藤原家から約2時間半経つ頃には、黒いセダンは曲がりくねる山の国道の途中を走っていた。「もうそろそろだと思うよ」とナビを見ながら名取が言う。やはり車がなければ到底来るのに難航しそうなところだった。
 名取に感謝しつつ、自分も早く免許を取らねばと夏目は心を新たにする。助手席に座っている分には余計なものを視ないのだから、きっと運転中、気張るあまり普段よりアンテナが研ぎ澄まされて、雑音を拾い上げてしまうのだろう。気持ちに余裕があればコントロールできそうだ。
 ちなみにニャンコ先生は満腹になったせいか後部座席に転がってぐうぐう鼾をかいている。いい気なものだ。
 途中ガソリンスタンドに差し掛かかると、名取がメーターをちらりと見て「ちょっと寄ろう」とハンドルを切った。人気も車通りも少ない道路だから、てっきりセルフタイプかと思いきや、ちゃんと有人のスタンドだった。しかも、需要があるのか不明だが申し訳程度のコンビニもついている。ただ現在は閉まっているようだった。
 給油所に入ると、夏目とそう変わらない年齢の青年スタッフが爽やかな笑顔で誘導した。窓を下げて名取が注文すると、慣れた手つきで手早く作業を開始する。

「お客さん、ラッキーでしたね。もうそろそろ店仕舞いにするところだったんスよ」

 ノズルの様子を見ながら、青年は大学生特有の軽いノリで気さくに話しかけてきた。名取が変装用のサングラスを空に向ける。

「まだ昼なのに?」
「今日は祭ッスからね」
「祭?」
「ええ。毎年8月1日にやるんで八朔祭って言うんですけど、このあたりじゃ『サンノーどん』って呼んでます。俺も青年組だから、そろそろ手伝いに行かなくちゃいけなくて。さすがにこの辺で唯一のスタンドを丸一日無人にはできないので、半ドンで閉めることになってるんス」

 いい加減セルフにすりゃいいんすけど、なんせ田舎ッスから、と増えていくパネルの数字を横目にしつつ青年はにこにこして言う。
 集落の名前を聞くと、まさに今向かっている先だった。そう聞いて青年の目が輝く。

「なんもないとこっスけど、珍しい祭目当てに結構人が来るんスよ。今回も東京の大学のゼミが調査とかで来てて」

 満タンになったのを確認してノズルを抜き、給油キャップを閉じる。
 支払いを終えると、青年は「ぜひ楽しんで下さい」と帽子を取って一礼した。それに軽く会釈して、彼らはガソリンスタンドを後にした。
 ―――外まで見送る青年の姿が、バックミラーに映っていないことに気づかずに。

「祭があるんですね」

 夏目はその珍しい祭というのに興味を引かれた。名取が口端を軽く上げる。

「前にここで会合があった時は時期が違ったな……たまたまなのか、狙ってなのか」

 木立に囲まれた細い舗装道路を入ったところにその村はあった。
 場所柄、山奥にひっそりとある秘境をイメージしていた夏目は、広く明るい田園風景と現代的な家々が立ち並ぶ集落の姿に軽く拍子抜けした。『犬神家の一族』のような薄暗くおどろおどろしい雰囲気はなく、むしろバラエティにも出てきそうな普通の長閑な村落だ。コンビニはないが何でも屋的な商店があり、ファミレスはないが食事処はあり、ホテルはないが一応民宿もある。足りないものといえばゲームセンターやパチンコ屋といった娯楽施設くらいだろうか。

「ここは石月渓谷に一番近い集落だ。的場の別荘地は普通の人には分からないところにある」

 細いアスファルト舗装の道路を緩やかに走り、周囲に比べやや大きめの古民家の前で止まった。
 3階建ての、唐破風が風情を感じさせるそこが民宿らしかった。側の駐車スペースには他に大型のワゴン車が2台止まっている。他にも宿泊客が来ているらしい。そういえばガソリンスタンドの青年も、祭目当てに客が来ると言っていた。その割に道に人がいないのは、恐らく集落中がその祭に駆り出されているからだろう。
 しかしさすがに民宿のスタッフはいた。古木の色が艶やかな日本家屋の玄関は開かれており、中は少し薄暗い。受付は無人だったが、置いてあった呼び鈴を鳴らすと、程なく和服姿の中年女性が奥から現れた。仲居かと思えば、女将本人だった。名取の顔を見るなりおや、という顔をする。予約名を告げると、「あらやだ」と口を押えた。チラチラ顔を見ながら、ついでに夏目の方も窺う。名取は記名をしながらすかさず「甥は民俗学専攻で、日本の地方祭が修論テーマというので、運転手代わりに付き添ってきたんです」としれっと言ってのけた。確かに俳優としては隠し子(名取の年からすればさすがにないが)だの良からぬ噂になっても困るだろう。
 実際には全く違う学部に通っている夏目はやや身の置き所のない気持ちになったが、さすが当人は慣れているのか何事もない様子で記帳を済ませる。部屋まで廊下、荷物(うち1つにはニャンコ先生が入っている)を自分で運ぶ2人に、女将は案内をしながら恐縮しきっていた。

「ご不便をおかけしてすみませんね、あいにく祭で人が出払っておりまして」
「お気になさらず。お宿が開いていて助かった」

 名取がにっこり営業スマイルを浮かべると、頬を染めて

「私はムラの外から嫁に来たもので、祭の手伝いはしなくてもいいんです。この宿にはそうしたスタッフが数名おりまして。お夕食やお布団敷き等はしっかりご奉仕いたしますのでどうかご安心下さいね」

 当たり障りない言葉選びをしたが、要するに代々の氏子でない余所者は祭の運営には参加させてもらえないのだと夏目は察した。この現代にと思うが、閉鎖された小さなムラ社会では未だに根強く残っている風習だ。そうした人々が集まって民宿を開いたのか、はたまた祭の間にも経営できるようあえて外の人間と結婚するのか、そのあたりは分からない。
 通されたのは、こじんまりとした眺めのいい和室だった。古いだけに傷みもあるが、居心地は悪くない。いわゆる田舎の祖父母の家というものだろうか。
 ひとしきりノスタルジーを噛みしめていると、掛け軸や額の裏をひっくり返している名取が眼に入った。職業病というやつか。

「まあ、おかしな気配はしないし大丈夫だと思うけど念のためね」

 夏目の物言いたげな視線に気づいた名取は爽やかな笑顔でのたまう。それで何か貼ってあったらどうするというのだろう。ナニとは言わないが。
 ボストンバッグを下ろした瞬間、中がモゾモゾと動いたのでチャックを開くと、ニャンコ先生の真っ赤な顔が飛び出した。

「暑さ極まって爆発するかと思った!」
「にゃんこ爆弾……」

 分裂したミニャンコ先生がたくさん飛び出す図を想像して口元が緩みかける。タキあたりが狂喜乱舞しそうだ。

「ていうか食って寝てただけだろ。いいご身分だな」
「猫は食って寝るから猫なのだ。食って寝るのが本業なのだ。何が悪い」

 ふんぞり返って開き直る。すっかり猫になりきっている。本性を忘れてやしないか心配だ。
 猫らしく気紛れなニャンコ先生はすぐに夏目から興味を失い、興味津々で部屋を物色し始めた。

「なんじゃ、普通はもてなしの菓子とかあるもんじゃないのか」

 テーブルを叩き文句を垂れる。田舎の民宿にそのクオリティを求めるのは間違っている気がしたが無視した。

「折角だからこのまま祭とやらを見に行くか」

 名取が提案する。そういえばガソリンスタンドの青年だけでなく、先程の女将も去り際に強く勧めていた。

「そうですね」
「祭か! 焼きそば食うぞ! たこ焼きもな」

 頷く夏目の足元でニャンコ先生がはしゃぎだす。あれだけスナックを食べておいてと呆れるが、どうも妖(特にニャンコ先生)は燃費が悪いらしいのが長い付き合いで分かっているので「食べ過ぎて腹壊すなよ」と注意するに留める。人間を喰う妖もいるのだから、人間の食べ物で満足するなら可愛いものだ。
 件の祭は集落の北にある神社で行われているという。歩ける距離だと聞き、女将から聞いた道を行くと、確かに宿からすぐのところに入口の石段があった。鬱蒼と茂った樹の木陰と蝉声に覆われている。

「うわあ……」

 名取がやや引きつった笑顔で言う。ざっと見ても100段はありそうだった。不思議なことに宿にいる時は聞こえなかった祭囃子と共に人々の浮かれた活気が風に乗ってくる。

「何をしている、早く行くぞ!」

 気づけばいつのまにか上の方にいるニャンコ先生に夏目もげんなりしながら登る。

「人が見てたらどうするんだ、全く」

 暑さも相まって汗が流れ落ちるのをその都度袖で拭う。それでも山に囲まれて暮らす夏目は若さもあり割と足取りは軽い。一方の名取は、涼しい顔をしていたがやや辛そうだった。

「最近忙しくてジム通いをサボってたからな……運動不足が祟ったか」

 などとぼやいている。一応それなりには鍛えているらしい。さすがイケメンが売りの俳優だ。

「あ、見えてきましたよ」

 数段先を行く夏目が指を差す。賑やかしがいよいよ近づいてきた。
 ようやく頂上の鳥居をくぐると、そこは本殿ではなく参道があり、左右には所狭しと的屋が並んでいた。そして予想以上に人で溢れてもいた。

「意外と人多いですね」

 思わず漏らすと、名取も同じ感想だったのか確かに、と相槌を打つ。
 有名どころの大きな祭に比べれば可愛いものだろうが、それでもこのような車がなければ来られないような県の片隅にこれほど人が来るというのは、『サンノーどん』の名がそれなりに知られている証左だろう。
 短い参道の先に門があり、その先では何か行われているのか、白い衣を着た男たちが忙しく出入りしている。

「あちらでは何かやってるんでしょうか」

 近くの焼きそば屋でスポーツ飲料とビール(名取用)を買うついでに店主に訊くと、氷水の張ったボックスを掻きまわしながら、ああ、といった風に目をやった。

「確か3時から神事っつってたな。この祭の目玉なんだと」

 ここの的屋は外部からの派遣らしく、内々のことには詳しくないのか、どんな神事なのかははっきりしなかった。
 焼きそばを受け取りながら夏目は門を窺った。境内の石の上で座って休んでいる名取にビールを渡す。「あー生き返る」などとおっさん臭いことを言いながら実に美味そうに煽る。未成年の夏目にしてみれば酒のうまさはまだよく分からない。それよりも暑い日に汗をかいた後でアルコール摂取することの方が気になったが、酔っ払う名取も想像できないし、まあいいかと放っておくことにした。大人なのだから自己責任だ。

「3時から神事があるそうですよ。一般公開みたいです」
「まだあと15分くらいあるな」

 腕時計を見た名取は腰を上げ、ついでに早くも飲み干したビール缶を傍のゴミ箱に捨てると、本殿に爪先を向けた。夏目もついて行きかけてハッとなり周囲を見回す。

(そういえば先生、どこ行ったんだ)

 あの腹ぺこ大魔王のことだ、きっと出店の料理を片っ端から食べようと企んでいるに違いない。さすがに猫の姿で無茶はしないだろうと思うものの不安だ。個人が気軽に撮影でき、指一本で全世界に発信できてしまうこの時代、「祭で飲み食いするヤバい猫」などと題されてネットでバズったら困る。とても困る。

「先生探してから行くので先に―――

 振り返って言いかけた先から聞こえた黄色い悲鳴に絶句する。若い女の子たちがワラワラと名取の周りに群がっていた。

(そうだった、こう見えて有名人)

 今更ながらさり気なく失礼なことを思いつつ数歩引く。
 さすがプロの名取は素早く営業用の態度に切り替え、酒気帯びをおくびにも出さず、厳暑をものともしない爽やかスマイルでサインだの握手だのツーショットだのに応じている。いつもより多く煌めいておりますといわんばかりだ。
 夏目はとりあえずほとぼりが冷めるまで放っておくことにして、ニャンコ先生を探すことにした。
 人々の足元や店の隙間などを見回していると、ほどなくワタアメ屋のおじさんから凄い勢いで呼び止められた。

「ちょっとお客さん、金!」
「え?」

 ただでさえ強面なおじさんに鬼の形相で迫られ、何が起きたか分からずただ言葉を失う。しかし発言した側も、夏目の顔をまじまじと見て訝しげに眉を寄せた。

「んん? 男の兄ちゃんだな。おかしいな、よく似とるがさっきのは髪の長い女だったはず……あ、もしかすっと兄妹か?」

 その言葉に事態についてピンと来た夏目は心は怒りで真っ赤、顔は焦りで真っ青になりながら「多分妹です……」と震え声で言った。
 軒並み先々で食い逃げ犯の支払いをしつつ、ようやく人波の中で見つけたのは、自分に似た面差しで、後頭になぜか猫のお面をつけたセーラー服の少女だった。口にゲソを咥え、右手にリンゴ飴、左手にワタアメ、更に頭頂には焼きそばを乗っけている。彼女(仮)は肩で息をする夏目を見るなり陽気に笑った。

「おお、夏目。楽しんでおるか」
「楽しめるか!!」

 小声で一喝するや、人目に触れない店裏の樹の物陰に引っ張っていく。

「何してるんだよ先生、そんな格好で」
「ナニもなんも、人の姿でなければ人の食い物が買えないじゃないか」
「買ってない! 食い逃げは犯罪行為だ!」
「むう、にんげんはめんどうくさいな」
「なに今更世間ズレぶってるんだ。常識だ常識」

 段々疲れてきた夏目は長々溜息をついた。ニャンコ先生が唯一変化できる人型、それはまさしく夏目の祖母であるレイコの高校生時代の姿を模したもの。夏目はどうやら祖母似のようで、こうして並んでいると確かに血のつながった兄妹にしか見えない。

「ふむ、それはそうとしてあのトカゲ男はどうした?」

 夏目がガミガミ言うので変化を解いて猫の姿に戻りつつも、相変わらずゲソをもぐもぐしながらニャンコ先生が言った。

「ファンに囲まれてたから先に先生を探しに来たんだよ。行くぞ」

 早く食べないと棄てると脅し、ニャンコ先生が渋々一口丸呑みで食事を終わらせるのを待って小脇に抱える。参道に戻ると、丁度解放されたらしい名取に出会った。やや疲れているように見えるのは相当長い間ファンサービスしていたためか。
 大太鼓の音が響いた。気づけば参道の人が減っている。

「始まったみたいだね」

 夏目達も本殿の方に向かうと、前庭にはすでに人だかりができていた。隙間を見つけて入り込む。
 そこでは白い股引に藍色の着物を絡げ、蓑と蓑笠を纏い、天狗のような長い垂鼻の赤い面をつけた男たちが数人、手桶と柄杓を持ち、調子のいい祭囃子に合わせながら酔っ払ったような足取りで円を描いていた。この猛暑の中あのような暑そうな装いをするのを見て気の毒に思う。よく見ると輪になった観客に柄杓の中身をかけたり、飲ませたりしている。前列にいた夏目達の方にも一人寄ってきた。中身は何かと見ていると、ぬっと出された柄杓には透明な液体が入っており、独特の強い香りが鼻腔をつく。「芋焼酎だ」と名取が囁いた。
 名取は飲んだが、自分は未成年だからと断ると、あっさり次の人に移る。皆美味そうに飲んでいた。

「美味しかったですか?」
「うん、いい味だったよ。結構癖になりそうな感じの」

 名取が言うと、隣で飲み干したばかりの観客の男が頬を赤らめながら笑った。

「何せ秘蔵の焼酎だからな。年に一度、ここでしか味わえないっていうんで、これ目当てに来る奴も多いのさ」

 なるほど、それがこの人気の理由か。

「彼らは何なんですか?」

 男を常連と見て、名取がついでとばかりに酒を配る役を見ながら尋ねる。

「あれは“マサル”だよ。集落の青年組が毎回やるんだ。サンノーどんの使いで、猿田彦に扮してるらしい」

 へぇと感心する夏目の隣で、名取は声を潜めて言った。

「サンノーどんという名前からして、山王信仰と所縁があるんだろうね」

 山王。どこかで聞いたことがある。

「あ、山王祭の」

 確かつい数ヶ月前にニュースで目にしたのだった。江戸三大祭の一つで、神田祭と毎年交互に行われているとリポーターが説明していた気がする。

「そうそう。その山王祭を行う日枝神社の大ボスである日吉神社が祀るのが山王、すなわち大山咋神で、その神使は猿。神の猿と書いてマサルと読むんだけど、『魔去る』『勝る』に通じることから神聖視されたそうだ」
「詳しいですね」

 流石と感心の眼差しで見ると、名取は「伊達に長いこと祓い屋をやってない」と苦笑した。夏目にしてみれば、神と妖は相反する存在と思うのだが、人ならぬモノという意味では同ジャンルということか。
 ついでにスマホで「猿田彦」を検索してみる。某大衆参加型百科事典によれば、『古事記』や『日本書紀』に登場する神で、色んな謂れがあるが、とりあえず案内役の神として知られるらしい。
 きっとこの神事にも謂れがあるのだろう。隣の常連に聞いてみたいが、次々と酒汲みのマサル役がやってくるのでそうもいかない。
 皆があまりにも上手そうに飲んでいるので、初詣の甘酒のようなものと思い夏目も一舐めしてみたが、あまりにきつい風味と匂いにそれだけでくらくらしそうだった。ニャンコ先生はちゃっかり足元に零れた分を舐めてへべれけになっていた。
 次のマサル役が回ってきたところで、その踊る足が夏目の前で不意に止まった。しかしすぐに何事もなかったように柄杓を差し出す。
 手で断わりつつ、夏目は首を傾げる。一瞬のことだったが、面の向こうと目が合ったような気がした。まあ勘違いだろうと、さして気に留めなかった。
 一通り酒振る舞いが終わると、マサルたちはさっと退場した。次に祭囃子の調子が変わり神楽になる。本殿に注目すると、向こう角からしずしずと数人の巫女姿の女性が現れた。渡り廊下を通って舞殿に至る。真ん中に挟まれた巫女が主役らしく、一際華やかな装束だった。しかも面立ちも整っていた。

(綺麗な人だな)

 夏目の心を代弁するかのように、客の誰かが「今年の花嫁役は別嬪さんやな」と囁くのが聞こえた。巫女姿だが、花嫁役というところからして、神様への嫁入りを模しているのかもしれない。マサル達の軽快で祭らしい賑やかさとは一変し、厳粛な空気になった。
 普通の巫女舞をあまり知らないが、各々が太刀を掲げていることは珍しいように思えた。また足首に鈴をつけているらしく、足踏みするごとにシャラシャラと音が鳴る。配置に着くと、すらりと鞘を抜き、ゆったりとした神楽調に合わせて舞う。歩に合わせて鳴る鈴の響きが楽の音に不思議と調和していた。直接刃同士を当てることはせず、決まった型で何かを斬るような仕草を繰り返す。それは見ている者の目を奪うような幻想的で神秘的な美しい剣の舞だった。最後に花嫁役の巫女がそれぞれの巫女の頭上を優雅に一振りすると、巫女たちは次々に床に伏せ、最後に花嫁役が太刀を鞘に納めて坐し一礼をして舞が終わった。どこか浮世離れした空気から現実に戻り、客達の盛大な拍手に見送られて、巫女達は登場と同様に本殿の奥へ退場していった。
 一般公開の部はこれで終了らしく、観客は外へ散っていく。

「はあ……見応えありましたね」
「私も神事は色々見てきた方だが、これは初めて見るタイプだな」

 感嘆した風に名取が言う。

「何より酒が美味ふごっ」

 ほろ酔いでぽろりと開いたニャンコ先生の口を慌ててふさぎ抱え上げる。ぷーんと漂ってきた酒臭さに顔を顰めた。
 人目がなければ鉄拳を振り下ろしているところだが、とりあえず余計なことを喋り出さないようホールドしつつ、目立たぬように移動する。名取もこれ以上騒ぎになるのが嫌なのか、サングラスと帽子を装着していた。最初からそうすればいいのにとは心の声だ。
 人の波に乗って参道に出たところで、目の端に何かが掠めた。人と人の向こう側に垣間見えた姿は一瞬ののちに消えていた。
 不思議な既視感に首を傾げていると、「チョコバナナ!」と手の中で先生がふごふご叫ぶや、あっと思った時には腕から飛び出していた。

「あ、ちょっ、先生!」

 この酔っ払い!と心の中で罵りつつ追いかけたところで、カラフルなコーティングがされたバナナの並ぶ屋台の手前で、横からひょいと現れた通行人にニャンコ先生が激突するのは同時だった。

「うおっと?」

 仰天しつつも、飛び込んできた丸い物体をドッヂボール並にナイスキャッチしてみせたのは背の高い若い男性だった。派手なバンダナのガテン系ファッションとは裏腹な爽やか系好青年だ。

「すみません、うちの猫が」

 夏目が慌てて駆け寄ると、

「猫? おお、本当だ」

 全く気づいていなかったのか、両手で掲げてしげしげ見つめた。ちなみにニャンコ先生は酔っ払った状態で衝撃を受けたせいか目を回していた。

「ようできた招き猫が飛び込んできたのかと」

 夏目はギクリとしつつ、再度謝罪して男からニャンコ先生を受け取る。

「すまんかったの。儂も人探しをしていて周りをよく見ておらんかったから」

 妙に爺臭い口調でにこにこと言う男に夏目はふと奇妙な気配を感じた。その違和感の正体を見極めようとしたところで、

「三郎さん」

 息せき切っての声に無意識につられて振り返るのと、その人物が頬を引きつらせるのはほぼ同時だった。
 「おー」とバンダナ男が朗らかに手を挙げる。
 開いた口のまま思わず固まった夏目を前に、相手はさっと笠を目深に被りすかさず回れ右をした。一瞬呆けかけた夏目はすぐさま我に返り、去らんとするその背の着物をすんでのところでむんずと掴む。

「おい、ちょっと待て」
「どちら様でしょうか」
「今更白々しいぞ、飯嶋」
「ああ思い出した。わー奇遇だなぁ」

 言い逃れできぬと諦めたか、マサル装束の青年はあっさり振り向くとわざとらしく愛想笑いを浮かべ棒読みで諸手を挙げた。
 その顔に、過ぎし夏の思い出が一気に蘇る。

「なんじゃ律、知り合いか?」

 バンダナ男が二人を見比べる。
 律と呼ばれた方は、どういったものかと内心困り果てながら「あー」とか「うーん」と煮え切らない相槌を返している。

「まあ、色々あって」

 夏目は物言いたげな目線を送ったが、相手は素知らぬ顔で曖昧にはぐらかし、急に真顔になった。

「そうだ三郎さん、お父さん見なかった?」
「丁度さきほど、そこを行くのを見かけて追ってきたんだが」
「ありがとう。あ、三郎さん、向こうで晶ちゃんが探してたよ。そういうことで、じゃ!」

 最後のは夏目に向かっての言葉で、言い終わるが早いか慌てて示された方へと駆けていく。夏目が止める暇もなかった。いや、『お父さん』と言った時点で、切迫の理由が嫌というほど分かってしまって引き留めづらかったというのが正しいか。一方残された方はというと、

「慌ただしくてすまんな。儂も知り合いが待っとるんで、それじゃあ」

 と相変わらずニコニコとマイペースに言い、去っていく。どこからどう見ても普通の人間なのだが、何だか謎めいた男だった。
 夏目達は呆気にとられたまま、まさに置いてけぼりを食らったていでそこに残された。

「夏目、今のは?」

 今更のように隣に佇む名取が問いかけてくる。

「まあその……色々あって」

 半ば上の空で、先ほど青年が口にしていたのと同じセリフを繰り返す。
 その腕の中で、ニャンコ先生はまだ目を回していた。
22.02.18

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