終.


 これで仕事はすべて完了した。
 ふぅ、と息をついたところで、

鹿人(かじん)

 その不機嫌そうな声に吉田と名乗っていた少年が振り向く。
 鹿人。
 それがこの少年の『仮名』。

「まったくいっつも無茶ばっかりする奴だ。待ってろって言ったのに……。少しはこっちの身にもならんか」

 篁が溜息をつきながら恨みがましそうに言った。

「これじゃ、心臓がいくつあっても足りん」
「お前に心臓なんてあったのか」

 と鹿人が切り返すがイマイチ冗談なんだか本気なんだか分からない。
 篁が睨む。

「分かってるのか? あんたには霊撃力はほとんど皆無と言ってもいいんだ。ちゃんと自覚しろ」
「仕方ないさ。あの時は一刻を争ったんだ」
「仕方ないで済む問題かい。ひとりで行って一体どうするつもりだったんだ」
「人魂はただの残留思念だったから言霊でなんとかなったし、守り刀はあった」
「俺が護身用に渡したやつか? あれだってたいした力はないんだからな。小物は近づけんが、所詮その程度。その証拠にすぐ攻撃してきただろーが。俺がつくのが一足遅かったら今ごろどうなっていたことやら…」
「多少効き目はあったぞ。やつの力は明らかに弱まっていた。あれぐらいのかまいたちなら急所さえ避ければ致命傷にはならない」

 鹿人はふい、と公園の内部に顔を向ける。
 かまいたちで切られたブランコやら樹やらは多少傷がついているぐらいで、大した被害はないようだった。

「だからといってな……」
「大体にしてお前が遅いのがいけないんだぞ。『防人』のくせして何やってたんだよ」

 顔はそのまま、目だけでタカムラの方を見て言った。

「しょうがなかろうが! 転入早々いきなり『せじとうばん』とか言うのをやらされて――」
「『世辞』じゃなくて『掃除当番』だろ。世辞言ってどーする」

 そんな当番なんてあってたまるか、と鹿人に冷静に突っ込まれる。

「うっ…そ、そんなことはどうでもいい!」

 タカムラは憤慨してまくし立てた。
 意外と短気な性格らしい。

「お前、いい加減そろそろ『こっち』に慣れろよ」
「うるさい」

 なにやら髪まで逆立ってきている。

「けど本当に今回は焦ったよ」

 これ以上怒らすと何をするか分からないので、鹿人はとりあえず話題を変える。

「瀬川武雄に関しては学校にたまっていた雑鬼達とまとめて一気に解決するつもりだったのに、思わぬところで計画が狂った」

 まあそのおかげで『大元』が釣られて出てきてくれたからある意味良かったけど、と呟く。

「まったくだ。あいつを『(たま)寄せ唄』で誘き寄せたまでは良かったものの、ついでに余計なもんまで釣っちまって」

 篁が小馬鹿にしたように鼻で笑う。
 あのとき鹿人が中庭で歌っていた『魂寄せ唄』とは、比較的力の弱い浮遊霊等を呼び、昇華させる呪歌だった。
 『聞き人』は『聞く』ことが中心だが、浄霊する際に要となるのは『声』である。
 『聞き人』の『声』は幼少の頃からの訓練により、力を宿す。
 それはひいては『言葉』に繋がり、したがって『言霊』を自在に操ることができる。
 そのため、時には『声』での強制除霊もできるのだが、それをやっては『聞き人』としての意味を失ってしまうのであまりそういう使い方はしない。
 ともかく、『聞き人』はこの『声』の特性を大いに活用している。
 そのひとつが呪歌だった。

「ところで何であのとき無抵抗だったんだ。あんたならあの程度の輩なんて物の数じゃなかっただろう。俺が風刃を飛ばさなかったらあのまんま殴られていたぞ」

 どうやらあの不良軍団の一人の謎の怪我は篁がやったらしい。
 鹿人は分かってないな、という目で篁を見た。

「あんなところで騒動を起こしてみろ。動きにくくなる上に、下手な恨みも買う。恨みを買えばまた絡んでくる。その結果騒動が起こる。悪循環さ」
「それで黙って殴られる気だったのか」
「いや。お前がいたし」
「…一応、当てにされてたってわけか…」
「信じてたよ、うん」

 白々しい台詞に篁はどっと疲れを感じた。

「まったく…人間の社会は本当にめんどくさい。髪の色が違うだけでいちいち説明は要るし」

 篁は自分の髪の毛を摘みながら、他人事のように言う。
 篁の髪色は地だ。しかしどれだけ染料で染めてみても絶対に染まらない。どうしてもすべり落ちてしまうのであった。
 試みて三度目に、鹿人も篁も諦めた。篁の髪は、人間の髪と同じように見えるが、そもそも根本的に異なる。それは弾水素材に水性ペンで書く行為と似たようなものだった。

「仕方ないだろ。それが人間…というよりも日本人の習性なんだから。それともまた『あっち』に戻りたいのか」
「もう無理だな、ここまで来たら。第一、既にあんたと契約交わしてしまったし」
「あんな小さい頃の口約束なんて破棄していいんだぞ」
「物の怪に二言はない」

 篁はフンと胸を張った。
 そうこの男、一見見ると普通の人間だが、その本性は風の妖怪なのだった。

「とにかく、仕事が早く終わってラッキーだったということに変わりはないな」

 鹿人もそれにうなずき、

「まあな。思ったより霊障が早くてちょっと慌てたけど。なかなか現れないやつらに業を煮やして、エサでも使っておびき出そうかと思っていたときに、タイミングよく瀬川が飛び込んできてくれたから一石二鳥。・・・ところでお前、あれだけ目立たないように行動しろって言ったのにちっとも人の言うこと聞いてなかったな」
「何言ってんだ。ちゃんと言われた通りにやってただろう」
「授業中なのに何故かプールの更衣室の影から出てきて、しかもそのあと裏の竹林に駆け込む奴のどこが怪しくないって?」

 鹿人が睨む。
 篁の目は宙を彷徨い一周した後鹿人に焦点を合わせ、真顔で

「人間誰しも失敗はするもんさ」
「お前は人間じゃないだろ」

 鹿人は長い溜息を吐き、

「もういい、とりあえず仕事は終わった。行くぞ」
「今度はどこに行く?」
「あっちだ。――声が聞こえる」
「東だな」
「ああ、東だ」

 二人は夜が明けかかってそこだけほのかに明るんでいる空の方に向かって歩き出した。
 誰もいなくなった公園で、曙に照らされたブランコがきぃ、と揺れた。






 聞き人≠ニいう者がいる。
 闇の声を聞き、闇に蠢く人々の心を聞く者がいる。
 彼らは闇から闇へと跳び、哀しき死人達に光の道筋を示す。
 彼らの名を知る者はなく、彼らの行く先を知る者はいない。
 ただ人々は謂う。

 聞き人なり、と――
07.09.27

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