落石地点より、どれ程進んだ辺りか。ウーミンは不意に立ち止まった。しばらく考え込む素振りで口元に手を添え、数拍の後、よしとばかりにひとつ頷くと、再びそこから岩肌に跳びついて上昇を開始した。先ほどよりもやり方に慣れたのか手際よくするすると登っていく。 更に、途中止まっては手で壁を軽く叩き、木を見つければその根元の具合や枝の生え方などをじっと観察する。 しばらくして、一つの上の岩棚に到着した。そこで一度身体の筋をのばすと、再び下にいた時と同じように進んでいく。ただし今度は北に向かってである。下段で南へ移動した距離の分だけ戻る。 ウーミンが最初に登ってきた地点から堯陣営の位置までは、相当な距離に隔てられている。不休で進んでも相当な時が掛かることは明白だ。現にウーミンが自陣営から抜け出してから、すでに一刻が過ぎようとしている。 それを体内時計で感じつつ、夜明けまでの時間を測る。 ―――あまりモタモタしてはいられないな。 ウーミンは足を速めた。岩壁を登って南北を駆け足で往来する。何度か同じ事を繰り返したあと、ようやく敵陣を近くに見れるところまで来た。 堯の陣営は、慶のそれと打って変わり、悲壮なほど静かである。 敵は何しろ大軍で来ていて、自分達は明日も知れぬ状態なのだ。陽気になれというほうが無理かもしれない。 一通りそんな感想を抱きながら視線を移す。峰を仰げば、大分登ったにもかかわらずまだ頂は遠い。だがここまで来ると、流石に山らしい様相を見せ始めている。傾斜に沿って嶺まで、木々が縦横無尽に立ち並ぶ。獣道のようなものも微かだが視て取ることができた。 ウーミンはそこでもやはり他の所でやったのと同じように観察をする。 斥候に見つからぬよう極力自身を闇黒に溶け込ませながら、地形や岩壁の状態を探る。敵陣ぎりぎりの危うい境界まで来て、そこから再び上昇を始めた。前までとは違って今回は木々があるので、比較的登りやすい。 ここからは一本道ではない。道らしき道すら望めない。 ウーミンは迷わぬように地形や樹木の配置を頭に入れながら、慎重に進んでいく。主に登山方法は木から木へと飛び移ることなので、歩きよりは苦労はしないし、時間も短縮できるのが助かった。 途中、いくつかの獣にも遭ったが、木の上に生息する生物で獰猛なものはいない。特にウーミンが気に止めることなければ、大抵は何事もなく通り過ぎていった。 例外といえば、たまたま乗り移った樹の虚の中を図らずも覗き込んでしまった際、幼鳥がいたらしく親ミミズクから纏わりつかれそうになったのを適当にあしらって追い返したことぐらいであった。 そうやって、やがてある地点まで来ると、ウーミンは再び逡巡するような仕草をした。 その景色をぐるりと見渡す。すべて余すところなく目に焼き付けるかのように凝視した。 そして一通り記憶に刻み付けたことを確認すると、来た道を戻り始めた。 そろそろ夜明けが近づいてきていることを、視覚と感覚で感じる。 敵も斥候は放っているはずだ。空が明るんでくれば、闇は消え、自身を人目から護るものがなくなってしまう。万一にでも見つかるわけにはいかない。夜明け前には戻りたかった。 行きの倍の速さで降りてゆく。音は立てないように細心の注意を払いながら、無駄のない身のこなしで滑るように木々を渡り移る。 岩肌がみえてきた。此処から先は岩降りになる。 が、何を思ったか、ウーミンはおもむろに岩壁の崖端に立つと、躊躇することなくおもいっきり踏み切った。 足が地を離れ、宙に身を躍らせる。大の字に四肢を広げ、重力に身を預ける。下方から風が吹き上げた。 眼下に、厳かに聳え立つ絶壁の岩と、遥か底に黒々とした林が顎を開いている。 その闇の底へと呑みこまれるように、一気に落ちていったのであった。 |