夕燕城を陥した慶軍は、そのまま南下し嚆牙郡に攻め込むと、迅速かつ鮮やかな采配で次々と領地を下していった。 そうして兵糧を補充したところで至ったのは、最終にして最大の難所―――峰路関。 戦場となったのは峰絽関の目先にある平地である。 峰絽関は壁立千仞に連なる高山の山間にあり、研州と礼州を繋ぐ関所として、実に300年の古い歴史があった。 その昔、仙山蓬翏山に住む絹機織女がこの地の山嶺に降り立った際に、身に纏う羽比礼を無くしてしまい、代わりに焚いた炎の白い煙で比礼を織って無事に山へ帰ったという伝説があり、故に峰絽関という名がついたと言われる。絽とは、薄くすいた絹のことである。 伝説の真偽はさておき、やはり古城と言うだけあって境壁や城の造りは大分年季が入っている。だが「その関、千夜にして猶落ちず」と謳われたほどの堅牢さは今だ健在であった。 関は、嚆牙群を西北へと進み険しい山々の間にできた蛇行する谷道を経て、広く開けた窪地に突き当たった場所にある。 窪地を中心として、南東側の一部―――研州から峰絽関までの峪道―――を除いてぐるりと山に囲まれており、まさに山河襟帯の地といえる。 北側の山腹に城砦があり、その西、険しく削られた山峡から漪水の半分である漪南川が北から南へと流れ落ちていた。この山峡はまさに荒削りな自然そのもので、馴れぬ者が船で上ることは到底できない。 平地を囲む連山の高峰には所々緑は見えるものの、この辺り一帯―――峰絽関に通ずる嶮路を含めて、殆どが岩盤も露な巖山である。 更に、それらの山々は嶙峋―――すなわち、山肌に段があって崖がそびえている。これは登るのも困難であり、強行突破も為し難い。 まさしく天然の要害であった。 慶軍陣営は漪南川に沿って敷かれた。そしてそれに対峙する形で堯軍が東側にある小刄山の山腹に陣営を置いていた。 つまり慶軍と堯軍は、広大な盆地ともいえる窪んだ平地を挟んで東西に睨み合う形になったのである。 峰絽関を守る堯の将は于卷、字士欽であり、彼の持つ軍は10万にも満たない。 一方慶軍は先の夕燕城その他の戦いにおいて敵兵を編入しつつ、占領地に少しずつ置いていくということを繰り返しながら、その数は30万を越していた。 数の上では慶軍の方が有利だが、峰絽関は攻めに難く守りに厚いことで名高い堅城である。そうそう簡単には落とせまい。時間をかければ再び兵糧や兵の疲労問題に見舞われる。恐らくは于卷もそれを狙って夕燕城と同じく篭城策でくるに違いない。 長期戦になると厄介だ――― 戯孟はそう思っていた。が、予想に反して、于卷軍は関所を出て西側の山の中間辺りに陣を構えてきた。 これはさすがに戯孟も予想外であった。砦に篭っていれば勝機もあろうものを、わざわざご丁寧に表へ出てくるとは。 (罠か) 即座にそう思った。こうもあまりにあからさまであるとかえって疑わしい。焼鉢、捨鉢になっているようにも思えない。 戯孟は怜悧にして狡猾なる男である。ことに兵事に関しては天才的な感性があった。敵が何を狙っているか―――それが罠であるにしろなんにしろ―――大抵は見極めることができる。しかしその戯孟を以ってしても、こればかりはにわかには判じ難かった。 (さては誰かの入れ知恵か) 于卷にはそんな賢しさはないので、大方側近の何某かの献策であろう。しかし于卷の手下に有能な謀官がいるという話は聞かない。尤も、果たしてこれが真に有効な策であるかどうかは謎だが、警戒するにこしたことはない。 はて――― 数ある堯の参謀達の名を思い連ねる。そのほとんどは都城の張斯の傍にいるか、慶喬軍の侵攻を防ぐため主要な城に配置されている。となると新たに加わった無名の策士か。 何者にしろ、裏に計略有り―――そう考えた方がよさそうだということだけ心に留める。 戯孟はすぐに数人の斥候兵をやり地形を見に行かせる。戦場の地形を調査するのは陣を張る際においての基本である。 しばらくしてから戻ってきた彼らから、報告を聞く。 「ここ辺りの山々は地形的に陣を敷くには不安定で、土台を固めるにしても重労働です。また、この辺りの山は落石も多く、多数勢で登るのは危険かと思われます」 戯孟は始終黙して耳を傾けていたが、聞き終えてもしばらくは目を伏せたまま押し黙り一言もしゃべらなかった。何か不足があったかと斥候兵が恐れ怯える空気の中、ひたすら眉間を皺寄せ重低音に唸る。 いよいよ兵達が気を揉み始めた時、何を思いついたか唐突にぱちっと目を開いた。 「よし」 一言頷くな否や立ち上がって、素早く命じた。 「洟水の岸にそって、陣を敷け」 ウーミンは、丁度地面に仰向けに横たわりながら、複数を相手に戦っている味方の歩兵の足首をぐいっと引っ張ったところだった。 味方兵は期待に外れることなく、力の向きに従い見事に地へ鼻面を打ちつける。 するとその頭上で敵兵達が絶妙な間で互いに頭を打ち付け合い、ドッと倒れこんだ。 味方兵は地面と大胆に口付けをした顔を上げると、土に塗れた怒り面でウーミンに向かって二、三言怒鳴ったが、ふと上を見上げて敵が消えていることに気づき、きょとんと目を瞬かせ、頬を撫でながら疑問顔で立ち上がり、去って行った。 また別のところでは、目前の敵の攻撃を避けつつ、他の敵兵とすれ違い様にさり気なくその敵兵の膝裏を蹴って頽れさせた。そのまま素知らぬ顔でさっさとその場を離れてゆく。その敵兵と打ち合いをしていた仲間は、突然己の敵がのけぞったことにただ意味もわからずに目を丸くしていた。 更にある時は、落ちている小石を足で強く弾いて敵の後頭部に直撃させたり、槍先を踏み上げたりして敵兵の下方死角から顎を打ち上げたりしていた。そして相変わらず剣は鞘に収まったままだ。 と、そんなことをして敵味方の中を渡り歩いていれば、突然足元を掬われた。長兵(長い武器)の柄に引っ掛けられたらしい。果たしてわざと引っ掛かったのか、それとも油断してドジを踏んだのかはわからないが、その身体が傾ぐ。 そこへ敵の甲兵が矛を頭上から振り翳してきた。不安定な足取りでひょいっとその男の脇下辺りを潜り抜け、背後に廻れば、複数の兵が待ってましたといわんばかりに棍棒や矛の柄を振り下ろしてくる図が目に入った。 間抜けに悲鳴を上げながら、最初に躱した敵の甲兵の襟首を凄まじい力で掴み引き寄せて、盾代わりにする。冑の上から強かに殴られた甲兵は、目を回して気絶した。 ウーミンはそのまま掴んでた兵の襟首を、えいとばかりに前へ押しやり、迫り来る兵卒達に向かって投げ飛ばす。それに巻き込まれて一緒に何人か倒れこんだ。 上手い具合に逃れたところを、更に追撃してきた兵卒に、さっと足元を見やり折れた数本の戈に目を留めると、素早くそれらの穂先を爪先で順に強くはじいた。 戈は狙い定められた方角に凄まじい速さで飛び、柄の先が見事に数人の甲兵の腹や顔面に命中する。―――すべて瞬時のうちの動作のことで、詳細を目撃し得た者はいなかった。 ドサドサと的撃された堯兵が倒れこむ。と同時に 「うおおおお!!」 突如頭上から、地を震わすような怒号が響き渡った。 あまりの大音声に、ウーミンは顔を上げる。他の兵も―――敵も同じく思わずそちらへと顔を向けていた。 そこには栗毛の馬にまたがり、仰々しい重厚の鎧を身に付け、片手一本で青龍刀を振り回しながら敵兵を蹴散らす武将の姿があった。面構えは厳つく、鼻下と頬から顎にかけて生えた立派な鬚を逆立てて敵を威圧する面相はまさに猛虎というべき恐ろしさ。 慶の名武将、丁信である。 字を宵黄と言う彼は、名家に生まれたが、その奔放な性格から家を飛び出し、地方の山で山賊の頭などをしていたところ、若い頃馴染みだった戯孟と偶然再会し、その後戯孟に常に付き従い厚い信頼を得ている忠臣である。 丁信は山賊をしていた頃から腕自慢で鳴らしていた。大熊を片手一本で振り投げ、虎と三日三晩対峙した挙句、虎の方が参って逃げたというほどであるから、その剛力剛胆は想像を絶する。 更に丁信は、忠に堅く義に厚い男だった。かつて戯孟が戦に負け、敗走している途中で敵将と複数の兵に包囲された時に、身を呈して主君を弓矢から庇い、血路を開いて無事逃げ切ったという武勇伝もある。そもそも出奔して山賊紛い等をしていたのも、賄賂などで宦官に媚諂う実父の心根に憤りを感じ、宮廷の性悪の根源を絶たんと、勇士を集めて密かに決起する機を狙っていたためであるという。 兎も角も、「宵黄有らずば、今孤此処に在らじ」―――丁信がいなければ自分は今こうしてここに生きて在なかっただろう―――と戯孟にして言わしめるほどの豪傑であった。 丁信は雄叫びを上げて襲い掛かる堯兵を次々に長柄の刀で真っ二つにし、時には串刺しにして、兵士の波をかき分けてゆく。 その勇猛果敢さを見て、慶の兵卒たちは励まされ士気を高める。我も我もと、続くように突撃して行った。 逆に、丁信の迫力とそれに影響された慶兵の勢いに、堯兵たちは怯んだ。 味方兵の士気を鼓舞し、同時に敵兵の士気を殺ぐ―――このような心理的効果も戦には重要な一手だ。 ―――この一局、恐らく慶に利して終了だろうな。 ウーミンは胸内で呟いた。別段押されていたわけではないし、元からして数が違う。何より士気が違う。圧倒的に慶側が優勢であった。 しかし解せないのは、何故わざわざ城から出てきて陣を敷いたかということだ。まともにぶつかれば多勢に無勢で負けるのは火を見るより明らか。篭城していればまだ勝機も見えてこようものだが、これではまるで死に来ているようなもの。優秀な文官のありなしに拘らず、これぐらいのことなら誰でも判る筈のことである。 ―――何か裏があるな。 ウーミンは戦いながら―――とは言っても真面目に戦っているわけではないのだが―――頭の隅で考える。 その日の戦いは、誰もが予想した通りあっけなく慶軍に軍杯が上がった。 「おかしい」 幕の内に入ってきた武将達を迎えたのは、その一言だった。 幕の主―――戯孟はもう一度、今度は唸るようにしておかしい、と繰り返した。 「確かにおかしいですな」 主と同じ感想を口にしたのは李洵。腕を組み、僅かに眉を寄せている。常に几帳面そうな白皙の顔が、深刻そうに昏く沈むことによって、いつもよりも更に厳しい面持ちに見える。 「ええ、確かにおかしい」 これまた同じようなことを呟いたのは、智箋である。 この時戯孟は軍師として二人の文官を連れてきていた。一人が李洵、そしてもう一人がこの智箋である。智箋は字を白暘といい、煌川郡の出身でその才は世に誉れ高く、聡明叡智の士として知られていた。李洵もまたこの煌川郡の人で、二人は通った塾こそ違えど、家同士の付き合いがあり学生の頃からの知己なのだという。智箋を戯孟に推挙したのも李洵であった。 煌川は元は紅川と言ったが、この地から多くの賢者が輩出しており、また才高き者が集まることで有名なことから、いつの時からか「煌星のごとく輝く才者たちの地」として煌川と呼ばれるようになった。 何はともあれ、智箋も李洵に劣らずの賢才の持ち主である。 「白暘、お前もそう思うか」 戯孟の声に、智箋は頷きで答えた。 「呆気無さすぎます。この兵力差で真正面から打って出れば負けを見ることは自明。なのに何故敢えてその手で出たのか」 「うむ」 戯孟は軽く唸って黙り込んだ。智箋は眼差しを強め、先を続ける。 「この裏には何やら策の匂いがいたしますな」 「そうなのだが……その肝心の策とやらが全く見えてこぬ」 何がやりたい。敵は何を狙っている。それが全く読めない。もしかしたらただ単に智の足らぬ者だというだけのことかもしれない。しかし、いくらなんでもそこまで愚鈍な者に張斯が重要な関の護りを任せるとも到底思えなかった。 李洵が口を開く。 「誰かが陰で糸を引いているのだと思うのですが……ここはひとまず慎重に出るべきです。敵方が、今日の勝利で我等が油断するところを待っているとも限りませぬ。念のため夜襲にも備えておきましょう」 「私も李洵殿に同意でございます」 胸の上で拱手を掲げそう建言する二人に、戯孟はいまいち冴えない声で、そうだなとだけ言った。 |