六.


 僕は薄暗い夜道を急ぎ足で進んでいた。

(ああ、すっかり暗くなっちゃったな……)

 ついつい図書室で本に読み耽ってしまい、気づいたときにはもうあたりはもう真っ暗だった。
 日が傾いて少し気温が下がったが、まだ湿気がじっとりとまとわりつく。
 道には人気がなく、しんと静まり返っていた。
 アスファルト塗装の地面までが昼間より少し沈んだように感じられる。まるで闇が重くのしかかってくるみたいだった。何となく息苦しい。
 ふと目を上げて、道の先を見つめる。

 赤。

 いきなり視界に飛び込んできた禍々しく強い色に、心臓がドキリとする。背筋が一瞬だけひんやりとした。
 延々と伸びる、黒い黒い道。家々も今は夕影に呑まれ、黒いシルエットだけがくっきり浮かび上がっていた。その先に西日の赤が怖いくらい鮮明に燃えている。
 ふ、と胸中に郷愁に似て非なる、もっと負に満ちたものがざわめく。

(急ごう)

 吉田の言葉じゃないが、早く帰った方がいい。
 こういう状況はなんとなく不気味で不安になる。
 いつもの道を通り、いつもの曲がり角を曲がろうとしたとき――

「おいで……」

 はじめは空耳だと思った。
 昼間にあんな話を聞いたせいだと
 しかし―――

「おいでよ」

 今度ははっきりと聞こえた。

(空耳なんかじゃ、ない……!)

 背筋が凍りついた。

(……まさか。だってここはあの公園とは全く別の方向……)

 いくら涼しくてもこういうのは願い下げである。
 その『声』は男のものだった。
 例の、交通事故で死んだバイクのライダーだろうか。

「ねぇ、おいで」

 しかし声はなおもする。

(ど、どうして……)

 僕は自分の目が信じられなかった。
 僕の前方に見えるあれは……

(あれは……公園だ……)

 おかしい。
 いつもと同じの道を来たはずのに。
 しかし今僕の目の前にあるのはまぎれもなくあの『人来い公園』だった。
 僕は前にあの公園を一度見たことがある。
 あの時は日もまだ高くて明るいときだったが。
 今は夜の闇よりも更に濃い闇に包まれており、冷気がそこから吹いてくる。

「ああ……そこに誰かいるな」

 声の調子が変わった。気づかれた、咄嗟にそう思った。

「おいでよ…こっちへおいで……ひとりじゃ寂しいだろう?」

 あたりに次第に淡い光が現れ始める。これが一般にいわれる人魂というものなのか。
 それら一つ一つにはよく見ると顔がついていた。女の人や、お爺さんや、赤子……ほかにもたくさんいる。
 それらが僕の身体の周りに付きまとった。

「一緒に行こう……そうしたらもう、寂しくない……」

 声はひたすら響く。不気味に。そして――悲しげに。

「…う…わっ」

 突如何かに強く身体を引っ張られた。
 無数の人魂だった。
 青白い人魂が僕を公園の中へと引きずり込もうとしているのだ。

「うわぁああ!! やめろっ」

 懸命にもがいて抵抗する。

(こわいっ 嫌だ、あそこは嫌だ!)

 僕は無性に恐怖を感じていた。
 その恐怖は死霊から来るのもあったが、もっと別の何かから来ていた。でもそれが何なのか、分からない。正体不明だからこそ、余計に恐ろしい。
 だが人魂たちの力はかなり強く、僕の身体は少しずつ、少しずつ、公園のほうへ近づいていく。
 公園から吹き付けてくる生臭い風が、僕の頬をなでる。

「うれしいなぁ……仲間が増えるぞ……」

 『声』はうれしそうに言った。

「嫌だっ 僕はお前達の仲間なんかにならない! 放せ!」

 死に物狂いで人魂を引き剥がすが、人魂の数はどんどん増える一方だ。

(何でこんなことに……!)

 何が起こったというんだ。
 どうして僕は公園に来たんだ。
 いや、そもそも、どうしてこの公園がここにあるんだ。
 いろいろな疑問がわきあがり、僕の頭はパニックに陥っていた。

(誰か、誰かっ 助けて!)

 心の中で必死で念じる。
 公園の入り口まであと五メートルもない。底の見えぬ暗黒の口が開けて僕を待ち構えていた。
 心は恐怖のあまり失神しそうなのに、頭は異様にはっきりしていてじっとその口を見つめている。

(誰か!)

 足が入り口のコンクリートに当たった。

「うわああああああっっ」

(もうだめだ!)

 とうとう最後に諦め、僕は力を抜いた。
 人魂は一気に僕を中に引きずり込んだ――…
07.09.27

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