一. 　空は雲ひとつなく晴れ渡り、強い日差しのなか蝉の声だけが強く響いている。 　――その転校生が来たのはそんな夏の日だった。 「えー、皆も既に聞いたと思うが、今日から新しく入ってきた転校生の吉田賢司君だ」 　黒板に転入生の名前を書き、手に付いた白いチョークの粉をはたきながら先生が説明する。 「吉田はな、家庭の事情で鹿児島からひとりでここに越してきたそうだ。皆仲良くしてやれよ」 　そういって紹介されたその転校生は、眼鏡の奥の、少し切れ長で澄んだ瞳が印象的な、涼しい顔立ちをした少年だった。 　中性的ともどこか違う。あまり性を感じさせない容姿。 　生徒の敷き詰める教室から浮いたように見えるのは、決して「外から入った転入生」というだけではないように思えた。 　独特な空気が、新調の真っ白なシャツの上を薄く這っている。そんな印象だ。 　更に不思議なことに、その転校生はこの猛暑の中で汗ひとつかいていない。それも転校生の印象をより教室から浮き立たせていた。 　異質。 　誰ともなく、シンと静まり返った四角い囲いの中で、生徒達は敏感に感じ取っていた。 　例外なく、僕も。 　３年になって転校してくるぐらいだから、よっぽどの家庭事情なのだろう。 「吉田賢司です。よろしくお願いします」 　不思議な声だった。 　高校男児としては並みの高さなのに独特の深みがあり、透明で心の裏にまで響く――そんな声だ。 「じゃあ席は、ええっと……あぁ、あそこだ。右から二番目の列の、一番後ろ」 （僕の隣だ） 　僕は教室の一番右の列――つまり窓際の一番後ろの席だ。 「クラス委員長の隣だから何かわからないことがあれば訊くといい」 　我がＡ組のクラス委員長は、転校生の席から見て左隣に座っている奴だ。 　転校生は委員長に軽く会釈をすると指示された席についた。 　一応僕も席が隣同士だから挨拶をしておこうと思い、 「僕、瀬川武雄って言うんだ。よろしくね」 　しかし転校生は目でチラッとこっちを見ただけで、何も言わなかった。 （無愛想な奴だな） 　うだるような暑さに加え、空腹との闘いでしかない地獄のような４時間目が終わり、やっと昼休みに入った。 　さっきから腹ペコでたまらなかった僕は持参のお弁当箱を急いで取り出す。 　僕はある事情によってひとり暮らしをしており、お弁当も自作のものだ。 　委員長を含めた仲間がたまっているところを探し、そこへ行く。 　みんな円を組むように椅子や机の上などに座って昼食をとっている。 「あ、ここいい？」 　断りを入れれば、「ふうふう、マジあっちぃな〜」と少年が一人窓際へ移動した。そこに座っていいということだろう。 　開いた椅子に座って自分も弁当箱を開く。 　冷えたおかずとご飯の、どこか懐かしい香りが鼻をつく。途端に腹の虫が鳴るのは、パブロフの犬と同じ原理である。 「にしてもさ、シゲ。いいの？」 「あー？　なには？」 　存外可愛らしい弁当箱をがっつきながら、シゲと呼ばれた委員長が返事をする。 「てんにゅーせいだよ、てんにゅーせー。何だっけ、ほら」 「吉田くん？」 「そうそう、ヨシダだよ」 　イチゴジャムぱんとプリントされたビニールを勢いまかせに破り、少年は声を潜めた。 「一応クラスイインチョーとしては面倒見た方がいいんじゃねーの？」 「そーそ。新しいクラスに馴染めなくって……なんてことになるとさ」 「んなこといわれてもよ」 　咀嚼しながら、委員長は鼻息を荒く、しかしこれも小声で返す。仕草だけで面倒がっているのがありありと知れた。 「なんかあいつ、変。こっちが明るく話しかけてもシラーってしててさ」 　うーんと唸りながら、僕が言うのも変だけどと思いつつ 「吉田くん、結構人見知り激しそうだからさ。転校したてで落ち着かないだけかも」 「俺にどうしろってんだよ」 　僕の言葉を遮り、勢い込んで委員長が友人の顔を見回した。ご飯粒が飛んで襟に引っかかっている。 「委員長だからってだけで面倒押し付けられた俺の身にも――」 「ギャー！　あのババア、人参は入れるなってあれだけ言ったのにっ」 　不意に別の少年が話に水さす。心底嫌そうに、弁当箱の中の橙色をつついていた。 「何だよ、マっちゃん、まだニンジン駄目なのか？」 「好き嫌いするなよ」 　僕も思わず笑いながら、一応注意する。 「うるせぇ」 　本人にとっては大問題らしく、にらめっこしている。 「でもさ、確かにあいつちょっと近寄りがたいよな。こわいっつーか……無愛想だしさ」 　話を戻して、別の奴がジャムパンをかじりながら言った。 「うん……」 　やっぱり皆そう感じていたのか。 　たしかにあの転校生には侵しがたい不思議な雰囲気がある。 　そこだけがまるで別の空間のような、何か近づきがたい領域が。 「転校生って言えばさ、聞いたか？　Ｂ組にもひとり入ったらしいって話」 さっきまで人参相手に格闘していた奴が言った。 「あー、あれだろ？　あの細目でひょろっとした、あの。真っ黄色い長髪を後ろでひとつに結んでる奴」 委員長がそれに反応する。 「あの色、地毛らしいぜ。父方か母方かは忘れたが、ヨーロッパのどっかの国の血が混じってんだと」 　菓子パンの少年が得意気に説明する。 彼はこのクラスの中で一番の情報通なのだ。 「・・・の割には随分と純日本人って顔してたがねぇ」 　と委員長。 「えーっと、名前はたしか――…たか…高山？　違うな、高村……そうだ、高村孝明とか言う名前だったかな」 「こうめい？　そりゃまたえらく渋い名前だな」 「頭良さそー。そういえば随分と分厚い本を持ち歩いてたな」 　隣の転校生の話で盛り上がってると、委員長がふと、 「おや？　ところで我がクラスの転校生殿は何処行った？」 「あ、ほんとだ。いないね」 委員長の言葉で、クラスにあの転校生の姿が見えないことにはじめて気がついた。 「あーあ、仕方ない探しに行くか。先生からあいつの面倒見るように頼まれてっからな」 　委員長はそう言うと、お弁当の残りを一気に口に詰め込み、缶のお茶で流し込んで、転校生を探しに教室から出てってしまった。 （転校早々なのに一体どこでお弁当を食べているんだろう） 　教室にいたときの様子からすると、まだ一緒に昼食を食べるような友達はできていないと思われる。 　とすると、まだ勝手のきかない学校のどこかで独りきりで食べているのだろうか。

07.09.27 7BACK　　 ■　　 NEXT8 MENU