突然の爆音に、敵味方双方目をむき仰天した。
 敵味方問わず、兵や武将が思わず手を止め、何が起こったのかと辺りを見回している。ウーミンはそれを見届け、懐から新たに取り出した球体に先ほどと同じ様に息を吹きかけて再び投じる。合間をおかず、次々と火をつけた玉を投げた。時には遥か遠くに、また時には近くに、といった具合に。
 導火線の長さは短めに調節してあるため、投げてから地に届いたあたりで即座に破裂するようになっている。
 土煙で視界がままならない前線では、上から降ってくる丸玉を見定めるのは難しいだろう。異変の正体を見極めようにも爆発でもうもうと立ちこもる煙によって遮られる。
 平野で戦う者達は、目に見えぬ敵の攻撃にただ惑うばかりである。
 ただ、このまま『目に見えぬ敵』でも困るのだ。最後の仕上げをすべく、ウーミンは近くに投げた球の爆発の煙に乗じて木を飛び降りた。身を低くして争いの中へ滑り込む。土煙と爆煙で、さすがに目が染みた。
 人目につかぬように袖口からこっそり爆弾を投げながら、口の脇に手を当て思いっきり声を張り上げた。

「罠だ!! 堯軍の罠だぞ、逃げろ!!」

 兵たちの合間を走り抜けながら、叫ぶ。
 きょとんとしていた兵たちが、鸚鵡返しにその言葉を口に乗せる。

「罠?」
「罠だって?」

 次々と伝言遊戯のように広がる単語。反復し、その意味を理解する。瞬間、真っ青になる兵卒。

「わ、罠だ……」
「逃げろ、罠だ!!」

 突然の爆発に冷静さを失っている兵卒たちは簡単にそれを信じ込み、より混乱に陥る。彼らは武器を手放し、罠だ罠だと口々に叫びながら慌てて逃げ始めた。




 その少し前。敵軍が退く空気を嗅ぎ取り、昨日の戦いと変わらぬ展開に陣の後方で総指揮を取っていた戯孟は迷っていた。
 退却する軍の深追いは危険だ。少なくとも相手の手の内が読めない限りは。昨日の勝利による油断を誘って敵が何かしら罠を仕掛けているとも限らない。
 しかしこのまま再び昨日と同様に終われば、何の結果を得られることもなくいたずらに時間ばかりが過ぎていくだけである。
 こちらとしてはあまり兵糧を無駄にしたくはない。しかし参謀二人からは慎重案を進められていた。
 戯孟は己の部下の進言を素直に、そして精力的に採り入れる男であった。

(しかたあるまい。頃合を見計らって退却の命を出すか)

 だが戯孟はここで、昨日よりも僅かにだけ攻めの手を伸ばすことを考えていた。深追いはするものではないが、様子見程度なら構わないだろう。全く同じ結果では、何の情報も得られず策の立てようもない。虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。
 そう決断し、機を計っていたところ―――
 突如、慶軍の攻めていた前線で破裂音が上がった。

「なんだ!?」

 目を見開きそちらの方に馬首をめぐらす。と、再度音が続いた。
 遠目に、前線で戦っている兵たちに明らかな異変が生じている。足並みが崩れ陣形を保てていない。
 戯孟の周りにいる兵達の間にも、突然の事態に何事かと動揺が広がる。

「くそ」
「殿!」
「殿、お待ちください!!」

 思わず駆けつけようとした戯孟を諸将が口々に叫んで止める。

「総大将自ら前線に出られるのは危険です!」
「何が起きているのかも分かりません! 万が一敵の罠であったら―――

 次々と挙がる制止の声を遮り、戯孟は鋭く怒鳴った。

「すぐに戻る。子久しきゅう、ついて来い!!」
「はっ」

 戯孟の呼びかけに、ひとりの武将が応じる。子久―――姓名を孔渠こうきょと申す巨漢である。彼は戯孟の近辺護衛隊長を務めていた。
 数々の制止を振り切って戯孟は孔渠を引き連れ馬を駆る。
 大将が自ら前線に立つことは無謀だ。首が獲られればいかな強軍も総崩れになる。絶対にやってはならぬ愚行のひとつとされる。
 それでも今この混乱を止めるよう的確にして迅速な指示を出すには、後方にいたままでは判断がつかない。
 煙塵に巻かれる前方部隊へ近づくと、途端またひとつ爆音が立つ。

「何が起こった!!」

 山野に反響して音の源が探りにくいが、何とかそれらしきほうへ馬首を巡らせ、手近にいた武将に叫ぶ。
 問い掛けられた武将は驚愕の表情を隠しきれないまま、しどろもどろに戯孟へ報告をする。

「ど、どうやら罠が仕掛けられていたようです」
「何!?」

 戯孟が更に問い詰めようとした時、別の場所でまた音が響いた。第二第三と間断なく続いていく。
 その破裂音に馬達が驚いて嘶き、後ろ足で立ち上がった。背に乗る者を振り落としてあらぬ方角へ駆けて行く。
 爆発と馬の暴走に、前線はすっかり混乱に陥っていた。
 そこに、誰かが叫ぶのが聞こえた。

「罠だ!! 尭軍の罠だぞ、逃げろ!!」

 その声に、右往左往していた兵卒たちや果敢にも前進を続けようとしていた者がびくっと反応する。突如、恐慌に陥ったようにそれぞれ逃げ出し始めた。それだけの威力が、その声にはあった。
 そうする間にもあちらこちらで熱した竹の爆ぜるような音が連発している。

「逃げろ、逃げろー!!」
「て、敵の罠だぁ!!」

 兵士達は口々に叫んで逃げ惑う。こうなった時の人間の集団心理というものは恐ろしく制御が利かない。完全に混乱に陥っている。
 そして恐慌はどんどん伝播してゆき、慶軍は前線から次々に後退していく。
 目の前で起こっている信じられぬ光景に、戯孟は怒りを通り越して呆然となった。

(罠だと? これが敵の狙っていたことなのか?)

 それにどこか違和感を覚えながらも、錯乱している兵たちに向かって素早く号を飛ばす。

「全軍、速やかに撤退!! 陣を乱すな!! 伍長、什長、都伯、部曲将、兵を纏めろ!! 陣形を乱すやつは斬れ!! 慌てると敵の思う壺だぞ!!」

 総大将御自らの声に、混乱に陥っていた慶軍兵はすぐさま反応した。
 崩れていた陣形が徐々にその整列をただしていく。
 これも偏に常日頃からの練兵の成果によるものだが、戯孟直々の号令によるものも大きい。
 このような行動力や統率力からも、上に立つ者としての戯孟の優れた手腕を見ることが出来る。
 そうして戯孟自身も、孔渠をはじめとする猛将に守られて自陣に引き返した。
 こうして二日目の戦いは、どちらの勝利ともつかぬ幕引きをした。
BACK MENU NEXT