目を開けると、明るい風景の中に佇んでいた。視界は真昼間のように眩しいが、色彩に乏しく、古い映画のワンシーンを見ている印象だった。 シャンシャンとどこかで涼やかな鈴の音が鳴っている。前後左右を着物を着た人々に囲まれながら、ゆっくりと道を歩いていた。ああそうだ、今日は祝言だった。早く、あの方の元へ行かないと。 (“あの方”って誰?) 自分の思考であるはずなのに違和感がある。透明な壁一枚隔てているように意識が分かれている。一方の意識では高揚とも焦燥ともつかぬ胸の高鳴りを抱き、そしてもう一方の意識ではそんな自分をまるで他人事のように眺めていた。 先の方で、誰かが待っている。天狗のような鼻の長い面をつけ、笠を被っている。見覚えのあるそれに、迎えの神猿だともう一つの意識が囁いた。 間近でその面の下をのぞき込み、 (ああ) 他人事のようであった意識が喜びに沸き立つ。 それは三郎だった。三郎が神猿役をしてくれている。こちらを見て微笑みながら手を差し伸べてくる。 その手をとり、案内されながら、目の前に突如現れたものにぎょっとした。 (えっ? いや、ちょっと待って) 戸惑って立ち止まる晶の手を三郎は邪気のない笑顔でぐいぐいと促す。 (本気でこれに乗るの?) 何かおかしい。何かがおかしいが、このままでは先に進まないとも分かっている。 急がねば間に合わない。ええい、ままよと晶は意を決してそれに足をかけた。 会場となっている屋敷の大広間に到着すると、中は相当の人数が集っていた。顔ぶれは老若男女様々だ。 誰もが囁き声ではあったが、数が多いので空間中にざわざわとしたさざめきが広がっている。時間的に皆食事は済ませているからか立食の提供はないが、隅の方に酒等の飲料は用意されていた。 よくよく見ると、人だと思っていた者の中に人でないモノも混じっていることに気づく。いずれも顔を隠しており、術者につく式神の類だと分かる。 「やあ、こんばんは」 その声音につい体がびくっと警戒してしまうのは、もはや条件反射だ。 恐々と首を巡らせれば、的場静司が悠然と歩み寄ってくるところだった。遅れて入ってきた二人を目敏く見つけたか、あるいは館の番をしている式から事前に報告を受けていたのか。 祓い屋の互助組織をとりまとめる的場一門の当主であり、歴代でも強い妖力を持つという彼は、相変わらずの黒い長髪と白い眼帯に紋付姿だった。夏目が初めて会ってから数年経つが、この青年は時の経過を感じさせないほど全く変わらない。 過去にあった色々を思えば極力顔を合わせたくない人物であるが、今回は招待主でもある以上、対面は避けられない。訊きたいこともある。 夏目の心中など露知らず(あるいは知っててもお構いなしの)的場は、常の妖しい微笑を浮かべていた。 「随分と遅かったですね」 「色々あって」 名取はしれっと言い肩を竦めてみせる。青年はふうんと相槌を打っただけで、それ以上追及しようとはしなかったが、全て見通しているようでもあり、何となく不気味だ。その隻眼が夏目に向けられるや、夏目は背にひやりとしたものを感じた。しかしその左目には、何故か意外そうな色が踊っている。 「まさか夏目君も来るとは。ついに祓い屋に興味が出たか、それとも何か他に目的が?」 「え?」 驚いてきょとんと聞き返すと、さすがに思わぬ反応だったのか相手も無言を返してきた。 どうやらフリではなく本当に心当たりがないらしいと悟り、「いえ、実は」と言いおいて経緯を語ると、的場は何か考え込むように黙した。やがて、手で触れていた口元が面白そうに持ち上がる。 「なるほど、招待状ね……生憎ですが、私達は出してませんよ」 「……」 「どうやら、君をここに呼びたがった誰かがいるらしい」 妖か、人間か。 嘯くようにそう囁き、的場は目を伏せ襟元を整える。 「まあ、それはそれでいいでしょう。せっかく来たのですから、社会科見学とでも思って楽しんでいって下さい」 リトマス試験紙と言い、社会科見学といい、何だか急に小学生に戻った気分で、夏目はげんなりした。何度会っても、時には協力し合うことさえあっても、この人には慣れないなと思いつつ、とりあえず「はあ」と返す。 「何か面白いことが起きそうですし」と言い残し、的場はあっさり踵を返した。隣で名取が苦々しい顔を浮かべていた。その双眸には腹立ちに交じり諦観めいた色が漂っている。これまた不思議なことではあるが、的場アレルギーとも言えるほど苦手意識のある夏目と異なり、名取は的場に対し表面上は敬遠しつつも心底から嫌悪しているわけでもなく、時には放っておけないとでもいわんばかりの態度を見せる。どうも浅からぬ縁があるらしく、知人とも友人ともつかぬ微妙な関係性だった。夏目も、的場の強い妖や力への異常な執着心の向こうに、ともすれば己の身さえ顧みない危うさがあることを知るだけに、何となくその焦燥は理解できるものもあった。 「何だ、最後の客はお前達だったのかい」 横合いから気さくな声がかかった。見やれば、眼鏡をかけた老年の女性が佇んでいる。 「七瀬さん」 名取の声がやや硬質を帯びる。二人にとっては的場と同じくらい、いや、場合によっては彼以上に警戒してしまう相手である。彼女の手段を選ばないやり方は時に強引で乱暴すぎていただけない。だが根からの悪人でもないことも承知している。彼女の的場への忠誠心は本物だ。そして実績と腕のある強力な術者であることも事実だった。 背後に式らしきモノをつれた的場の忠実な部下である七瀬は真顔になる二人を見るなり鼻で冷笑した。 「それに夏目の坊やも一緒とは珍しい」 「……招待されたので」 もはや説明も面倒臭くなり適当に答えると、七瀬もまた意外そうに目を瞬いた。 取り繕うように名取が質問をかぶせる。 「七瀬さん。今回の会合の目的は何なんです?」 「それは間もなく当主の方から話があるよ。招待客が全員揃ってからということだったからな、お前達を待っていたわけさ」 軽く肩を竦め、 「だが、まあそうだな。事前情報くらいは入れてやっておいた方がいいだろう」 とやや声を潜め意味深に笑む。ただならぬ響きに夏目も名取も表情を硬くし、黙って耳を傾ける。 「ここ数ヶ月、的場派の祓い屋連中が襲われる事件が頻発していてね」 飄々とした口調で語りながらも、眼鏡の奥の七瀬の双眸は鋭い。余程深刻な事態のようだった。 「以前にも似たことがありましたよね。同じパターンですか」 名取が慎重に言葉を選んで確認する。夏目自身も巻き込まれたことがあるのでよく覚えている。確か一つは、妖の面に操られた術者が、有力な術者を襲っているというものだった。別ケースのほうは妖が直接術者を襲っていたのだったか。 「今回のケースはまた少し違うな。何しろ、襲われた後に式を奪い去られているからね」 その内容に夏目はゴクリと唾を飲んだ。―――式神を奪い去る? 七瀬は険しい目つきのまま顎を撫でた。 「犯人は不明だ。いずれも夜中に後ろから鈍器で殴られているというから、妖ではなく人間の仕業だろう。意識を失っている間に式との契約の証を横取りされたって話だ。中には当たり所が悪く重体に陥った奴もいる。分かっているだけでもすでに5人がやられているね」 (そんなに……) 想像して、夏目はぞっとした。 「まあ狙われた術者が的場派というあたり、身内の犯行か、反的場派の仕業だろうと見当はつくが」 肩を竦めてみせる七瀬の前で、名取は怪訝そうに眼を眇めている。 「妙ですね。式との契約の証は術師にとって秘中の秘のはずなのに、そう簡単に盗まれるなんて」 「さてね。見せびらかしたがりな口の軽い奴もいるし、式から恨みを買っているような場合は式自身から聞き出せることもあろうよ」 そう皮肉気な冷笑を口端に刷く。術者の中には、式神をペットか何かと勘違いし、ひどく粗雑に扱う人間もいる。七瀬もまた自覚があるのだろう。彼女の場合はどちらかといえば冷酷非情な対応の方であるが。 夏目の心に暗い影が差す。祖母に名を奪われた妖達の中にも、祖母を恨んでいるモノ達がいた。妖にも妖としての尊厳がある。それを踏みにじられれば怒るのも無理はないし、そこに人間も妖も違いはないはずだった。 「その辺の事情を念頭に置いといて―――」 七瀬がそこまで言いさした時、大広間の上座に立った的場が明朗と声を発した。 「さて、お待たせしました。ようやく皆揃ったので、会合を始めましょう」 「おっと、じゃあ行くわ」と七瀬は軽く手を振り、2人から離れて当主の近くに戻った。 的場は相変わらず読めぬ笑みを浮かべていた。衆の注目を受けて、ゆっくりと見回す。 「すでに聞き及んでいる方もいるでしょうが、近頃、祓い屋を狙った不審な事件が続いています」 しん、と大広間が静まり返る。そこここで目線の交わし合いがあった。動揺の少ない空気からして、多くの祓い屋がこの事件を承知しているようだった。 「今回集まっていただいたのは、注意喚起と情報収集のためです。最近不審な変化のあった術師の話を聞いてないか……そうですね、たとえば―――急に式が強くなったとか」 謡うように述べる瞳が妖しく光った。何人かが唾を飲み、互いに顔を見合わる。ヒソヒソと囁き声も飛び交った。 (式が強く?) どういう意味だろう。頭を捻っていると、衆人の視線がチラチラと一方に向かっていることに夏目は気づいた。しかしそちらは人垣の向こうで、ここからではよく見えない。 ふと的場が嗤った。何かを企む時の意味深な笑みだった。 その左目がすいとある一点に注がれる。 「ねえ、いかがですか―――川崎さん」 弓なりの唇が名を口にする。その問いかけに、人々の視線がざっと一斉にそちらへ向けられた。近くにいたらしい人々が、やや怖気づいた風に距離をとる。おかげで夏目にもその人物が見えるようになった。 川崎と呼びかけられたのは、羽織袴を纏った壮年の男だった。取り立てて変わったところのない、至って平凡な、どこにでもいる風体の男。しかしその顔色は今や真っ青だった。「な、何を……」と取り繕うような声音も微かに震えている。 「いえね、ちょっと面白い話を小耳に挟んだもので。以前は人形作り以外で特にパッとしなかったあなたが、ここ最近になり自信をつけ、次々と退治依頼を受けては功績をあげているそうですね。しかも組合での酒の席で、『いずれ最強の式をこの手にしてみせる』と豪語したとか。一体どのような修行をされたのか実に興味があるのですよ」 川崎は顔面中に汗を浮かべていた。暑さのせいだけではないその反応の全てが、誰が見ても間違いなく彼がクロだと言っていた。 「川崎さん、どうですか」 的場は決して声を荒げてはいない。相変わらず落ち着いた静かな口調で、ただ問いかけている。だがそこには相手を射すくめるような圧があった。傍観している夏目達でさえ思わず緊張してしまうほどの、彼が放つ霊矢にも似た強い眼光。 川崎の視線は床を彷徨っている。的場の威圧に完全に覇気を失い、観念した様子でもあった。的場から目語を受けた七瀬が自身の式を川崎の両脇に立たせる。「川崎様、こちらへ」と丁寧な物腰ではあったが、有無を言わせぬ語気だった。 無事に問題解決かと、夏目は内心で胸を撫でおろしていた。一体自分が何のためにこの場に呼ばれたのかは一向に分からないままだが、このためではなかったのかもしれないと思い直す。 しかし、誰もが一件落着と思いかけたその時だった。 「はははは!」 川崎が急に天を仰いで笑い始めたのだ。ぎょっとした周囲の者が更に距離をとる。 両脇で今にも連行しようとしていた式がさっと得物を構える。他にも己の主を庇うように動く式もいた。 「この会合、端からこういうつもりだったわけだな。術者連中で俺を包囲しようと。だが俺をハメたつもりかもしれないが、そうはいかない。もうお前らの指図は受けん。的場の天下も終わりだ!」 的場を指さし、川崎は唾を飛ばしながら口早に吐き捨てた。 「川崎さん、あなた何ということを……!」 「うるさい!」 騒然とする中で上がった非難の声と視線を、川崎は振り払った。その目は血走り、狂気を孕んで光っている。 その口から何言か飛び出した。夏目には理解できないそれは、何らかの呪であったらしい。 川崎の袖口から飛び出たモノに気づき、名取が叫んだ。 「危ない!」 間髪入れず、大広間中に風が巻き起こった。あまりの勢いに夏目は思わず腕で顔を庇い目を閉じる。 『夏目!』 唸りの向こうで馴染んだ声がしたと思ったら背中を強く押されて床に倒れ伏す。と、始まった時と同様、唐突に風が止んだ。 びっくりして顔を見上げれば、白く大きな犬神の姿がそこにあった。文様を描く顔は神々しくも険しく、口には獣を三匹、一纏めに咥えている。だらりと長く伸びるそれは鼬の姿をしていた。 「先生……」 言いかけ、ハッと周りを見回し、体が硬直した。 大広間一面には血が飛び散っていた。人々は誰もが床に伏せるか蹲り、呻き声があちらこちらで上がっていた。中には七瀬らのように式の機転で辛うじて軽傷で済んだ者もいたようだが、昏倒して気絶している者は大概が大きな裂傷を負っていた。 「夏目、大丈夫か!?」 柊に守られながら、名取が急いた様子で声をかけてくる。やはり顔や腕に細かな切り傷を負っていた。人気俳優なのに大丈夫なのだろうか、とつい場違いなことを思ってしまったのは一種の現実逃避だったのかもしれない。はたとして自身の腕を確かめると、名取と同じような有様だった。だがいずれも掠り傷程度の浅さだ。ニャンコ先生こと斑が守ってくれたおかげだろう。 「俺は大丈夫です」 そして斑を見上げ「先生ありがとう」と礼を述べた。斑はフンと鼻を鳴らし、咥えていた鼬を床にポイと落とした。白黒茶それぞれ三色の体毛をした鼬は三匹とも仲良く伸びている。 「かまいたちの式―――一月前に襲われた術者が使役していたものだな」 いつの間に傍に来たのか、七瀬がそれらを見下ろし呟く。 その横をすっと通ったのは静司だった。こちらはケガ一つない姿で、ちらりと夏目を一瞥する。 「川崎さんが逃げた」 そう言うや、こちらが声をかける間もなく、彼は扉から走り出て行った。 「私達も追おう」と名取もすかさず立ち上がり、一度広間を見やってから七瀬に声をかけた。 「七瀬さん。ここをお願いできますか」 さすがに救急車を呼ぶわけにはいかなかった。こんな山奥の館で、これだけの人々が集まって何をしていたのだと警察に問い詰められても答えられない。できることは、動ける者たちで手分けして重傷者を近くの村の病院まで運ぶことくらいだ。怪我の原因についても警察沙汰にならぬ言い訳を考えなければならない。 「分かっているよ。先ほど指示を受けたところだ」 七瀬はつまらなそうに言い、さっさと背を向けて動ける者や式達を掻き集める。 夏目も名取に頷き返し、黒い羽織の背を追って扉から出た。 |