしまえば、嚆牙郡で兵糧の確保はできると考えたのである。

 果たしてその読みは的中し、研州ではすでにそのほとんどの領地を獲得、完全制覇までは嚆牙郡を除き、残すところ班菱郡にあるこの夕燕城のみとなった。が、予想通りというか否か夕燕城の墨守も生半可なものではなく、ここへ来て戯孟軍は足止めを強いられていた。
 どちらが先に音を上げるか―――ここが正念場であり忍耐のしどころである。先に弱音を吐いたほうが負けだ。ただこの状態があまり長引くようなら、いよいよ本格的に動き出さなければ成らない。
 すなわち何らかの奇策を立てて敵を落とすか、光陵からの輜重隊を待つか。
 果たして希代の英雄は、どちらを採るであろう。
 ウーミンは主幕からふいと視線を外し、己の幕の中へと入って行った。
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