かごめ かごめ
  かごの なかの とりは
  いつ いつ でやる
  よあけの ばんに
  つると かめが すべった

  うしろのしょうめん だあれ


 どこかから子供たちの輪唱が聞こえる。懐かしいわらべ歌。これは呪い歌だ。子取り歌とも言われ、古い昔貧しい地方で口減らしのために生まれた赤ん坊を間引きしたことを歌っているのだとか、人買いに幼子を攫われることを歌っているのだとか、あるいは流れてしまった水子を歌っているのだか、とにかく碌な謂われがない。しかし肝心の子どもの方はそんな裏の意味など知らず無邪気に歌い遊んでいるのだから恐ろしい。
 そこでおや、と律は不思議に思う。どうやら今自分は眠っているらしい。その自覚があるのは、眠っている自分を別のところで意識しているからだ。知覚は己の周囲にまで範囲を拡げているらしく、自分がどこかの広い畳部屋に寝転がっていることも分かる。雑木林に包まれた我が家ではない、見知らぬ家。だが見覚えがある。
 眠っているはずなのに何故か周りが鮮明に分かる。瞳で見ているのではない。遊離した意識が視ている夢。 自分の傍に誰かがいる。顔は見えないが、この気配はよく知っている。哀しいほどに懐かしい。いつもそばにいた、誰よりも強く暖かい、自分を守ってくれる存在感。

 ―――お祖父ちゃん。

 呼んだつもりだったが、声に出たかどうかは分からない。何せその夢は一切の音がなく、身体は全く動かなかったから。横になっているせいか視界は足元しか映さない。見慣れた祖父の着物の裾が部屋のどこかへ向かっている。
 あるところまで進んで足袋が止った。膝を折り、蹲る。その手には何か小さな陶磁の器を大切そうに抱えている―――



 そこで律ははっと目が覚めた。まるで金縛りから醒めたような感触だった。
 しばらく呆然と見慣れぬ天井を見つめていた。何が起きているのだったか。
 すると、不意に腹の上にずしりと重みを感じた。今度こそ金縛りかとぎょっとして首だけで見やれば、腹から不気味な陰影のにやけ顔が生えていた。

『おい、起ぉきぃろぉ〜』

 律はほぼ条件反射で身体を起し無言でそれを脇に投げ飛ばした。

『どわっしゃ!』

 小気味いい衝突音と潰れた叫びが同時に上がった。

『おま、何をするっ』

 ころりんと壁から跳ね返ったそれがくるりと立ち上がり猛烈抗議をしてきた。
 律はようやくそれが夏目貴志の連れていた妖だと気づく。

「あ・・・・・・ゴメン」

 ついいつもの癖で、と後頭部を撫でる。律の毎朝一の仕事は布団の上に乗った妖を外へ放り棄てることであった。
 そのようなことは知らぬ猫型妖怪は後ろ脚で立ち、前足を振って猛烈に怒りを表現している。

「ええっと―――

 確かこの招き猫を夏目は『ニャンコ先生』と呼んでいた。が、律にとっては目の前のこの妖はにゃんこなどと可愛らしいモノには到底思えないし、また先生というのもしっくりこない。思案の結果、

「夏目の護法神」

 僅かな逡巡の後にそう言った。ニャンコ先生は憤怒を萎ませ何だか微妙そうに沈黙した。といっても表情は相変わらずなので、あくまで気配で察するのみだが。
 それにしても、と周囲を見回す。

「一体僕らは何故ここに?」

 教科書やドリル、様々な形の消しゴムにロボットのフィギュアといった品々が乱雑に配備されている学習机。服やボール、ランドセルが放り出されたカーペット。漫画や子供向け伝記物や乗り物の置物が詰まった本棚。青いカバーに惑星の絵柄のベッド。西山家の二階にある子供部屋の一つだ。

「確かさっきまで一階の書斎に―――

 記憶を手繰り、意識を失う前の状況を思い出す。そこでさあと血の気が引く。確か廊下で一悶着あり、あわやというところで掌に書いた呪を介して青嵐が助けに来たはずだった。
 とりあえず危機からは脱したらしい。だがまたどうしてこんなところにいるのか。

「夏目と青嵐はどこに?」

 「龍」の字が消えた掌を見降ろしながら、律は呟く。『知るか』とニャンコ先生は再びご立腹の様子だ。ぷりぷりと怒気を発散しながら、

『お前んとこのヘボ式神が力加減を誤って私等を飛ばしてしまったんだ』
「はあ?」
『今この家の中の空間はねじ曲がり、様々なところが距離関係なく同士が繋がっているからな』

 首を振り振り吐き捨てる。何だかんだ言ってちゃんとレクチャーしてくれるあたり、夏目が「先生」と称するだけはある。

「ということは、下に降りれば二人と合流できるかな」

 立ち上がった律は扉の方を見つつ問う。すぐに動かないのは、必ずしも事態が口にしたようには簡単にいかぬ気がしたからだ。
 案の定、ニャンコ先生は是とは答えなかった。

『空間のねじれを直さぬ限りはそう単純にはいくまい』

 やや重い口振りで回答する。律は項垂れ、長い長い溜息をついた。「役立たずのツチノコめ」と悪態づく。

「この後どうすればいいんだろう」
『私に聞くな』

 夏目ならばいざ知らず、と喧嘩腰の構えだ。

『飯嶋蝸牛の孫だろう。それくらい自分で何とかせい』
「そうはいうけれど、僕にはお祖父ちゃんみたいな力はないし」

 あれば青嵐にあんなに馬鹿にされたりしない。むしろもう少し敬われている。

『まあ、あのような妖怪人間がそうホイホイいても困るがな』

 律は目を丸くしてニャンコ先生を見下ろした。

「お祖父ちゃんに会ったことがあるの?」
『さて、顔くらいはどこかで見たかもしれぬが、直接の面識はない。ただやたら噂が賑々しかったからな』

 したり顔で頷くニャンコ先生に律は何ともいえぬ笑みを浮かべる。

『蝸牛が特殊だったとはいえ、血族なればそれなりに凡人よりは強かろう。わしは元より人間の霊がらみのイザコザには縁がない。解決法もよく分からん。夏目にいたってはドのつく素人だ。さっさと戻る方策を考えろ』

 死霊に対するスタンスは青嵐と同じらしい。あくまで人間側が管轄する問題、ということだ。

(まあ、それでも一緒に飛ばされただけマシか・・・・・・)

 こんなところに一人で残されても、自力で切り抜ける自信は到底ない。

『何じゃ』

 動く招き猫をしみじみと見下ろしていると胡乱気に睨まれた。

「安心してと言っていいか分からないけど、多分呪物の在処が分かったかも」
『何、本当か!?』
「うん、ただその前に一階に下りないと―――

 その瞬間、どんという衝撃と共に大きな揺れに襲われた。おわわ、とコロコロ転がっていく丸い身体の尾を律が辛うじて掴んだ。

『また家鳴りか?』
「いや・・・・・・」

 言いさして周囲を見渡し、律は声を失った。ざっと血の気が引く。
 一瞬の間に、天井から壁から部屋全体を大小の真っ赤な手紋がびっしりと覆っていた。

「うわー!!」
『ンギャー!!』

 妖怪のくせに一緒に絶叫するニャンコ先生とひしと抱き合う。はっきりいってかなり不気味だ。全身に鳥肌が立つ。
 犇めき合う大小の手形はまるで一面紅葉の群集のようでもあった。しかし紅葉のように美しいものではなく、恐怖しか掻き立てられない。

『一気に涼しくなったぞ』

 ぞぞっと毛を逆立てながら呟く。本来ならば涼しくする側のくせに、妙に人間臭い発言の多いニャンコ先生である。

「いや、実際涼しくなっていないか?」

 律は己の腕を摩った。恐怖だけでなく、冷気に肌が粟立っている。部屋の温度が不穏に低い。
 不意にぞくりと背筋が凍った。
 後ろに何かがいる。
 それが子どもの姿をしたものだと、直接視ずとも何故か分かる。
 にわかに後方でタタタと走り回る足音が立つ。きゃっきゃと幼い笑い声がした。

 ―――あーそーぼ

 男の子の声が言う。
 何かないかと身を探るが、ポケットに入れていたはずの桃は飛ばされた反動かなくなっている。結界になる酒も清水もここにはない。これから外出時は持ち歩くべきか。いや、未成年が酒など持ち歩いていたら補導されてしまう、などと余計なことばかり頭を巡る。

 ―――ねえ、遊ぼうよう。

 声が耳元でした。冷たい感触が項を撫でぞっとする。
 突如、部屋の物たちが宙に浮き、無差別に部屋中を飛び交った。笑い声が渦を巻く。律はわあと叫び、頭を抱えて伏せた。その目と鼻の先に鋏が墜ちて床に刺さったのを見て肝が冷える。
 このままでは狙い打ちされると身動ぐも、狭い空間に閉じ込められた状態では逃げ場もない。対策もなく右往左往するうちに、後頭部に鈍器がガツンと当った。

「痛って〜!」

 何かと思ってみれば、丸い招きニャンコだった。

「おい、妖魔のくせに何一緒に飛ばされてるんだ!」

 むがっと怒鳴ると、ニャンコ先生はえらい目にあったとばかりに衝突した患部を摩りつつ、負けず劣らず怒り返した。

『せからしい! さっさと何とかせんか』
「何とかできればとっくにやって―――わっ!」

 今度はコンパスが針を向けて飛来する。慌てて頭を低めてやり過ごすも、もし先ほどみたいに後ろから来られたら対処できない。

(青嵐はいないし、この妖魔は強いだろうけどきっとタダでは助けてはくれないだろう。でも妖魔と迂闊に取り引きをするのは・・・・・・食い物で釣って対価になるのか)

 青嵐を基準に考える律は端から悲観的だ。ぐるぐると悩み続けて解決法が見つからない。後頭部が痛む。それにつれて、何故こんな目に遭わなきゃいけないんだと段々ふつふつと怒りが込み上げてきた。
 不意にずしりと背中に重しが乗った。人の感触ではない、氷のような冷たい手が首を締める。遊ぼうよう、と声がした。
 憤りと焦りとで、ついに頭のどこかで理性の針が振り切れた。―――ように思う。

「い・・・・・・い加減にしろ―――!!」

 全身全霊で叫んだ瞬間、カッと強い波動が弾けた。

『おうわ!?』

 波に煽られニャンコ先生がひっくり返る。

「僕らは生きてるんだ! 死者(きみ)とは遊べない、絶対に家に帰る!」

 律は息を弾ませた。気づけば全身にじっとりと汗をかいている。いつの間にか部屋には沈黙が戻っていた。覆い尽くしていた掌は消え、気温も夏の蒸し暑さだ。
 慌てて背後を振り返る。何もいない。
 ほっと息をついた刹那、首筋の産毛が逆立つ。
 一瞬の間に、正面に顔の見えぬ少年が立っている。硬直していると、そのまますうと虚空へ溶け消える。
 どっと脱力し、腰が抜ける思いがした。

『なんだ、やれば何とかできるじゃないか・・・・・・まあいささか力技だがな』

 無理やり霊的な力場をぶち壊した律に、ニャンコ先生が呆れた口振りで評する。

「仕方ないじゃないか。僕じゃお祖父ちゃんみたいにはいかないんだから」

 げっそりとしながらやや憮然と律は床を這うように起ちあがった。死んだ人間に振り回されたり、ましてや憑り殺されたりなど真っ平御免である。生きている人間のエネルギーは何よりも強いのだ。

「何でもいいから彼の気が変わらないうちにここを出よう」

 辟易しながら律はドアノブを掴み引く。扉の向こうは闇が広がっていた。あるはずの廊下も階段もない。

『言っただろう、この家は空間がねじれている』

 足元で外を覗き込みながら、他人ごとのようにニャンコ先生が言う。
 闇の中は異質な、だが馴染みのある気配が漂っていた。

「これってもののけ道につながってないのかな」

 もしそうであれば、西川家の外へ抜けられるのではないだろうかという期待を込めてニャンコ先生を窺った。

『同じ類いのものだが、外界には通じておらぬな。あくまでこの家の中で完結しておる』
「やっぱりそう上手くはいかないか」

 落胆しながら、さてどうしたものかと躊躇する。踏み出すには勇気がいるが、かといってこの部屋に残っていたくもない。
 しかし悩んでいる間もなく、ずんぐりした物体が足元を抜けた。

『虎穴に入らずんばともいうし、案ずるより産むが易しともいうし』

 ことわざを羅列しながらニャンコ先生はポテポテと闇に踏み入れる。置いて行かれてはたまらない。結論を出す間もなく、律は慌てて後を追った。
14.10.30

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