突如として家全体が激しく揺れ動いた。 「うわ、わ?」 夏目は咄嗟に側の壁柱にしがみ付いた。「おわー」と声がしてはたと見やれば、床をコロコロと転がっていく先生。慌てて尻尾を掴んだ。 まるで台風か地震に見舞われたように戸や襖や壁がガタガタと不穏な音を立てる。律や青嵐は必死に床に這い蹲り、ニャンコ先生を抱えた夏目も目を堅く瞑って必死に耐える。 ガタガタ・・・・・・カタ・・・・・・ どれほどしてか、振動が徐々に弱まり、そしてやがて止まった。 揺れが収まっても、しばらく四人は動かなかった。動かぬまま、様子を覗い息を潜める。 「何だったんだ今の・・・・・・」 沈黙の中、ようやく夏目が口を切った。 地震、だろうか。だがこのタイミングで、というのが何か腑に落ちない。それに、直感だが、ただの地震とは違うように感じた。 律も同じことを考えていたか、 「地震・・・・・・じゃないだろうね。多分、家鳴り、かな」 ぽつりと漏らされたその一言に、え?と首を向ける。 律は上体を上げながら、天井を見渡しているところだった。 「家鳴り?」 「ほら、古い家なんかで時々天井や壁が音を立てることがあるだろう? あれが家鳴り。普段は軽いラップ音くらいだけど、時にはこうやって揺らすこともある。一般にはポルターガイスト現象とも言われてるけど」 律は依然視線を彷徨わせながら説明する。 やたらと詳しい律に、夏目は感心するとともに驚いた。彼はどうしてそんなにも妖怪に詳しいのだろう。おまけにどうしてこんな怪奇現象にも落ち着いていられるのだ。夏目など、現状についていけていない。それでなくても思わぬ所で『見える』人に遭遇して戸惑っているというのに。 「でも、何となくさっきの揺れに妖怪の気配は」 感じられなかった、と言おうとしたところで、夏目はさっきまでキョロキョロしていた律が、こちらに双眸を定めてじっと凝視していることに気づいた。それも、ポカンとした風な、どう反応したらいいのかわからないとばかりの顔で。 (何だ?) 今になって気づいたが、彼の瞳は人をどきりとさせる。というより、どこか怖い。何を見ているか読めない。なのに何でも見透かしているような。 軽く慄く夏目を、律はゆっくり指差した。正確には夏目の隣。そういえば目線もよく見ればそちらに向けられている。 「えっと・・・・・・」 律が言い差した瞬間、夏目は傍らに何かの存在を感じた。振り向いていいものか一瞬迷いながらも、横を見やる。 「わあ!」 反射的に飛び退った。 そこにはいつの間にやら巨大な図体が端坐していた。 着物を着たそれは、一際大きな頭をぐるりと巡らし、半月型の窪んだ眼で夏目をひたと見る。四角に近い頭からは茫々の髪がうねうねと伸び、青黒い額部からは二本の角。 (妖怪―――) 明らかに人世のものではない風体に、夏目は言葉もなくただ見返すしかなかった。 『何じゃ貴様!』 夏目の前に飛び出したニャンコ先生が警戒して毛を逆立てる。今にも飛びかからん勢いである。 「待てニャンコ先生っ」 金縛りから解けた夏目は咄嗟に叫ぶ。何となく、この妖怪からは害意を感じない。 「そうじゃ、ちと落ち着かんか」 続けて嫌味な突っ込みが飛ぶ。憤慨したニャンコ先生を夏目は後ろから抱きかかえてホールドした。 火種を落とした張本人である青嵐は、眼鏡で巨体を見上げながら、 「こやつこそが家鳴りだ」 「これが?」 律が若干強張った表情で青嵐を一瞥し、それから妖へ戻す。 『いかにも』 「うわ、しゃべった」 びくっと身を引く。それから恐る恐る覗うようにして尋ねた。 「お前が僕たちを呼んだのか?」 『いかにも』 家鳴りは先程と全く同じ調子で返答する。家鳴りが喋るたびに、あちこちがきいきいと鳴って大層やかましい。 律が再び慎重な面持ちで質問を重ねる。 「目的は一体何だ」 『主らに頼みがある』 「頼み?」 夏目が訊き返す。尻餅をついていた姿勢から、少しずつ後ろに下がり、そっと正座した。 『儂は長くここを住処とする 「自分でどうにかできないのか」 『そやつの力は存外強い。儂がここにこうしているのも寝床を追われたためなれば』 「家鳴りは普通床下に住みつくからな」 そっと青嵐が律に耳打ちをする。 家鳴りは下から建物を揺らすのだ。 「え、でもさっきの揺れは?」 ふと疑問に思い、夏目は首を傾げた。家鳴りは床下から震わす。しかし当の本人は今現在床下から追い出されている。 では今家を揺らしたのは? 『先の「家鳴り」は儂に非ず。我が場を奪い取ったそやつの所業』 だから侵入者を追い出し、場を奪い返してくれという。 「そんなこと僕らの知ったことじゃない。妖魔同士で話合えばいいじゃないか、人を巻き込むな」 律が少し憤然として言うのを聞いて、夏目は吃驚した。こんな妖怪に向かって堂々と文句を言う度胸も驚嘆ものだが、妖怪同士の諍いであっても頼まれればついつい首を挟んでしまう性分の夏目にとっては、律の意見はいささかシビアに響いたのだ。 しかし実際に、人間が妖怪のいざこざに駆り出される謂われはない。律とて些細なことならばやむを得ぬ事情で引き受けることはこれまで何度もあったが、今回ばかり頑なに拒絶するのには、この一件が明らかに己の手にあまる、かつ相当危険なものだと感じ取っているからであった。 『妖魔ではない』 しかし家鳴りは言った。 「何だって?」 『そやつは我らが同胞に非ず、元は人であったもの』 夏目の心臓がどくりと鼓動する。 人であったもの。 それとは一体。 『人のことなれば、やはり人の手を借りねばどうにも収まりがつかぬらしい』 「だからって勝手な」 『そやつは最近住み付いたモノではなく、前々からこの家に取り憑いておったモノ。故にかつて一度人にそやつを封じてもらったのだが、此度何者かによって封印が破られ、再び暴れ回っておる』 言ってぐるりと大きな眼を回し律に向ける。 『以前奴を封じ込めたのは蝸牛じゃ』 律の表情が凍りつく。 (蝸牛?) 聞き慣れぬ名に、夏目は汗を流したまま、黙然と怪訝な面持ちになる。その傍らで、「蝸牛、そうか蝸牛だった」とニャンコ先生が納得気に零した。 律はあからさまに愕然としている。 「おじいちゃんが?」 茫然と零れ落ちたそれに、はっとなる。 おじいちゃん。 ということは、蝸牛とは律の祖父の名か。ならば律の祖父もまた、霊能者だったのだろうか。 (レイコさんみたいに) 訊いてみたいが、今はそれどころではない。 律は動揺するまま青嵐をうかがっている。律の父だという妖(これも解せない)もまた顎に手をやりながら、うーむと唸っていた。 「そういえば確かに昔蝸牛がそんなことしていたような気も・・・・・・」 『いかにも』 家鳴りは頷―――かず、微動だにせぬまま肯定した。 『今一度蝸牛に頼むつもりであったが、すでに死んだと風の噂で聞いた。故にその孫にお出で願った次第』 『おい待て。じゃあ何故私らまで引っ張り込まれる羽目になる』 ずっと黙りこんでいたニャンコ先生が納得のいかぬとばかりに口を挟む。話を聞いていれば、どうにも依頼先は律であって、夏目たちまで呼ばれる謂われがない。 ぎょろりと家鳴りがそちらを見下ろした。 『蝸牛は強かった。しかしその蝸牛でさえ消すことは適わず、封ずるに留まった。その孫殿となればなお分からぬ。そこへ風の噂で「友人帳」なるモノを持って多くの妖を従える人間の話を聞いた。ところがこちらもすでに死んで久しいという。故に「友人帳」を受け継ぐその孫にお出で願った次第』 飛び出した『友人帳』の名に夏目はどきっとした。 「『友人帳』?」 今度は律が不思議そうに夏目を見ている。 (誤魔化した方がいいのだろうか) 夏目は迷った。 しかしその迷いを尻目に、家鳴りは続ける。 『二人揃えば丁度よかろう』 「なんと勝手な」 青嵐が舌打ちせんばかりに唇を歪める。『全くだ』とニャンコ先生までもがお怒り気味だ。同じ妖怪でも、このあたりの常識(妖怪に常識があるかは疑問だが)は違うらしい。 「でも、一体誰がおじいちゃんの封印を破ったんだ」 独りごちるような律の呟きに家鳴りは答える。 『分からぬ』 「なら、その封印はどこに」 『分からぬ』 あまりに取りつく島もない返事に、律が疲れ顔で「それはないよ」と抗議した。 『儂は知らぬ。蝸牛はどこかに奴を封印していた。それが破られた』 これでは埒が明かない。妖怪の中にはこうして会話が成り立たず、一方的に言いたいことだけ言っていく輩がいるが、この家鳴りがまさしくそれだった。 『奴は勝手にこの家を乗っ取り、あたりかまわず死を呼ぶ。住み人を呪い、玉の緒を奪い、次々と家主が変わりて、やがて誰も来なくなった。このままでは儂の寝床もまた死す』 家鳴りは人の住む家でこそ居場所を得られる。しかしどちらにせよ家を揺らせば人は住み付かなくなるだろう。なので昨今の家鳴りは専ら音を立てるのみで、滅多に家を揺らすことはしないのだと言う。 「引越せばいいんじゃないか?」 あっさりかつ尤もな律の意見だったが、家鳴りは否やを唱えた。 『このあたりの家にはすでに別の家鳴りがおる。おまけに此処は居心地がよいのじゃ』 あまりに身勝手な言い分に一同は呆れ果てた。 『飯嶋蝸牛の孫および友人帳の所有者と見込んで一つ頼む。では任せたぞ』 「え、任せたって・・・・・・」 一方的に言うなり、夏目や律を無視して、家鳴りは消えた。 あとには唖然とする四名が残されるのみ。 シーンとする中で、誰もがこの事態に理不尽さを黙然と訴える。 要するに何が何でも封印をしろということだ。でなければ外にも出さないつもりだろう。 「な・・・・・・何でこんなことに」 律がガクリと床に手をついて嘆く。 夏目もまたそれに倣って盛大に溜息をついた。 どんぐりころころどんぶらこ。 ハマったのは池ではなく家で、出て来たのも泥鰌ではなく家鳴り。 一緒に遊ぶどころではない厄介な依頼つきときた。 しかしこうしていても、どうしようもない。 「ニャンコ先生、俺たちどうすればいい?」 夏目はひとまず用心棒兼妖怪学の師に尋ねてみる。 『元の封印を探すしかあるまい』 不機嫌そうに尻尾を振りながら、先生は低く言った。 「元の封印って・・・・・・」 「蝸牛の使った呪具だな」 青嵐が顎を撫でながら宙空を睨む。 「封じに使われた呪具はまだこの家のどこかにあるはずだ。強力なモノであるほど、蝸牛は念入りに術をかけている。一度破られようとも再び封じることができるように、抜かりなくな。つまりそいつを探し出せば、再び元通り封じ直すことも可能だろう」 (呪具) 何やらおどろおどろしい印象の語に、眉根を寄せる。普段から縁のない夏目にはそれがどのようなものか想像がつかない。こんなことなら食わず嫌いをせず、名取にもうその道について少し教わっておけばよかったかもしれなかった。無事戻れたら少しでもいいから話を訊いてみようと決心する。 「青嵐、お前少しも覚えていないのか。せめて呪具がどんなものだったとか」 律の声音にはあまり期待していないような、それでいて微かな望みを託すような切実さが滲んでいる。 「ううむ、何せ随分昔のことじゃからな。どうにも記憶が」 「・・・・・・お前はそういう奴だよな」 アテが外れてがっくりと項垂れている。 暗中模索で倦怠的な空気に圧し包まれる中、誰もが取るべき第一の行動を選びあぐねている。 「ひとまず」 気づけば夏目は立ち上がっていた。三対の視線が集まる。 「ひとまず、家の中を探してみよう。何か分かるかもしれないし、感じるかもしれない」 危険もあるかもしれない。 直感は不穏な予感ばかり訴えてくる。 夏目は不安に慄く心臓を誤魔化すように、笑う。 「大丈夫、協力すればきっと何とかなる」 我ながらいつになく無根拠に力強い発言だった。そのことに一番驚いているのは自分自身だ。 妖怪がらみのトラブルに巻き込まれるのはいつものことだ。でも、いつもより恐怖を感じないのは、恐らく仲間がいるから。 しかし呆けたように瞬いていた律は、はっきり同意を示すこともなく、ただ曖昧な色を瞳に乗せる。夏目ほど楽観視できぬのか、やや悲観的に笑った。 「そうだといいけど」 こうして夏目たちは三人プラス一匹で手分けして呪具探しに当たることになった。 |