投石機の組み立ては順調に進んでいるようだった。
 全体がよく見渡せる場所に降り立ち、戯孟は満足げな様子で作業する風景を眺めていた。その隣りには無名が控えている。
 智箋は製作の指揮を命じられ作業場の方で指示を飛ばしており、そして李洵はまた別件―――逆に言えば真の目的のため奔走していた。
 製造が始まってからもう大分刻が立っていた。辺りはすでに夜陰に包まれ、明かりは地上に燦々と焚かれた篝火だけである。天に輝いているはずの月や細やかな星々は、分厚い雲の向こうに遮られていて見えない。
 無名は戯孟の斜め後方に悠々閑々と立ち、戯孟と同じ光景を目にしている。二人は馬を駆り、川を越え、そこから更に離れたところにある低い山の岬に来ていた。位置としては堯軍陣営の対岸にあたる山の中腹である。
 どうした現象か、川からこちら側の山肌には比較的緑が多い。この辺りを吹く風はどうやら一貫して東から吹いてくるようだから、おそらくは土壌の質の違いだけでなく、川の水気や湿気といったものの関係なのだろう。山全体を覆うように木々が生え渡っていた。

 今戯孟たちの立っている所は岬のような部分であった。山腹から地肌が迫り出して崖をなしており、突き出た先端のみを残して背後を山林が囲んでいる。展望にはもってこいの場所である。ここからなら峰絽関全体がよく見渡せられるし、しかも並び立つ林が2人の姿をうまい具合に隠してくれる。
 なるべく人の目につかぬところを選んだために、少々の遠出であった。他者に見られたら口実に困るからと無名が言ったのだ。確かに、どう見ても無冠の一兵卒が主君の傍に常に控えているのは、事情を知らぬ人々の疑念を買う。
 が、それを差し引いてもいまいち敬意に欠ける無名の態度。彼は戯孟を前にしながら、跪きも拱手もせず堂々と佇んでいる。こんな姿を見たら、あまりの怖いもの知らずさに兵たちでなくとも仰天する。けれども、戯孟はそれを特に咎め改めさせようとはしなかった。

 無名が戯孟に膝つかぬのは、この男が戯孟を主と認めていないからだ。命じればきっと拝礼してみせるだろう。今でも拱手による最低限の敬礼はする。だが形ばかりだ。膝は屈しても心までは伏さぬ。戯孟が無名を試そうとしているように、無名もまた戯孟のうちの真諦を見定めようとしている。これはある種の一騎打ち勝負だった。用うる者は信じよ。その信条どおり、戯孟は無名に一応の信は置いている。ただしそれは彼の策に対してであり、無名の為人とはまた別の話だ。李洵の学友であろうと、戯孟は未だこの得体の知れぬ男を心底から信じてきってはいない。
 だから無名が戯孟を真に認めるまで、戯孟もまた無名を真の臣下として見なさない。
 そう李洵に告げれば、彼は「ただの意地の張り合い」とあっさり評した。それから「二人とも頑固という点では似た者同士ですな」と呆れていた。
 何と言われようと、戯孟はこの勝負に決着をつけてみせる。
 ともかく臣下と見なさない以上、戯孟に無名の挙動に口を挟む気はなかった。
 あるいはこのような不羈な在り方こそが、この男に相応しいと思ったからかもしれない。

「ふむ。この勢いならなんとか明日までには間に合うな」

 顎鬚を撫でながら戯孟が言った。顔には満悦の笑みが浮かんでいる。
 無名がそれに応じる。不遜な態度とは裏腹に、口調は慇懃である。

「それはよろしゅうございます。ところで閣下、あちらの進み具合は如何でございましょう」
「それは心配ない。鎮文より、先ほど半数がすでに終わったとの報告を受けた」
「さすが鎮文殿。仕事が速い」

 無名は微笑した。戯孟も同意とばかりにうんうんと首を振り、嬉しそうに笑う。

「なにせ我が自慢の王佐だからな」

 王佐とは読んで字のごとく王の補佐をする者の意である。補佐官として最高の名誉だ。
 李洵は早くからその王佐の才を高く評価されており、戯孟はだからこそ李洵を股肱に招き入れた。李洵の腕に一番助けられているのは、戯孟自身であった。
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