桃に一つずつかぶりつき、残りの桃を可能なだけポケットなどに捩じりこんで、夏目たちは台所から再び探索へと踏み出した。ちなみに台所は最後回しだ。水回りは元々空間として『相』が悪い。清潔な水と汚れた水が交わり、流れては滞り、溜まっては流れる。清濁、動静が混沌と乱れるために常に気脈が安定せず、また湿気が物の怪を呼ぶ。そういう不安定な場に飯嶋伶が封印を安置する可能性は低い、というのが青嵐の言である。 すっかり暗闇に沈んだ空間を、夏目が懐中電灯、律が蝋燭―――何故か蝋燭の“持ち手”ではなく、“持つ手”の方を布でくるんで保護している―――の明かりを頼りに歩く。二人の後ろから、少し離れてニャンコ先生と青嵐がくっついてきていた。二匹曰く、「側にいると向こうが寄って来ないから」だそうだ。家に住みつく妖怪や、今回原因となっている霊こそが、事の手がかりをもたらすというのである。要するに体よく囮にされているわけだ。 人間組は不平不満を口々に、渋々襖を開け、敷居を跨ぐ。まずは台所を出て向かってすぐ右の部屋からだ。 「コイツはいい年季物だな。そろそろ九十九化しとるか否か」 と青嵐が床の間の得体の知れない壺を掴んでにやにや弄び 『何、これも負けては居らぬ。この憑き物の気配、なかなかに邪悪で食べごろだ』 とニャンコ先生が怪しげな羽織を爪で引っ張ってくる。 夏目達が僅かな照明の中戦々恐々と探索をしているというのに、全く暢気なものだ。尤も彼らは妖であるから怖がる由もないのだが。 律は嫌そうな顔を隠しもせず桐箪笥を物盗りよろしく漁っている。着物を入れた畳紙が横にどんどん積み重なった。どうやらこの部屋は年寄りのものらしく、夏目が覗いた抽斗の中は地味さと派手さの丁度境を彷徨った柄の女物の服がきちんと畳まれて仕舞われていた。 なんだかこっそり親戚の御婆さんの箪笥を漁っているみたいだ。夏目は気まずい気分で手を動かす。 「本当にいい気なもんだよ」 悪態は、異様にうきうきして座敷をウロついている青嵐に向けられたものだろう。 「でも飯嶋のお父さん?はいざという時頼りになりそう」 青嵐という妖怪人間(仮定)は、夏目が感じる限り並々ならぬ気配を纏っている。その正体はおぼろげで、仄かに燐光を放っているように掴めないが、力強い波動を感じた。ニャンコ先生と同じだ。強い妖が側にいるのは、歯牙ない人間の身としては心強い。 「あれはあまり当てにしない方がいいよ」 だが律はすげなくばっさり切って捨てた。 「飯嶋を守ってるんじゃないの?」 淡白な言い草に怪訝に思って訊き返すと、律は目を手元に固定したまま、手当たり次第放り投げながら、 「あの食いしん坊万歳は、一応僕の護法神ってことになってるけど、正確には祖父の式神なんだ」 憮然とした口調には、どこか拗ねた響きが混じって聞こえた。 式神。その単語に夏目は反応する。確か名取が使役している妖もそう呼ばれていた。 人に従い命令を聞く彼らと、“フリー”の妖の区別が未だにつかぬ夏目である。物の怪には違いないのだろうし。しかし式神だということは、律の祖父蝸牛(変わった名だと思ったらこれはペンネームで、本名は飯嶋伶というのだと先ほど知った)はそういうこともしていたのだろうか。そういえばこの家の怪も、そもそもは蝸牛が鎮めたのだという話だ。 「お祖父さんって祓い屋だったの?」 即答ではなく、微妙な間があった。 律はしばらくの逡巡を経てから、 「さあ、何と言ったらいいか・・・・・・一応人に頼まれたらそれに近いことはやってたし、我流で研究はしてたみたいだけど、本職ってわけじゃない」 ますます謎な御仁である。だがそれを言えば祖母のレイコだって十分謎なのだから他人のことは言えない。 「祖父が自分で身を守れない僕を心配して、死後代わりに僕を守るよう残したのが 裏を返せば命に関わらぬ危険にはノータッチということだ。 大変そうだな・・・・・・と夏目は彼の苦労を思い同情した。が、ふと (あれ? でも式神が“お父さん”って・・・・・・?) にわかに浮上した疑問に首を傾げる。どういうことなのだろう。 そこまで踏み込んで訊いてよいものかと悩んでいると、つと律が夏目へと話題を移した。 「あの猫は? 招き猫に入ってるのに、犬神なんだね」 そのあべこべさが可笑しかったのか、律は軽く笑った。夏目はちょっと驚く。 「分かるのか?」 「力の強い妖魔だからかな。何となく」 そう首を傾げている。そういえば先程の三匹の物の怪の一件での対応といい、彼は自分よりも少し感覚が鋭い気がする。 夏目は顔を逸らし、手を動かしながらポツリと言った。 「飯嶋は凄いな」 「何が?」 「冷静だなと思って。俺なんて妖怪が怖くて、彼らを前にすると、何をしていいかいつも分からなくて・・・・・・」 鞄を手探りで握り絞める。が、 「言っとくけど僕だって死ぬほど怖いんだからな」 予期せず憤然と反駁されて、面喰った。 「半分くらい不可抗力で酷い目に合ってるだけで、基本的に厄介事に巻き込まれるのはご免だし、妖怪がらみのトラブルは極力避けたい。余計なことには首を突っ込まない。事なかれ主義、君子危うきに近寄らず、触らぬ神に祟りなし。臆病者と言われようと、怖いものは怖いんだ」 「そ、そうなんだ」 意外な剣幕に、呆気に取られて見返す。律は眦を吊り上げプンスカ怒りながら置き物を片っ端からどかしている。てっきり物静かな性格なのかと思っていたが、案外そうではないらしい。夏目は思わずビクビクしてしまった。 「でも冷静にならなきゃ、振りかかる火の粉を払えない」 「え?」 どういう意味だろう、と夏目は顔を上げて瞬きをした。 「・・・・・・小学校の時、初めて友達になった相手は人間じゃなかった」 思わず目を見開く。 「僕は皆と見てるものが違ったから、そのせいで同級生からは遠巻きにされて、変人扱いされたりして、友達がいなくてね」 頼りない光に映しだされる横顔は、どこか寂しげだった。 「・・・・・・」 夏目は視線を逸らした。分かる。自分にしか見えぬために、周りから奇異な目で見られ、嘘つきと呼ばれる。大人たちからも、扱いづらい困った子どもだと言われる。気がつけば一人ぼっちで、誰にも理解されず、助けてもらえず、ただ黙って怯え続けるしかない日々。 「多分そういう心の隙に付け込まれたんだと思う。あいつらは巧みだから。友達ができたことが単純に嬉しくて、気づけなかった」 「その子って・・・・・・」 明りの中、律が首を振る。 「とっくにこの世のものじゃなかったよ」 「・・・・・・」 「それに気づけなかったせいで、僕は危うく命を取られるところだったし、家族にも迷惑掛けた。青嵐がいなかったら、僕はあの時取り殺されてしまってたかもしれない」 薄ら寒そうに語る口調に伝染したか、夏目は剥き出しの腕を無意識に撫で摩る。 「結局人は見たいものしか見ないし、見たものを信じ込んでしまいやすいんだ。僕の従姉なんて、自分の力を受け入れたくないのか、いつも当たり障りないものに置き変えて現実逃避して、問題を持ち込んでくる。本人は無自覚なんだから手に負えないよ」 やれやれと目を伏せて嘆息し、律は要するに、と畳みかけた。 「肝心なのは『臆病心でも平常心』ってこと。でなきゃ罠に嵌まって余計危険な目に合うし、万一巻き込まれた時に対処できない」 動じては本当の姿を見誤る。見えるはずのもが見えなかったり、歪んで映ったりする。惑えば更なる厄を呼び込む。 ならばどれだけ怖くとも、心を逸らしてはいけない。人には見えぬものを見る『目』を持つからこそ。 「・・・・・・そうだな」 自身にも痛いほど身に覚えのある話だった。夏目は少しだけやるせない心地で微笑んで、手元に目を落とした。臙脂に紺の唐草模様のブラウスが縒れている。 「俺の祖母は凄く度胸の据わった・・・・・・というか、勝気な人だったみたいでさ。妖怪相手に次々と勝負を持ちかけては打ち負かして、彼らの名前を奪って従えていったんだって」 「それはまた随分と豪胆な人だね」 はは、と夏目は力なく笑った。 「・・・・・・どういう人だったのか知らないけど、実は寂しがり屋だったんじゃないかって今は思うよ。寂しいから友達が欲しくて、強引に側に置こうとした結果なのかも」 鞄の中にある『友人帳』には、そうやって奪われた妖怪たちの名が記されている。そして不本意に奪われた名を取り戻そうと持ち主が夏目の元へやってくるのだ。 夏目は肩越しに背後を見やる。懐中電灯の光では不十分だが、仕切襖を開け放った隣室を物色している猫の影が薄らぼんやりうかがえる。 「ニャンコ先生は名前を取り返しに来た妖のひとりなんだ。それがなんでかはよく分らないけど、『友人帳』を自分のものにしたいから、当面は俺を他の妖から守ってくれるらしい」 「なんかそれって矛盾してない?」 「俺もそう思う」 夏目も最近は、ニャンコ先生が『友人帳』欲しさに夏目を守護しているのはただの口実で(いや、もちろん欲しいは欲しいのだろうが)、本当はもっと別の目的があるのではないかと勘繰っている。 どちらにしてもニャンコ先生が怪異から護ってくれているのは確かだし、彼(彼女?)が危険だとは思わない。確証のない直感だけれども、それは信じている。妖怪相手にこんなことを言うのもおかしいかもしれないが。 「お互い苦労するね」 「本当に」 どちらともなく溜息を零し、それからクスリと笑い合った。 |