八. 僕は男が消えていった虚空を眺めていた。公園はさっきまでの現象が今では嘘だったかのように静まり返っている。 しかしあまりのことが一度に起こったせいか、僕の頭だけは相変わらず落ち着きなく混乱していた。 (ええっと、家に帰ろうとしてたら何故か公園があって、引きずり込まれそうになって……そうしたら吉田が来て、怪しいと思っていたB組の転校生は実は吉田の仲間で) 一生懸命整理しようとするが余計に混乱してくる。 僕はただただ、間抜けたように呆然としているしかなかった。 すると、吉田が合掌を終え、顔を上げた。 「危ないところだったね」 「……アレは一体なんだったの?」 「そこら辺に漂っている下級霊や人間の思念の集合体……みたいなものかな。そいつら一つ一つには大した影響力はないけれど、それらが集まってひとつの大きな塊になるとちょっと厄介なんだ。人に害を与えることもある。夏という季節はお盆とかがあるせいか、『向こう』と『こちら』の境界があやふやになってくる」 ほら、怖い話とかはどちらかというと夏によくやるだろ? そういう影響で人間でないモノ達が特に多くなるんだ。あいつらは貪欲だから、仲間を吸収してより強大になろうとするんだ――そう言いながら吉田は身をかがめて何かを拾い、ポケットにしまった。 多分あの『声』に向かって投げたものだろう。 僕らが話している間、タカムラは少しはなれたところで、背を樹に預けた格好で腕を組み、目を瞑っていた。 学校のときと打って変わった吉田の態度に戸惑いながら、僕はその話にどこか引っかかりを覚えた。 それは気にしなければ気にならない程度のものだったから深くは考えなかったけれど。 「もしかして今までの奇妙な出来事もそれのせい?」 「うん。あいつらに呼び寄せられた霊達の仕業。霊の中には良くないモノもいる。塊にはならなくても、一定の狭い空間にそういう良くないモノが密集すればやっぱり何らかの影響を及ぼす。いわゆる霊障ってやつだ」 「じゃあ、小山先生は……」 今病院で生死をさまよっている先生のことを考えて、不安になる。 未だに意識が戻ったと言う報告は聞かない。 「あの人は、人よりも感受性が強いみたいだ。だから一番影響が大きかった」 「せ、先生はどうなるの?」 まさか、助からないなんてことは…… 恐る恐る聞いてみる。 「大丈夫。原因の大元は絶ったから、明日にでも意識が戻ると思う。ただ、霊障の影響は少し身体に残ってるだろうから、しばらくは身体を動かすのもひと苦労だろうけど」 まあ彼も若いし、半月もすれば抜けるさ、と吉田は付け加えた。 それを聞いて僕はひとまず安心する。 そして、はた、と 「そういえば僕、普通に帰っていたはずなんだけど、何で公園に来ちゃったんだろう?」 「多分いつもの道を通ってるつもりで無意識のうちに引き寄せられていたんじゃないかな。やつらは仲間を欲しがるから。もう少しで君も『食われる』ところだった」 (仲間?) 「でもなんで僕を襲ったんだろう?」 その言葉に、吉田はじっとこちらを見つめる。 まただ。 なんだろうこの違和感。 吉田がふっと憐れむような瞳で僕を見た。 「かわいそうに。気づいてないんだね」 気づく? 一体何を? 「君は、それを認識するには本当にあっという間のことだった」 何のことだ? 「自分に何が起こったかを知る暇がなかったほどに」 「何、言って……」 頭の中で警報がなっている。 「まだ思い出さない?」 ――言うな、と誰かが言った。 「だから何のことだよッ」 言うな。言うな。 ――だめだ、ソレを聞いてはいけない―― 頭のどこからかもう一人の自分の声がする。 何のことか分からないが、ソレを聞いてはいけないということは漠然と感じていた。それを聞いてしまったら、言葉にして、形にしてしまったら、きっと良くないことが起きる。 何かが、壊れてしまう。 吉田がゆっくりと口を開いた。 「君は」 ――言うな、やめろ―― 心の中の声が叫んだ。 「――君はもう死んでいるんだよ」 一瞬そこだけ時間が止まったようだった。 もう警報も、もう一人の自分の声も聞こえない。 いや、周りの音何一つ聞こえなかった。 まるで自分の周りだけ無音の世界になったみたいだ。 いつの間にかのどがからからに渇いている。 何か言おうと思うのに声がうまく出ない。 「君は一年前、電車に撥ねられて死んだんだ。本当に一瞬の出来事だった」 吉田の言葉が頭の中でこだまする。 「僕が死んでる?」 声が震えた。 (そんなバカな) なら今ここにいる僕はなんだというのだ。 毎日学校に行って、帰ってきて、ご飯を食べていた僕は? 「け、けど僕は今現にこうして君としゃべっていて、学校にだって行っていて」 「誰も君のことは見ていないし、知らないよ」 「うそだっ だって、だって……!」 委員長も情報通の少年やにんじん嫌いの少年だっていつも一緒にいて、おしゃべりして―― (話…? 話なんか…したっけ) 僕は彼らと一度たりとて会話を交わしたことがあっただろうか? 「気づく機会はいつでもあった。でも君はそれに気づくのを恐れて、無意識に自分にとって都合の悪いことを見ないようにしてきたんだ」 「そんな……」 否定しようとするが、たしかに思い巡らしてみると、どこかぽっかりと穴が空いたように記憶が途切れているところがあった。 「じゃあ聞くけど、君はどうしてひとりで暮らしているの?」 「それには色々と事情があって……」 「事情って?」 「そ、それは」 言いかけて言葉に詰まった。 変だ、何も思い出せない。 昨日まで当たり前のように感じていたはずのことなのに。 事情ってなんだ……? 考えれば考えるほどほど頭にもやがかかり、逆に何も思い出せなくなる。 「君が家だと思っているあそこは僕が行った時にはもう廃屋になっていた。君が死んでから君の家族は引っ越したんだよ」 吉田は淡々と語った。 「――」 僕の記憶の中の『家』はちゃんと電気が通っていたし水道も使えた。 しかしそれはすべて幻だったというのか。 「当時君と同級生だった子達も今はもう卒業している」 不思議なことに、吉田が発する声の一句一音が、今度は頭の中にかかった薄いベールのようなものを一枚一枚取り去っていく。 そのベールは虚構という名であったかも知れない。 おぼろげであったはずの真実が少しずつ顔をのぞかせる。 「思い出した?」 記憶がフラッシュバックした。 (思い……出した) そうだ、僕はあの時―― |
07.09.27 7BACK ■ NEXT8 MENU |