夏目達が大広間にいた頃、律と青嵐はと言えば、二階の部屋を片端から覗いていた。

「ここも違うか……」

 いくつめかの部屋でも当てが外れ、律は悄然と項垂れる。名取からもらっていた顔布は鬱陶しかったので外している。 広い館だった。かつては貴族か公使の邸宅だったのではと思うような内装で、洋館かと思いきや畳座敷もあったりと、和洋折衷の趣がある。今時のLEDとは違う古ぼけた薄暗い電灯に照らされ、赤い絨毯敷きの廊下に戻っては次の扉を開けることを続けていた。
 正直、この館の中に本当に晶がいるという確証はない。だが律には何となく突き動かされるものがあった。これも近しい血筋同士ゆえだろうか。だがピンポイントで居場所が特定できるほど便利でもない。中途半端なセンサーだ。
 懸命に捜索を続ける律を尻目に、青嵐は我関せずと調度品の隙間や長櫃の中から小妖魔を摘み出してはペロリと食べている。「こんなんじゃいくら食べても腹は膨れんわい」とブツブツ文句を垂れていた。

「真面目に捜してよ」
「ふん、蝸牛の孫とはいえ儂にゃそんな義理はないからな」

 全く薄情な護法神だ。祖父には大層忠実だったくせに、血を分けた肉親に対してはこの態度である。妖魔の基準というのはよく分からない。
 期待することを諦め、律は気持ちを入れ替え、次の部屋を目指した。と、廊下に出たところで、青嵐がふいに首を巡らせた。その視線の先が見据えたのは廊下の奥。

「あそこから何やら妙な気配がする」
「え?」

 律がその目線を追えば、突き当りの暗がりに襖が見えた。

「何の気配だって?」
「分からん。だが」

 ニヤリとその口元が上がる。

「大物かもしれんぞ」
「……こんなところで暴れないでくれよ」

 何度目かも分からない効果の見込めぬ釘を刺しつつ、そちらへと爪先を向ける。
 金銀箔が張られた襖は黄ばんでおり、館の古さを物語っていた。だがその取っ手に埃はついておらず、最近誰かが触れたらしき痕跡があった。
 一つ息を吸って、開けようとしたその時だった。下の階から人々の騒ぐ声が聞こえた。只事でない雰囲気に、ぎょっとして後ろを見返る。

「何だろう」

 一瞬夏目達の安否が気になったが、まああの招き猫に扮した守護もついていることだし、大事に至ることはないだろう。
 そう思い、襖に向き直ったところで、今度は階段を荒々しく駆け上る足音が聞こえた。ヤバイと慌てて中に入り、音を立てぬよう襖を閉じる。室内は真っ暗だ。ところが、バタバタと徐々に近づいてくる足音に背が凍る。不味い、こっちにくる。文句を言う青嵐を何とか押しやって壁際を伝い部屋の隅へと寄った。
 やがて足音が止まり、襖が音を立てて開いた。律達は声を殺し、その人物を見る。全身汗だくになりながら、ただならぬ様子で立つ男。彼は廊下の明かりだけを頼りに、部屋の奥に置かれた大きめの衣櫃へと一目散に近づいた。隅の陰にいる先客には気づかない。
 律達は知る由もないが、その男こそ少し前に下の大広間で審議の対象となっていた川崎という術者だった。








 川崎は焦っていた。早く、急いでこの館を出なければ。今手に持っているコレと、衣櫃の中に隠したアレさえあれば逃げ切れる。的場一門が、的場静司が来たところで敵ではない。ようやく手に入れたのだ。渡してなるものか。
 川崎は、祓い屋の中ではさほど家格の高くない出自だった。かつては優れた術者も排出したらしいが、時とともに次第に能力は失われ、川崎家も今や斜陽の最中にあった。
 自分自身も生まれつき祓い屋としての才能は乏しかった。周りで歴史ある祓い屋の家が相次いで廃業し、業界を離れていくなか、焦りばかりが募った。明日は我が身かもしれないと思うと、気が気ではなく夜も眠れなかった。色々と調べて修行をしてみるも、これといって妖力が高まる気配もない。唯一得手だったのは人形だが、せいぜい身代わりくらいにしかならず、妖を直接祓えるものでもなかった。所属する組合の連中からも「使えない」と度々陰口を叩かれていた。

 鬱々とする中、たまたま蟲毒の呪いについて知った。組合の誰かが呪い祓いの依頼を受けたらしく、話をしているのを立ち聞きしたのだった。
 蟲毒は、1つの容器の中に生き物を閉じ込め、飢えさせて互いに食い殺し合わせてつくる呪詛の一種だ。最後に残った1匹は最も強い生命力を持ち、かつ他の生き物の力をも飲み込んで、恐るべき使役となる。憎悪と生への執着が式を強くするのだ。川崎はこれに目をつけた。

 まずは山で蛇を集め、生き残った1匹の身体を土に埋めて、首を刎ねた。通常はここで対象に向け呪詛を放つのだが、川崎はそうせずこの呪霊を己の式とした。そうして他の術者の式神を奪っては、それに食わせた。食わせる式神は、会合や組合で会った中で、主人からの非合理な扱いに不満を抱いてそうなモノに目を付けた。契約の証の在り処を聞き出しやすいという点もあったが、何より蟲毒の式が恨みの念を餌に強大化するものだったからだ。だから「逃してやるから契約の証を教えろ」と甘言を弄し、術者が気絶しているうちにまんまと盗み出してやった。

 まずは弱そうな式神から始め、それが力を増すごとに強い式神を盗み与えた。それは見る間に力をつけ、並みの妖程度ならペロリと丸呑みするほどにまで成長した。
 依頼をこなすうちに、川崎の評価も上がっていった。だが蟲毒は飢餓の塊。常に食わせ続けなければ、やがて術者に牙を向く。次々と身内を襲っていれば、さすがに疑われかねなかった。しかも組合の者達は川崎の豹変ぶりに戸惑い、中には怪しんでいる者もいた。

 術者の連続襲撃事件の噂が立つ頃には、そろそろ潮時かと思った。だがここで急に行方を暗ませれば、事件への関与を疑った的場に追われ、いずれ居場所を嗅ぎつけられぬとも限らない。離脱する前に、何とか彼らが太刀打ちできないモノを食わせて強化しなければ。そう考えていた矢先に、熊本の山奥に伝わる奇祭の噂を知った。一年の山の穢れを一身に集めた御神体。負の念の集合体。これだ、と思った。東京の大学生の集団が飛び入り参加するというイレギュラーはあったものの、予め山に身を潜め、祭主の山本の人形を仕込む。花嫁役が鍵を開けたところで襲い、まんまと古い御神体を盗み出すことに成功したのだ。

 しかしさすがに古くから続いた信仰の対象であり、広大な山の念。何の準備もなく、そう簡単に蟲毒に食わせることはできない。かといって身に着けたまま会合に出席しては、滲む力の波動で的場の誰かに見抜かれるかもしれない。そのため川崎は館に到着早々、手洗いに行くフリをして二階奥のこの部屋に隠したのである。
 そう、この木でできた衣櫃の中に。
 川崎ははあはあと息荒らぐままに戸に手を伸ばした。冷たく古びた金属の取っ手に触れる。

「なるほど、そこにあるというわけですか」

 背に氷塊を当てられたかのようだった。ギクリと硬直し、慌てて背後を振り返る。
 廊下の薄明りに浮かんでいる者の名を戦々恐々と口に乗せる。

「ま、的場……」
「そこに何を隠しているんです?」

 あくまで穏やかに、場違いなほど優しく、的場は尋ねた。その背には矢柄、右手には弦のない弓を携えている。まるで悪魔の化身を見ているかのようだ、と男は心の内で恐怖した。だが、と思い直す。自分には切り札がある。一発逆転の切り札が。

「ふん、お前等には分かるまい。生まれながらに才能に恵まれたお前にはな!」

 叫ぶや否や、袴の帯に挟んでいた人形を破いた。
 的場の片目が見開かれる。
 宙に、不自然なほど細い人の形をした何かが浮いていた。
 目と口の部分だけに開いた小さな穴は虚ろで、まるでお面のように白い顔をしている。髪はなく、体は真白な布ですっぽり覆っただけの姿。手は見えず足だけがひょろりと伸びている。表情もなく、ただ白いその存在は、かえってひどく不気味で恐ろしく映った。
 暗がりからそれを見つめていた律はただ慄いた。それの放つ妖気はあまりにも禍々しかった。喉が渇き張り付いたように声が出ない。

「その男を殺せ!」

 川崎が命じるや、黒い点だと思っていた口が裂け、ニタリと笑った。鈍重そうに見えたその異形が震え、対象に向かって細い体を素早く伸ばす。

()彼我(ひが)分かつ道切りの法」

 落ち着いた面から呪が素早く放たれる。今にも襲い掛かろうとしていた白い能面の額が、襖の仕切りを超えた瞬間火花を放った。だが式は止まらない。不気味な笑顔のまま、バチバチと音を立てる紫電も気にせずに頭からねじ込ませていく。ガラスの割れるような音がして、結界が崩れた。的場の口から軽い舌打ちがこぼれたが、その顔は怪しく嗤っていた。
 懐から短冊型の紙片を取り出し、左手で式の額前に突きつけ唱える。紙片には墨字で『石敢當』と書かれていた。

「歩みては離れ、走りては遠のき、飛びては当たり、滑りては沈む。夫れ避邪の法、破魔の理を以って、来たし方に戻れ」

 右手の刀印を紙片の前で切るや、呪いの式がもんどりを打つように仰け反った。だがそれもつかの間、ぐいんと再び体を起こし、虚ろに笑う。効いていないようだった。

「はは、その程度の術ではこの蟲毒の式を調伏することはできんぞ。さあ、的場静司を殺してしまえ!」

 川崎は歪に笑い、式神に強く命じた。不気味な能面の笑顔がぐいと大きく伸び上がり、にわかにその口が裂け、漆黒の咢が開かれた。歯はなかった。

「ああ、勿体ないな……」

 ポツリと、的場の唇から独り言が零れ落ちる。手にした弓を構えることもなく、身じろがぬその姿は、恐怖で硬直しているようにも、冷静に観察しているようにも思えた。ただじっと動かずに目の前のウロを見つめている。
 佇んだままのその後方から「静司」と呼ぶ声が聞こえるのと、律が「青嵐」と叫んだのはほぼ同時だった。風が壁を打ち、襖障子がガタガタと鳴った。
 開き戸に飛びつかんとした川崎は、信じられない光景に目を見張った。

『いっただきまーす!』

 突如として龍の妖が横合いから現れたかと思えば、大きく伸びた白い頭を飲み込んでいた。何だと、と驚愕の声を上げる間もなく、更なる衝撃が廊下の向こうから飛び込んできた。

『山分けじゃ山分け!』

 これまた巨大な白い犬神が唐突に的場らを飛び越え、式神の身体にかぶりついたのだ。

『早い者勝ちと言うたろーが!』
『ふん、恨みっこなしとも言ったぞ!』
『そういう意味ではないわ!』

 何やら言い合いをしながら、我先にと食いまくっている。ヒイイイと式神の口から金属を擦るような断末魔を上がり、身もだえた。だが二体の強大な妖怪相手では手も足も出ないか、白い体が徐々に食いつぶされていく。

(そんな―――バカな!)

 あの式は川崎の最高傑作だった。祓い屋の持つ式や妖を食わせ続けた蟲毒の結晶。そこらの妖怪風情などとは比べ物にならぬほどの強い妖力を帯びていたはずだ。現にあの的場静司さえも調伏できずにいた。にも拘わらず、今や半分以上が見知らぬ妖に易々と食われつつある。『思いのほかデカいな』『こいつは久々の食べ応えだが少々胃もたれしそうだ』『フン、老いぼれめ』『煩い』等という下らない言い争いとともに。

 ふと、その光景を呆気にとられた表情で見つめている若い男二人と、面白そうに眺めている的場が目に映った。そうだ、こうしている場合ではない。早く逃げねば。彼らの自分から気が逸れているうちに、せめてアレだけでも―――
 強く掴んだ観音開きの取っ手を思い切り引く。中に入っていたのは、布の上に置かれた小石。
 それを布ごと掴んだ―――と思った。その手首に痛みが走った。矢が掠めたのだ、と思った瞬間に目の端に入ったのは、いつの間にかこちらに向け弓を放った立ち姿の的場と、宙を飛ぶ石。
 あれは私のものだ―――
 手を伸ばそうとしたところで、背後から飛び出してきた物体に、後頭部を強かに殴られた。その勢いで上に何かのしかかる。意識が混濁し、視界が暗転した。








(し……新幹線?)

 尻もちをついたまま、一部始終を目撃していた律は、自分の頬がヒクリと引きつるのを感じた。
 衣櫃の中から飛び出していたのは、衣櫃にジャストフィットする程度の小さい車幅ではあったが、紛れもなくあの東西を貫くN700系の鼻面だった。白地に青の塗料が妙な現実感を漂わせている。
 不意にその車体がキラリと反射し、一瞬手を翳して目を閉ざす。だが再び目を開いた時、何故か翳した手が柄杓を握っていた。柄杓―――いつの間に?

 ―――露払いを

 脳裏のどこかで囁き声が響いた。それにつられるように律は立ち上がる。もう一方の手には手桶を持っている。ちゃぷんと甘露な酒の香が漂った。
 部屋だったはずのそこは、気づけば白く輝く山道だった。後ろに誰かがついてきている。そうだ、"彼女"を先導し、"彼"の許まで案内するのが自分の役割だった。シャラン、と鈴の音が漂う。足取りに合わせ長唄が揺蕩う。
 輪になって集う山の精達に、手桶から酒を振る舞う。その輪の先に誰かが座していた。ずんぐりとした大きな黒い影。顔は見えない。

 ―――あなた、お待たせいたしました

 姿なき声が後ろから響いた。見えぬ手が鞘から白く輝く刀を抜く。鈴の音が反響し、ゆったりと舞う。
 その刀が影の上をひと薙ぎした途端、影がふわりと白く解けた。光の花吹雪が舞う。
 外で木々が騒いでいる。山が鳴いている。声なきモノたちが祝いにさざめいている。
 山全体に膨れ上がり覆わんとしていた荒々しい気が溶解していく。
 ふわり、と一瞬だけ白無垢が視界に翻った気がした。
 はたと我に返った時には、部屋の中は相変わらず暗く、シンとした静まり返っていた。律は瞬きながら両手を見下ろす。そこには柄杓も酒桶もなく、そして新幹線の姿もなかった。畳の上には気絶して伸びている川崎の姿だけだ。まるで幻を見ていたかのようだが、恐る恐る衣櫃に近づいて更に仰天した。
 何と中には、巫女衣装の従姉と、彼女を守るように抱える男が、二人そろって仲良く壁に凭れスヤスヤ眠っていたからだ。

「あ、晶ちゃんに三郎さん……」

 脱力したその爪先に何かが当たり、反射的に見下ろせば、木で彫られた新幹線らしき模型が転がっていた。
22.02.18

7BACK      NEXT8