西山家(呼び名が無いので便宜上こう呼ぶ)は和洋式併せた二階建ての一軒家である。

 間取りは大まかに、一階は玄関から真っすぐ廊下が伸び、各部屋へと繋がっている。一番奥に台所があり、向かって左が風呂場、右が茶の間になっているようだ。風呂場の横、階段の下は洗面所とトイレ(当然ながら水道は通っていない)、納戸と並んでいる。その他は目的の判然としない和室。箪笥や鏡台などが置かれているところからして、恐らくは住人の個人部屋だったものだろう。座敷部屋の一部は襖で間切られ、すべて閉めれば左右合わせて6室になる。ちなみに夏目たちが入って来た庭に面するのは、向かって右側の一部屋であり、家鳴りと鉢合わせたのもそこだ。

 変わって二階は一階の三分の一ほどの面積で、洋室が廊下を挟んで四つ並んでおり、手前に子供部屋が二室、奥はすべて物置となっている。
 何故子供部屋と分かるかというと、律と青嵐が先に見分を済ませていたからだ。恐らく男の子がいたのだろう、野球バットもそこから拝借したものだったりする。

 これらの場所を、後続組にも確認してもらうために、もう一度一通り辿る。その都度律と夏目は細かいところまで目を凝らして封印の呪具らしき気配を探るが空振りが続き、スタート地点に戻る頃には結局それらしきものの手掛かりを得ることはできなかった。

「なかなか見つからないね」

 腰を落ち着けた畳に後ろ手をついて、夏目がふうと溜息をついた。

「一体どこにあるのかな」

 独り言めいた呟きに、律はさぁと疲れたように返す。彼にしてみれば二週目の家内巡りだ。距離にしてもさほど疲れる長さではないのだが、いちいち神経を尖らせながら慎重にじっくり進むから、回り切った頃には徒労感だけが残った。

『夏目、見ろ見ろ』

 悄然としている夏目の背へ、場違いに弾んだ声が当たる。見やればニャンコ先生が鞠を転がして遊んでいた。

「・・・・・・先生」

 あまりに能天気なありさまに夏目は余計ぐったりとする。が、ふとその鞠を見て―――

「っ、先生それ!」

 咄嗟に後退る。律もぎょっとして、わあと叫んだ。
 ニャンコ先生はうん?と相変わらずのにや顔で手先で弄んでいる。その鞠がぐるりと回り、解れた糸が無造作に広がった。そして中から出て来たのは人の顔。

『おわあっ』

 ニャンコ先生も(妖魔のくせに気づかなかったのか)びくっと毛を逆立てる。
 それは絶句している夏目を見てけたりと笑うと、ぴょんと跳ねて闇の向こうへ転がり去った。ケタケタという振動にも似た笑い声だけが尾を引く。

「何じゃ、たかだか生首じゃないか。揃いも揃って情けない」

 青嵐が鼻を鳴らす。眼鏡は闇の向こうを見やっていた。

「なら傍観してないでいつもみたいに食うなりしてくれればいいのに」

 若干青ざめながら律は小声で罵った。

「ありゃ私には食えん」

 青嵐は詰まらなそうに言い返す。

「死んだものでも一応“人間”だからな」

 契約さえなければ、と呟きで、ようやく律ははたとして父の姿をした妖を見上げた。青嵐は祖父である飯嶋伶の式神だ。『決して人間を食らってはならない』という祖父の命令は、主が死んだ後でも有効だった。
 ということは、あれは元々人の―――

「ふん、大方この家で憑り殺されたうちの一人だろう」

 ひやりと律の背筋が冷えた。自分たちも早いところ脱出せねば遠からず同じ運命が待っている。冗談ではない、こんなところで家に憑り殺されてたまるものか。
 外は茜色に染まっている。室内も輪をかけて暗くなっている。やがて完全な闇に支配されるだろう。探索中に懐中電灯と蝋燭、マッチといったものは確保しているから光源に困ることはひとまずないが、夜は良くない。暗闇は境界の向こう、「あちら」のモノたちの世界だ。
 早いところ打開策をと律が拳を握ったところに、ぐう、と隣で音が鳴った。夏目が気まずそうに項垂れている。そういえば自分も大分空腹だった。むしろこのままでは呪い殺されるより餓死する方が早いかもしれない。
 その時であった。
 トントントン。
 廊下の奥から、何かを叩くような音がした。それから水道の蛇口が捻られる摩擦音。
 途端に漂い出す、腹の虫を誘うような香り。

「やだな、狙ったようなこのタイミング」

 思ったことを小声に出し、律は胡乱気にぼやいた。
 部屋の温度が瞬時に下がったのは気の所為だろうか。

『ほほう、面白いじゃないか』

 ニャンコ先生が場違いにも実に楽しそうに漏らした。

「ニャンコ先生、これって・・・・・・」

 怯えを含む夏目の声に、猫はにやりとほくそ笑んでみせる。

『罠かもしれんな』
「しかし料理する妖とはまた一興」
『丁度腹も空いたことだし』

 珍しく意見のあった妖魔二人は守るべき相手も放っていそいそ音源地である台所へ向かう。夏目と律は慌ててその後ろを追った。
 廊下の一番つきあたり、木目の浮かんだ扉の隙間から灯が漏れている。

「さっきは電気なんて点かなかったのに・・・・・・」

 ごくりと夏目が息を飲んだ。
 先行者に続いてそろそろと足音を忍ばせながら進む。
 扉の下には木枠で作られた通気口が開いている。四人は狭い廊下で押しあいへしあいしつつその細い口から中を覗き込んでみた。
 見えたのは、人のふくらはぎ。そこから上は通気口の限界で見えない。女性らしいふくよかなラインを描き、白い靴下にピンク色のスリッパを履いた二本足が、流しに向かっている。ザーと水がシンクを流れる音。俎板を庖丁が叩く音。炒めもの、揚げもの、ことことと煮込む―――
 まるっきり日常の営みの中で耳にするそのもの。
 夏目はぞっとして身を震わせた。家に生きた人間はいないはずだ。ならばこれは―――

「ええい、しち面倒臭い」

 盛大に腹を鳴らした青嵐がノブに手をかけた。律や夏目が止める間もなく、ガチャッと勢いよくドアを開ける。

「・・・・・・」

 食卓におかれた食事。茶碗にはご飯が装われ、味噌汁と、菜の花のお浸し、揚げ茄子に牛肉と韮の炒め物といった惣菜はたった今作り上げたように湯気が立っている。中央におかれた緑黄色のサラダさえも瑞々しい。
 けれども明るい室内には、誰もいなかった。

『ほう、きっかり四膳』

 ニャンコ先生が無遠慮に椅子に乗って鼻を動かした。確かに食卓には四人分の食事が用意されている。まるで自分たちの人数に合わせるかのように。
 ぐううと、再び誰かの腹が抑揚豊かに歌った。ほくほくと湯気を立てる食べものたちは魅惑的な香りで食欲を誘う。

「こ、これ食べても大丈夫なのかな・・・・・・」
「・・・・・・いや。やめて置いた方がいいだろうね」

 生唾を飲み込んだ夏目がついそう言うと、律が切なげに首を振った。
 あちらのものは所詮あちらのもの。どれだけこちらのものに似ようとも、それは似て非なるものだ。一度口にでもすれば、帰って来れなくなる。第一、妖魔(この場合は純粋に妖魔ではないかもしれないが)の食べ物など何が原料に使われていることやら。到底安心して食べられたものではない。
 そっか、と名残惜しそうに食卓を見つめる夏目を嘲笑うかのように、妖魔二人は脇目も振らずがっついている。彼らには全く関係のない心配だ。嗤っているニャンコ先生に軽くイラッときた。

「確か玄関に僕らが持ってきた桃があるよ。それなら食べても問題ないと思う」

 本当は西山さんに渡す予定のものだったがこうなってはしょうがない。こちらとら命がかかっている。
 取りに行こうとした律の腕を夏目は慌てて引く。

「離れて大丈夫かな」

 守護たる妖たちは食事に夢中だ。
 そして玄関は、台所の丁度対極に位置する。廊下一本で繋がっているとはいえ、それなりに距離はある。
 確かに不安だ。
 律は鍋に入ったままのみそ汁をがぶ飲みしている青嵐に声をかけた。

「ねえ、玄関まで行きたいんだけど」
「行って来ればー?」

 どこぞの女子高生のような小馬鹿にした口調で青嵐は手をシッシと振る。

「ついて来ないの?」
「ふん。問題なかろう。まあ万一何かあってもこの距離ならひとっ飛びじゃ」
「・・・・・・つちのこになっても知らないぞ」

 じとりと目を据わらせる。その脳裏には、食べ過ぎて胃を丸々太らせ、自重で空を飛べず難儀する龍の姿があった。
 しかし青嵐は「けっ」と鼻先であしらうのみだ。
 この職務怠慢護法神め。律は心中で毒づき、諦めて戸から出ていった。

「大丈夫かな」

 そういう夏目も夏目でニャンコ先生に伺いを立ててあしらわれたくちだが、躊躇いがちに(半分は恨めしげに)食卓を振り返りながらも律について行く。薄暗い廊下が二人の足音と並行してキシキシと微かな軋轢を響かせる。

「しようがない。こっちだって腹が減っては戦ができないんだから」
「・・・・・・飯嶋って」

 ぷっと小さく噴き出した夏目に、「何?」と律は憮然として聞き返す。

「結構逞しいよな」
「そりゃ逞しくもなるさ」

 この環境下で、ここまで生き延びて来たんだから。
 言下の呟きを聞き取って、夏目も何とも言えぬ表情を作った。彼もまた、律と負けず劣らずの日々を過ごしてきたのは想像に難くない。
 さほど長くない廊下を何事もなく渡りきり、玄関に辿り着く。随分と遠く感じたのは、視界の暗さと狭さのせいだろうか。それとも緊張のためか。
 箱には瑞々しく丸々とした白桃がころころ入っていた。

「ちゃんと残ってるね」

 心持ち意外そうに夏目がごちる。
 律もそういえば、と瞬きをする。全部で十二個、ひとつとして欠けていない。これだけの物の怪屋敷なのだから、雑鬼なんかにとっくに持っていかれていそうなものなのに。

「長丁場となると、一個二個じゃ足りないよな」
「あまり考えたくないけど」

 今後どれだけ閉じ込められ続けるか分からないとなれば、唯一の食糧は多く確保しておきたい。かといって手で持って台所に戻るのは限度がある。

「面倒だけど箱ごと持っていくか」

 律は来た時同様、箱の左右に手を差し入れヨイコラショと持ち上げた。再び台所のある方へ爪先を向ける。
 懐中電灯に照らされた影が、不気味な生き物みたいに壁に描かれる。

「飯嶋はさ、昔からこうなのか?」

 躊躇う風な歯切れの悪さで、唐突に夏目が口を開いた。

「こうって?」

 歩きながら怪訝そうに聞き返す。

「その・・・・・・おかしなものを見たりとか、襲われたりとか」
「変なものに巻き込まれたりとか?」

 ちょっと笑った律に、夏目も笑って「そうそう」と頷く。

「そうだね。物心がついた時にはもうそんな環境だったよ。まあ小さい頃はまだ祖父がいたから」
「お祖父さん、小説家なんだっけ。有名なんだってね」

 妖怪ネットワーク的に。いや、一応人間社会でもそこそこ名は知れていたといえるかもしれない。

「祖父はそれこそ妖怪体質だったからね。自分の趣味と経験を基に幻想小説を書いてて、一部では霊能者だって噂にはなってたらしいよ。実際、妖魔を使役したり、付き合いがあったりはしたけど」
「じゃあ飯嶋自身も?」

 律は疲れた様子で首を振った。

「色々教えてはもらったものの、僕には祖父みたいなことはできないし、度胸もない。半端に力を継いだおかげで小さい頃はよく妖魔に泣かされてたくらい」

 小学生前までは魔除けのために女児の格好をさせられ、学校に行っても勉強どころではなく、まともに友達付き合いもできない。おかげで成績は底辺。高校に入れたのさえ奇跡と言われる始末だ。知り合いと言えばいっそ人間よりも妖魔の方が多いのではないかという勢いである。律は祖父を憎く思ったことはないが、全く一度も恨んだことがないかと言えば嘘になる。幸い、おかしな家であったのは昔からで、家族はその点に理解があったのだけは救いだ。母は何も言わないけれど、恐らく薄々どこかで何か(あるいはすべて)を承知しているのではないかと思うことが時折ある。
 そっか、と夏目は相槌を打つ。弱気な微笑みを浮かべた。

「俺も昔から妖怪には悩まされててさ。俺の場合は祖母の血みたいだけど、生まれた時には祖母はもう他界してたし、近くに『見える』人はいなかったから、誰にも理解してもらえなくて。自分でもずっと訳が分からなかった。だから飯嶋に会った時ちょっと吃驚したんだ」

 遠くを眺めるように語る横顔を律はちらりと一瞥した。

「ご両親はあまりそういうタイプじゃない?」

 言ってから、地雷を踏んでしまったかと思った。夏目の顔色が一瞬だけ強張ったからだ。

「・・・・・・両親は二人とも小さい頃に死んだんだ。今は親戚の家で暮らしてる」
「ごめん、なんだか悪いことを訊いたね」

 いや、と夏目は控えめに笑って首を振った。それからふと、不安げに顔を曇らせた。

「なあ―――そういえばこの廊下、こんなに長かった?」
「・・・・・・」

 二人は立ち止った。先ほどからどことなく妙だと思っていたが、やはり気の所為ではなかったらしい。
 廊下の半ばまで来てから、台所との距離が一向に縮まない。試しに振り返ってみれば、玄関は黒い廊下の向こう闇に沈んでいる。

「これだから嫌だったんだ」

 やや青くした顔を戻した律は、うんざりぼやいた。
11.07.10

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