一般的に城壁の内側は街になっている。そこには住む人がおり、家宅や店肆(みせ)などの建物が立ち並ぶ。普段は屋台や露店、人々の往来で賑わう石の敷き詰められた通りも、この時刻では人っ子一人いない。尤も、戦のさなかであるから普段通りの生活というわけでもないであろうが。
 時折どこからか野犬の遠吠えが夜道に響き渡る。
 ウーミンは街に下りると、通りを駆け足で進んでいく。大体の位置は上から見て把握していた。
 向かったのは、城内で西南角にある軍営だった。土気色の建物が並んでいる。
 その外にも一棟につき一人、見張りが立っていた。いや見張りと言うよりは、何か緊急事態が起こった時に兵卒たちに通達を行う連絡役なのかもしれない。ならばなおのこと丁度いい。
 ウーミンは気配を消して、その見張り兵に近付いた。忍び足で背後に迫ると、そっと両腕を伸ばす。

「!?」

 突然口をふさがれた兵は驚きに呻き声をあげかけるが、ウーミンは間髪いれず兵の後ろ首筋を右手指三本で掴み、延髄のある点穴を強く圧した。
 瞬間、兵は目を見開き、そしてゆっくりと閉じた。身体全体が弛緩し、崩れ落ちる。死んではいない。失神しただけである。ただ、明日まで意識が戻ることはないだろうが。

(うわ‥‥とと)

 倒れそうになる兵を慌ててウーミンは後ろから支えた。ウーミンを遥かに上回る大きな図体と重量に、危うく一緒に倒れ込みそうになりながらもなんとか足を踏ん張って堪える。音を立てぬよう注意しながら背に負って人目に触れぬ物影に行き、抱えていた兵を慎重に転がすと、おもむろに着ていた甲を剥いで素早く己の身に付けていく。仕上げとばかりに、銅盔(かぶと)を目深く被った。
 準備が完了し、よし、と満足げに頷く。元の持ち主との体格差で全体的に所々スカスカしているが、今更そんな事は気にしていられない。身包み剥がされて横たわる兵をちらりと一瞥すると、すまんなと舌を出してその場を離れた。

 棟の中は二階建てで、廊下をはさみ左右に室が並んでいる。兵は何人かにまとまってそこで寝起きしているらしい。
 ウーミンは手始めにまず、一番手前の室に入った。十数人の男が寝ている。宿舎というだけあって、こちらには簡易ながらも人数分しっかり寝台が用意されていた。自分のいた幕の中の情景を思い描き、あまりの違いにウーミンは嘆息した。
 兵達は侵入者にも気づかずに眠りをむさぼっていた。どこかからか寝言や歯ぎしりも聞こえてくる。
 声を抑えて呼びかけた。

「おい、起きろ」

 何度か繰り返すと、男達がようよう身じろぎ出した。叩き起こさねば覚醒せぬかと一瞬考えたが、そこはさすがに訓練された兵。すぐに目を覚ましてくれる。ウーミンは寝ぼけ眼で怪訝そうにしている彼らに、唇に人差し指を当てて静かにするよう示した。徐々に頭が冴えてきた男達は突然の侵入者に一瞬警戒を示すものの、ウーミンの纏っている甲を一見して態度を和らげる。室は暗く、おまけに顔は銅盔に隠れていてよく見えないため、素性に疑問を抱かれる心配もない。
 ウーミンは努めて緊張感の漂う厳かな声色を作った。

「臨時の伝令だ。緊急かつ極秘の任務ゆえ、常の通りでないこともあるが、心得ておいてくれ」

 隊か宿舎ごとに伝令役は決まっている可能性があるが、臨時であると断りを入れることで不信感をつぶし、特に緊急という言葉を強調することで、逆にそちらの方に兵の意識を向けさせた。案の定、戸惑っていた男達の顔色が変わる。

「今夜、謀反が起きる」

 兵卒たちの間にどよめきが走った。ウーミンはすかさず鋭く制した。

「静かにしろ。言っただろう、極秘だと」

 騒めきがぴたりと止まる。声は抑えられているが、そこから滲み出る隠しようも無い緊張に、男達はことの深刻さを認識したようだ。顔を引き締め、静かに伝令の言葉に耳を傾けている。その変化を目深にかぶった盔の下から眺め、ウーミンはここぞとばかりに声に力を込めた。

「密かに慶と通じて反乱を起こし、慶軍へ投降するつもりらしい。奴等は謀が漏れていることにまだ気づいていない。ゆえにこれを逆手にとり一斉に叩くとのことだ」
「何でそんな回りくどい事を。分かっているならそのまましょっぴいちまえばいいのに」
「呼応している裏切者や内通者がどれだけいるか不明だからだ。全員を炙り出す必要がある」

 尤もらしく聞こえるが、実際にあるとすれば、この方法は上策と言えないだろう。裏切者の人数が多数に亘った場合、泳がせるためとはいえ内紛を発生させれば炙り出しどころでは済まなくなる。不用意に兵数を減らすだけでなく、城内の混乱を察知した慶軍にここぞとばかりに攻められたら一巻の終わりだ。確かに身中に虫を残せば内応の危険は増すが、事前に分かる範囲で摘発し、見せしめの処刑を行って反乱の意気を挫いた上で、監視と警戒を強めたほうがまだ現実的である。
 しかし兵の多くは、満足な教養も受けていない平民である。そして上層もまた、必ずしも上策を用いる切れ者ばかりとは限らない。所詮下っ端は何が適当かを判断する立場にないのだ。

「謀反は今から2刻後、南門で起きる予定だ。奴らはそれに合わせ密かに移動を開始するだろう。数は相当数と見られている。1刻経ったら南門に向かえ。東南の軍営からも部隊が向う予定だ。2刻後に門前で裏切者を挟撃する。奴らに気取られてはならぬゆえ、移動の刻限までは一歩も外に出てはならない」

 一人が不安げに手を挙げた。

「俺達はどの将につけば? 誰が率いるんだ?」
「率いる将はいない。詳しくは聞いていないが、謀反者がどこに潜んでいるか分からない以上、号令をかけられない状況なんだろう。陣形の必要は特にないため、とにかく一所に待機して合図とともに裏切者を駆逐せよとの仰せだ」

 男達が納得したように各々頷く。それにウーミンは成功の手応えを感じる。

「火の手が上がったら突撃の合図だが、同軍同士でもある。敵味方の識別のため、盔は脱いでおくように」

 頭部を守る防具がないことに男達は一瞬不安そうになったが、同士討ちになっても困るので神妙な面持ちで頷いた。

「悪いが、俺はこの後別の棟に伝達に行かねばならない。何分、緊急事態で伝令の人数が足りなくてな。誰か悪いが、手分けして他の部屋の者たちにも伝えてくれ。くれぐれも静かにな。それから、裏切者への警戒で常の伝達網は使えない。極秘作戦が漏れては一大事ゆえ、部隊長ほか上への照会は行わないようにとのお触れだ」

 念押しして室を出る。そのまま物陰に潜み、彼らが各々部屋から出て隣室等に同じ説明をするのを耳で確認したのち、建物の外へ出た。時間がないのでいちいちウーミンが回って説明している暇はなく、また顔見知りの口からの説明の方が信用度も増すだろう。
 ウーミンは次の棟に近づくと、今度は入り口に立つ兵を物陰に呼び(ほかの建物の見張りに見られぬようにする配慮だ)、緊急だと言って偽伝令を伝えた。
 人任せにする分、正しく内容が伝わらない恐れもあるが、そこは訓練された兵士。忠実な情報の伝達を期待しよう。
 全棟に伝え終わると、すぐさま今度は城内の反対側にある東南角の軍営へと走る。端から端なので距離は相当離れているが、走り切れないほどではない。
 そしてそこで別の伝令を口にした。

「2刻後に裏切り者による反乱が起こる」

 ここまでは同じである。しかし

「先に待ち伏せをし、裏切者が集ったところで一息に討って出る。1刻以内に南門へ集結せよとのことだ。なお、奴らは盔を被っていないゆえ、それを目印にするように」
「盔を?」

 棟の見張り兵は暗がりで不思議そうに鸚鵡返しする。それに頷き返し、

「同士討ちを避けるためだそうだ。火の手が上がったら、すぐになだれ込め」

 中には頭が働き、疑ってくる慎重な番兵もいた。曰く、反乱情報は確かなのか、子細が詳しすぎないか、あるいは慶が故意に流した攪乱作戦ではないか、と。

「どこにでもいるだろう、仲間の情報を売って手前の保身を図る人間は―――自分も少しは考えたことはないか?」

 人間、どうしても我が身はかわいいものだ。戦において、敵側が有利だと感じると、密かに手紙などを送り、投降時の身の安全を懇願するなどということも、決して珍しいことではない。

「信じないと言うのは自由だが、本当だった場合どうする気だ? 命令無視は厳罰。しかもそれにより不要な損害が発生すればより重い罰が下るかもしれない。いずれにせよ真偽如何は我々が判断することではない。もし上に照会して万一反逆者の一味だった場合、取り返しがつかないぞ。いいか、俺は伝令として確かに伝えたからな」

 落ち着きを晴らした態度で淡々と言い切る。こういう時には堂々とハッタリをかますに限る。これで大体の者が怯んだ。そそくさと動き、言われたとおりにする。
 それを見て、ウーミンは胸中でこっそり安堵の溜息をついた。人間、一つのことの受け取り方やその後の行動は千差万別だ。結構気を揉む。
 そういった調子で、全兵士に偽情報を流し終えた頃、ウーミンは南門まで来ていた。その手には弩がある。途中拝借したものだ。
 4人の門番は昏倒させて放置してある。偽の伝令を伝えてからそろそろ1刻近く経つ。物陰に身を潜め、瞼を閉じると、地面に伏せ耳を当てた。
 聴覚を研ぎ澄ます。微かな音が聞こえた。よく意識していないと、簡単に逃してしまいそうなほど微かな振動。東側から静かに、ゆっくり南門の近くまで忍び寄っている。
 その後、入れ替わるように西側からの振動も確認する。
 しばらくその体勢のまま振動を感じる。彼らが移動を終えてからでないと作戦が成り立たない。慎重にいかねば。
 無常に流れていく時を意識しながら、辛抱強く待った。
 やがて、延々と続いていた音が止んだ。
 多数の兵の息遣いを感じる。ウーミンはそっと立ち上がると、陰に潜んだまま弩を構えた。矢じりの先にあるのは篝火。そして篝火の足元の地面は、今は暗くて分かりにくいが、広範囲にわたり黒く湿っている。近くに寄れば生臭い脂の匂いがしたかもしれない。
 篝火を支えている柱に目掛け弩を放つ。小気味いい風切り音を立て矢はまっすぐ飛んでいき、標的に命中した。柱が崩れ、篝火が倒れる。黒い染みの上へと。
 ぼうっと炎が上がった。
 熱気が顔を打ち、闇を押しのけるようにして辺りが一瞬で明るくなる。夜闇に浮かび上がる火焔は見る間に広がった。その勢いはまるで生き物のようだ。
 左右から騒音が近付いてくる。息をひそめていた兵卒達が、それぞれ合図を受けて突撃していった。
 そして、盔を被っている兵の群れと、被っていない兵の群れが出会った。

「裏切り者だぁ!!」
「裏切り者だぞ!!」

 互いに相手を指して裏切り者と叫び、得物を振り回してぶつかり合った。槍や矛や剣が入り乱れ、怒号と悲鳴が絶え間なく上がる。激しく燃え上がる火に人々は混乱し、味方同士で血を流し合い、戦う。
 炎は止まることを知らずどんどんと勢力が強まり、黒い煙がもうもうと立ち上る。一般の民衆も騒動に驚いて飛び出し、逃げ惑い、喧喧囂囂たる凄惨な光景が夕燕城を包み込んだ。
 突如起こった出来事に、城壁の上にいた者たちも目を剥く。反乱だと言う叫びに慌てて来て見やれば、下ではなにやら大々的な火事が起こっている上に、戦いが繰り広げられているではないか。何がなんだかわからずも、彼らも裏切り者による内紛と思い込み慌てふためく。
 城にいた錬乂をはじめとする武将文官たちも騒ぎを聞きつけて駆けつけたが、あまりの惨状を目にし、驚愕と動揺に戦いた。彼らは分けのわからないまま、とにかくこの乱闘を収めようとして怒号を飛ばす。
 一方その名の通り火付け役のウーミンは、騒ぎに乗じて城壁を登り、行きの道を逆に辿り外へと既に脱出していた。もちろん縄の回収も忘れない。
 城壁を巡回していた衛兵達も下街の争いに向かったらしく、誰一人いなかったため逃げ出すのは容易であった。
 自軍に向けて駆けるさなか、一度だけ振り向いた空は、星灯りをも消す勢いで緋く燃えていた。
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