ざわりと左右を包む闇が濃さを増す。台所から漏れる明かりは、旅人の宿の如く彼方にある。
 取り残された不安が闇とともに胸に迫り、夏目は台所へ向かって声を張り上げた。

「おーい、ニャンコ先生」

 しかし向こうに声が届いていないのか、ドアが開く様子はない。試しに何度か呼んでみるものの、結果は変わらなかった。律も隣で「おおい」と叫んでいたが、やがて口を噤んだ。

「駄目だ。・・・・・・引き離された」
「え?」

 夏目が声を上げたその瞬間、パシンッとラップ音が鳴った。二人してビクッと肩を揺らし、天井を見る。「家鳴り」と小さく律が呟くのが聞えた。
 全身が粟立つ。

「どうしよう」

 相変わらず桃の箱を持ったままの律を見る。律は恐ろしさに耐えてか険しい顔をしていたが、やにわに何かに敏感に反応して身を固くした。
 夏目にもその原因はすぐに分かった。側から唐突に声が上がったからだ。

『やれやれ』
『まただのう』
『やれやれ』

 ぼそぼそとした囁き。人声に似て非なるそれは、水底の気泡のごとく、ぼやんとして闇に溶ける。咄嗟に振り返ろうとした夏目を、律が無言で止めた。首を振り、「知らんぷり」と潜めた声音で耳打ちして、促すように歩き始めた。夏目はよく分からぬままにそれに従う。
 なおも囁き声は続く。

『おや、ここに人間がおるぞ』
『人間の子どもだな』
『しかし今我らに反応しなかったか』

 夏目はドキリとした。が、務めて何事もない素振りの律に倣い、無心に足を動かす。懐中電灯の先を見つめるその足元に、黒い影がチョロリと過ぎり、思わず立ち止りそうになる身体を全力で宥めた。下から視線を感じる。二人を見ている。

『我らが見えているのではないか』
『しかし驚かぬぞ』
『驚かぬな』
『人間が我らを見たならば驚かぬはずがない』
『然様、然様』

 奇妙に芝居がかった、道化めいた掛け合い。夏目は先程一瞬だけその姿を視界にとらえた。小面、火男、大笑いの面を被り、時代劇に出てくるような派手派手しい和服を着て、まるでチンドン屋か大道芸人かという様相だ。しかし赤子ほどの大きさのそれらからはあまり良くない気配をひしひしと感じた。
 彼らは何故か二人のあとをひたひたと付いてくる。

『しかし人間がこの家におるのは珍しい』
『久方ぶりじゃ』
『五年ぶりじゃ』
『いや十年ぶりじゃ』
『最後の男家族は皆ほうほうの体で逃げたからのう』
『こやつらもまた犠牲になるのだろう』
『いやしかし、あれが目覚めてからというもの、にわかに騒がしい』
『全く、全く』
『蝸牛の封印が解かれたようじゃ』
『蝸牛の封印か』
『一体誰が』
『あやつじゃ』
『ああ、あれか』

 ヒソヒソと躱される三人の話はとりとめもなく、ちぎれ雲のように流れ流れていく。

『封印はあそこにあったのに』
『そうそう、あそこにあった』
『蝸牛がのあの下に封じたのだ』

 ぼんやり聞き流していた夏目は、飛び出した語に咄嗟に緊張した。

(『封印』・・・・・・まさか呪具の在り処?)

 律と目が合う。二人して耳を欹てた。
 しかし肝心な場所を聞き取ろうとすると、曖昧にはぐらかされる。まるでこちらを焦らして楽しんでいる風だ。

『しかしまあ、こやつらが死ねば死体は我らも食えるから良いがの』
『やんや。おこぼれに預かろうぞ』
『頭は儂にくれ』
『ならば儂は心の臓を』
『儂は魂を』

 物騒な内容にぞっと竦み上がる。
 と、不意に袖を引かれた。
 咄嗟に律かと思いながら、(あれ、でも逆側―――)と怪しんだ時には遅かった。
 条件反射で振り返った目に、襖から伸びた人の腕が飛び込んだ。それが夏目の左の半袖を掴んでいる。

「わあぁっ」

 先に叫んだのはどちらだったか、二人して大声を上げる。襖にはいくつもの腕が生えていた。
 たおやかでしなやかな肘から先の腕が、群れを成して揺れ動く。

『やや、こやつら見えておるぞ』
『見えておるぞ』
『我らが見えておる』

 それまで背後にあった空気が、変わった。心の中で悲鳴を上げる。しまった。
 刺し貫く鬼気に、ひやりと悪寒が走る。律が「まずい」と声を上擦らせた。

「逃げよう!」

 掴む青白い腕を乱暴に振り解いて、律ともども駆け出す。

『待て』
『我らの話を聞いていたな』
『聞いていたな』
『喰ろうてくれる』

 肩越しに一瞥すれば、いつの間にか般若、天狗、怒り面に変わった妖たちが背後から追いかけてくる。恐怖に顔が引きつる。

「夏目、夏目! 桃っ」

 律が後ろから叫ぶ。
 振り返り、こんな時にまで箱を離さず逃げる律に呆れそうになった。

「いや、それ捨てろよ!」

 走りながら思わず突っ込んでしまった。すると律が「そうじゃなくて」と必死の形相で怒鳴り返した。

「あいつらに桃を投げるんだ!」

 箱を抱えている律では手が離せない。夏目はハッとなって、すぐさま腕を伸ばして箱から桃を一つ掴むと、振り向きざまに力任せに投げつけた。
 ギャッと妖怪三匹が悲鳴を上げ、にわかに怯む。
 やった、と思った時、『夏目!』と呼ぶ声が後頭部に降れた。
 首を正面に戻すと、遠くで台所の扉が開いており、見慣れたシルエットが立って、こちらに向かって叫んでいた。

『こっちだ!』

 あれだけ歩いても近付かなかった距離が、見る間に狭まる。
 夏目と律は脇目も振らず、飛び込んだ。







バタンと扉が閉じられる。
 恐怖から解放された反動か目が眩む。気持ちが悪い。

「やれやれ危ない所だったな」

 呑気に見下ろしてきた青嵐に、床にへたりこんだ律は、息切れの中「他人事のように言うな!」と睨みつけた。
 夏目に至ってはぜいぜいと肩で息をして声もない。ないが、「チッ、無事だったか」と舌打ちをしたニャンコ先生に拳骨を落とす余力はあるようだ。

「何が『ひとっ飛び』だよ」
「命があったから良いではないか」
「なかったら今頃どうしてくれるんだ」

 意地汚く桃に伸ばした青嵐の手を律が叩き落とす。
 食卓をみやれば、四膳分の食事はペロリと平らげられていた。妖魔二匹は一体どこから出したか楊枝など咥え、すっかり満腹に浸っている。全く、と毒づいた。

『それにしても桃とはなかなか機転がきいてたな』

 座りこんでいる夏目の膝元でニャンコ先生がニヤニヤと笑っている。
 夏目は嘆息しながら、

「正直飯嶋に言われるまで忘れてたけど、効いて良かった・・・・・・」

 桃は魔よけの実だ。イザナギが黄泉平坂から地上世界へ逃げる時、追ってくる冥界のモノ達から身を守るのに桃を使い、その功績を讃えて桃に神力を与えたという伝説が由来となり、古来桃には魔除けの力があるとされる。鬼退治をする桃太郎もこれに因むという説がある。  夏目が先程「桃が残ってる」と口走ったことが、律にもしやと思わせたのである。
 不意に夏目が残念そうに肩を落とした。

「でもさっき、もう少し呪具の場所が分かりそうだったんだよなあ」
『本当か』
「ほう」
「何かの下って言ってたけど・・・・・・」
『下ということは、上に物を乗せていても嵩張らないものだろう。あまり大きくはないということか』

 ニャンコ先生が片前足で名探偵ぶった仕草で顎を撫でている。招き猫のくせに相変わらずアクロバティックな妖だ。おまけに三毛なので、三毛猫ホームズ。何にも面白くない。

「これだけじゃあまり進展にならないね・・・・・」

 と夏目は目に見えてがっかりした。大きい物ならまだしも、小さい物ということは、より見つけにくいということだ。確かに状況が好転したとは言いにくい。

『第一、たとえ呪具が見つかったとしてお前たちにそれが扱えるのか?』

 疑り深く招き猫の目が動く。言われても困るとばかりに、当惑気に夏目が律を窺うが、律としてもこればかりは見てみないことには何とも言えない。怪しげな術については知識がなくもないが、青嵐に散々『火遊び』に関して脅されて成長したから、実践経験は数えるほどもないのだ。
 「ただ」と思案気に付け加える。

「もし呪具にお祖父ちゃんの力の片鱗が残っているなら、できるかもしれない」

 そう言う脳裏には、かつて祖父の元から盗まれ、長い間人心を惑わせた壺がある。
 あの時たしか、『飯嶋伶の血を引いている』律にならば、壺の封印を解けると言われたのだ。

「そう、前にも一度似たようなことがあったんだ。やってみないことには何とも言えないけど―――

 言い差し、唐突にあることが引っかかって言葉を途切れさせた。

「どうかした?」

 夏目が怪訝そうに覗きこむ。

「いや、ちょっと気になったことがあっただけ」

 何でもないと首を振る。まさか、と声なき声で己に言い聞かせることで、浮上した嫌な予感を誤魔化そうとした。

「いずれにしても、腹ごしらえをしたらもう一度家を回って探すしかないね。今度は『下』を重点的に」

 気を取り直して提案する。と、夏目が恐る恐る、

「それって、棚の下とかも・・・・・・だよね」

 封印後、人が移り住んだということは、知らず封印の上に家具を乗せてしまっていることもあり得る。

「・・・・・・考えたくないけど。でも封印が破られたってことは、わりと簡単に取り出せる状態だったんじゃないかな」

 あくまで希望だが。
 ともかくここから出るためには呪具を見つけ出さなければ始まらない。
 またの苦労を思い、律と夏目は何度目か分からぬ溜息をついた。
11.07.10

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